二ツ星の料理人 55点
2018年12月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ブラッドリー・クーパー ユマ・サーマン アリシア・ヴァイキャンダー リリー・ジェームズ
監督:ジョン・ウェルズ
今、最も旬を迎えつつあるリリー・ジェームズやアリシア・ヴァイキャンダーが結構なチョイ役で出演している。それだけでも観る価値があるし、細部に注意を払えば、非常に興味深い東西比較文化論ができる作品でもある。今度、”What is the best culinary experience you have ever had in a foreign country?” というお題でエッセイでも書いてみようか。
あらすじ
アダム(ブラッドリー・クーパー)は天才的な料理の腕前を持ちながら、酒、ドラッグ、女に溺れ、トラブルと借金のためにパリの二つ星レストランを去るしかなかった。3年後、彼はかつての同僚らと和解し、自らが見出した才能たちと再起のために新しい店をオープンさせ、ミシュランの三つ星を目指すべく奮闘するのだが・・・
ポジティブ・サイド
ブラッドリー・クーパーの出演作には基本的に外れが無い。その演技力もさることながら、駄作、凡作、佳作を本能的に嗅ぎわける嗅覚に優れているのだろうか。いつでも自信満々、自らの才覚と実績を隠すことなく誇り、仕事は大胆にして繊細、しかし気に入らないものには言葉の暴力と物理的な暴力を容赦なく行使する。そんな豪放磊落なキャラクターというのは、往々にして傷心と小心の裏返しなわけで、アダムもその例に漏れない。彼が傷つき、恐れたものとは何であるのか。劇中のカウンセラーとのセッションが印象的だが、それすらもある意味では彼の本心を包み隠さず語ったものではない。そう、本作は料理人の成長物語であるだけではなく、傷ついた男の再生物語でもあるのだ。
本作の序盤の料理シーンでは、極力、顔と手を同時に映さないようにしている。しかし、シーンが進んでいくごとに、料理シーンでは役者の手と顔を同時に映すようになっていく。これはウェルズ監督の意図した画作りだろうか。役者の成長と上達が、キャラクターの成長と上達にオーバーラップする、非常に良い演出であると感じた。
演出面で言えば、アダムが上着のボタンをはずすシーンがあるのだが、それが緊張から解放されたことを見事に象徴している。アダムの成長というか、変化を如実に実感させてくれるのだが、そのことを本人あるいは他の登場人物に説明させるのではなく、演技して見せる。映画の基本にして究極でもある。北野武の『 アウトレイジ 』でも、椎名桔平がカジノでジャケットのボタンをゆっくりと留めるシーンがあったが、こちらは緊張が高まるシーンだった。対照的ではあるが、どちらも語らずに見せる、印象的なシーンだ。
観終わってから、本作の原題が Burnt である意味をほんの少し考えて見て欲しい。そしてここで納得のいく定義を自分なりに探してみよう。
ネガティブ・サイド
何故この映画に出てくる料理人はどいつもこいつも煙草を吸うのだ?いや、煙草を吸うだけならまだいい。結構な重要キャラが自室兼キッチンで堂々と喫煙するというのは、いったいどういう料簡からだろうか。
また、これは大部分は文化の違いに起因するのだろうが、何故西洋の料理というのは、素材に無頓着(に見える)のだろうか。フランス料理に関して言えば、都パリは意味から遠く、新鮮な魚介類がパリに着くころには、保存状態がかなり怪しくなっていた。したがって、濃厚なソースが必要になる。また英国は産業革命発祥の地であるがゆえに、農村や郊外から都市部への人口の流入があまりにも急激だった。それゆえに各地の伝統的な食材や料理法が継承されず、大量生産に適した都市型の味気ない料理が残ったという。いずれにしても、東洋が大切にする素材の良さと、料理そのものの熱が伝わらないのは、個人的には大いに不満である。このあたりは『 クレイジー・リッチ! 』や『 日日是好日 』といった作品が活写した文化としての食が伝わらなかった。もちろん、洋の東西の違いは十二分に承知しているが、ミシュランが大阪のたこ焼き屋にまで星をつけたりするこの時代、全てが白の丸皿に盛りつけられただけで「食べるのをやめられない料理」の魅力は十全には伝えられないだろう。
本質的には料理人ではなく、ブロークン・ハートな男の物語である。しかし、食材や調理のシーンにもっともっと凝って欲しかったと思う。リアリティとは、こだわりなのだから。
総評
普通に楽しめる作品である。しかし、料理人や料理そのもの、また食す側の人間や、食のレビュワーまでも描いた作品『 シェフ 三ツ星フードトラック始めました 』の方が面白さでは一段上であろう。