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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: フランシス・マクドーマンド

『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

Posted on 2021年9月28日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点
2021年9月24日 dTVにて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

 

3年前ぶりの再鑑賞。前回のレビューはこちら。『 空白 』のテーマが”赦し”であると予告編でバラされてしまい、また妻がdTVの無料お試し登録をしたところ本作が available だったので、再鑑賞とあいなった。

 

あらすじ

娘を陰惨な事件でなくしたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は地元の警察署長ウィロビー(ウッディ・ハレルソン)を責める内容の巨大ビルボードを街はずれに掲出した。やがてビルボードを巡り、ミルドレッドや街の人々、警察との対立が深まっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の始まりから終わりまで、一貫して unpredictable である。劇場鑑賞中に「こう来たら、次はこう・・・じゃないんかーい」と一人でノリ突っ込みをしていたことを思い出した。定石をとことん外してくるのが本作なのだが、そこに説得力がある。それは、一にも二にもフランシス・マクドーマンドの鬼気迫る演技。娘をなくした母親というだけでなく、苦悩する親、後悔する親というものを、恐ろしいほどのリアリティで体現している。

 

ウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長、横暴差別警察官を演じるサム・ロックウェル、ミルドレッドの窮地を救うピーター・ディンクレイジなど、とにかく悪人面だが、その内には人間性が宿っている。そして男が持つとされている包容力ではなく、弱い心や傷つく心を持っている。このあたりの、いわゆる人間の二面性を、ミルドレッドと彼女を取り巻く男たちとで比較対照してみると、人間の素のようなものが現われてくる。言葉の正しい意味でヒューマンドラマである。

 

ネガティブ・サイド

エンディングの余韻が少し弱い。もう少しだけミルドレッドとディクソンの間の会話というか空気を感じさせてほしかった。人は変われるし、人は人を赦すことができる。そうした本作のテーマをもう少しだけ映像とキャラクターのたたずまいで語って欲しかった。

 

総評

大傑作である。観ながら、ストーリーの非常に細かいところまで自分が覚えていることにびっくりしたが、それ以上に数々の伏線やセリフの妙、また役者たちの繊細かつ豪快な演技、それを捉える匠のカメラワークに唸らされた。日本の片田舎を舞台にリメイクできそうだが、これだけの人間ドラマを手がけられそうな監督がどれだけいるか。『 デイアンドナイト 』のテイストでドラマを再構築できるなら、藤井道人監督にお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put up 

直訳すれば「置いてup状態にする」ということである。劇中では put up the billboards という形で何度か使われていた。put up のコロケーションとしては、put up an umbrella = 「傘をさす」や put up a tent = 「テントを建てる」などがある。英検準1級、TOEIC730点以上なら知っておきたい(TOEICにはまず出ないが)。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, ルーカス・ヘッジズ, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

Posted on 2021年3月28日 by cool-jupiter

ノマドランド 75点
2021年3月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド デビッド・ストラザーン
監督:クロエ・ジャオ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210328203003j:plain

様々なメディアによると米アカデミー賞の本命は『 ミナリ 』よりも、こちらだとか。まあ、『 スリー・ビルボード 』のフランシス・マクドーマンド主演なので、話題性がどうであれ観ることには間違いはない。こちらも『 ミナリ 』とは別の角度から人間の生き方に光を当てた良作。

 

あらすじ

長年連れ添った夫のボーを亡くし、勤め先の企業の倒産もあり、住み慣れた家や土地を離れることになったファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女はキャンピング・カーでアメリカ各地を周り、アマゾンの倉庫などで期間限定の仕事をして暮らすノマドになった。そして、行く先々で様々な人々との出会っていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210328203026j:plain


ポジティブ・サイド

フランシス・マクドーマンドがその存在感を消して、見事にノマドになっている。いや、ノマドというよりもどこか原始的な人間であるように映る。険のある表情の中に憂いを秘めている。根無し草でありながら、生への執念は消えていない。ノマドという生き方を選ぶことの是非ではなく、どんな形であれ生きることを選択する姿が胸を打つ。ホームレスではなくハウスレスだとファーンが元教え子に伝えるシーンは、衣食住の住には、住まい以上の意味があるのだということを教えてくる。Home is home = 住めば都、という表現があるが、キャンピング・カー、そして思い出の皿など、ホームとは安住できる依り代なのだ。

