ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ
傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。
あらすじ
再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・
ポジティブ・サイド
冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。
レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。
アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。
どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。
オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。
トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。
オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。
ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。
ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。
ネガティブ・サイド
前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。
ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。
リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。
ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。
“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。
オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。
『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。
総評
歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
catch someone by surprise
誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。