 

ノマドとしての生活も真に迫っている。原っぱでの排せつや川での行水までも描かれる。しかし、いくら遊牧民とはいえ貨幣経済からは逃れられないし、完全な自給自足も不可能。そこでノマド同士が出会い、寄り添っていく姿がひたすら写実的に描写される。アマゾン倉庫やSAのちょっとしたショップ、ボブ・ウェルズというオーガナイザーの呼びかけるイベントなど、ドラマを盛り上げる要素はいくらでもある。だが、そうはしない。なぜならファーンを始めとしたノマドたちがただ生きる日々それ自体が十分にドラマだからだ。もちろん、他人の善意がファーンを大いに傷つけることもある。だが、それを許すことができるのもまた人だ。作った事件やハプニングがなくとも、人の生き様は充分にドラマチックでありうるのだ。

 

キャンピング・カーの内と外、都市の内と外、家庭の内と外。ノマドは、自分以外の人間と隔絶した世界に生きている。それをするのが広大無辺なアメリカの大地だ。ビルも家も何もない。草原や荒野や岩地が広がるばかりの光景に、朝焼けと夕焼けが映える。まるで一日一日が再生と死を象徴しているかのようだ。そうした情景描写がファーンを始めとしたノマドたちの生き様をよりリアルにしている。実際に本作に登場するノマドたちは本当のノマドによって演じられていることをエンドクレジットで知って驚いた。演出された世界ではなく、現実の世界を観ていた。現実と虚構の境目があやふやになった。ノマド的な生き方に憧れを持つことはいが、ノマドという生き方を現実に選択する人々のことをリスペクトしたいと強く感じるようになった。ファーンやリンダ・メイ、スワンキーのような生き方も今後のニューノーマルの一つになっていくのかもしれない。



ネガティブ・サイド

ピアノのBGMが、ある人物が弾くアコースティック・ギターの音とケンカをしているシーンがあった。数秒だけだったが、非常に jarring に感じた。

 

もう一つ、スワンキーの語るツバメの乱舞する光景のシーン。なぜ水面を映し出さなかったのだろうか。自分も一緒に飛んでいる感覚を観る側が味わうためには、スワンキーが見たのと同じ構図の画を共有させる必要があったのではないだろうか。

 

石膏採掘会社の倒産に翻弄されるファーンだが、アマゾン倉庫での労働の描き方が非常にニュートラルであると感じた。アマゾンの労働環境の過酷さは広く知られているところで、ノマドたちがそこで生き生きと働く姿に少々違和感を覚えた。

総評

一部の地域を除いてコロナ禍が今もって現在進行形の世の中で、人と人との距離感がずっと問い直されている。本作は、ファーンという個人のとてつもない孤独の中の旅路に、新しい形の人間関係を呈示している。格差や分断の中でこのような交流が生まれてくることは、日本の未来を見つめる時の一つのヒントになりうる。生きることの難しさ、そして生きることの尊さを静かに、しかし力強く描く傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

stand for 

作中では”What does RTR stand for?”のように使われていた。意味は「~を意味する」だが、しばしば頭字語について用いられる。

“What does NATO stand for?” / “It stands for North Atlantic Treaty Organization.”

のように使う。meanを使っても問題ないが、stand for ~ も知っておくと、ネイティブに色々と質問もしやすい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, デビッド・ストラザーン, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

『 真実の行方 』 -若き日のエドワード・ノートンに刮目せよ-

Posted on 2019年7月5日 by cool-jupiter

真実の行方 70点
2019年7月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リチャード・ギア エドワード・ノートン フランシス・マクドーマンド
監督:グレゴリー・ホブリット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190705000511j:plain
映画でも小説でも、多重人格ものは定期的に生産される。一人の人間が複数のパーソナリティを持つというのだから、そこから生まれるドラマの可能性が無限大である。しかし、多重人格ものは同時に、それが詐術である可能性を常に孕む。多重人格が本当なのか演技なのかの境目を行き来する作品といえばカトリーヌ・アルレーの小説『 呪われた女 』や邦画『 39 刑法第三十九条 』などがある。本作はと言えば・・・

 

あらすじ

カトリック教会で大司教が殺害された。容疑者としてアーロン(エドワード・ノートン)が逮捕され、マーティン(リチャード・ギア)が弁護を請け負うことになる。その過程でマーティンは徐々にアーロンとは別に真犯人が存在するのではないかと考え始め・・・

 

ポジティブ・サイド

『 アメリア 永遠の翼 』や『 プリティ・ウーマン 』ではやり手のビジネスマンを、『 ジャッカル 』では元IRAの闘士を演じ、今作ではBlood Sucking Lawyerを演じるリチャード・ギアは、日本で言えば世代的には大杉漣か。そのリチャード・ギアが嫌な弁護士からプロフェッショナリズム溢れる弁護士に変わっていく瞬間、そこが本作の見所である。

 

しかし、それ以上に観るべきは若きエドワード・ノートンであろう。栴檀は双葉より芳し。演技派俳優は若い頃から演技派なのである。そしてこの演技という言葉の深みを本作は教えてくれる。

 

題材としては『 フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜 』、『 スポットライト 世紀のスクープ 』などを先取りしたものである。多重人格というものを本格的に世に知らしめたのは、おそらくデイヴ・ペルザーの『 “It”と呼ばれた子 』なのだろうが、本作はこの書籍の出版社にも先立っている。Jovianは確か親父が借りてきたVHSを一緒に観たと記憶しているが、教会の暗部というものに触れて、当時宗教学を専攻していた学生として、何とも言えない気分になったことをうっすらと覚えている。

 

本作の肝は事件の真相であるが、これには本当に驚かされた。2000年代から世界中が多重人格をコンテンツとして消費し始めるが、本作の残したインパクトは実に大きい。カトリーヌ・アルレーの『 わらの女 』やアガサ・クリスティーの『 アクロイド殺し 』、江戸川乱歩の『 陰獣 』が読者に与えたインパクト、そして脳裏に残していく微妙な余韻に通じるものがある。古い映画と侮るなかれ、名優エドワード・ノートンの原点にして傑作である。

 

ネガティブ・サイド

少しペーシングに難がある。なぜこのようないたいけな少年があのような凶行に走ったのかについての背景調査にもう少し踏み込んでもよかった。

 

ローラ・リニーのキャラクターがあまりに多くの属性を付与されたことで、かえって浮いてしまっていたように見えた。検事というのは人を有罪にしてナンボの商売で、法廷ものドラマでもイライラさせられるキャラクターが量産されてきているし、日本でも『 検察側の罪人 』などで見せつけられたように、人間を有罪にすることに血道を上げている。それはそういう生き物だからとギリギリで納得できる。だが、マーティンの元恋人という属性は今作では邪魔だった。『 シン・ゴジラ 』でも長谷川博己と石原さとみを元恋人関係にする案があったらしいが、没になったと聞いている。それで良いのである。余計なぜい肉はいらない。

 

よくよく見聞きすれば、アーロンの発言には矛盾があるという指摘も各所のユーザーレビューにある。なるほどと思わされた。本当に鵜の目鷹の目で映画を観る人は、本作の結末にしらけてしまう可能性は大いにある。

 

総評

これは非常に頭脳的な映画である。多重人格ものに新たな地平を切り開いた作品と言っても過言ではない。もちろん、その後に陸続と生み出されてきた作品群を消化した者の目から見れば不足もあるだろう。しかし、多重人格もののツイストとして、本作は忘れられてはならない一本である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, エドワード・ノートン, サスペンス, スリラー, フランシス・マクドーマンド, リチャード・ギア, 監督:グレゴリー・ホブリット, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 真実の行方 』 -若き日のエドワード・ノートンに刮目せよ-

スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

Posted on 2018年6月14日2020年2月13日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点

2018年2月3日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180614225012j:plain

妻と一緒にこの映画を劇場で観たのだが、すでに結婚していて良かったと思えた。なぜならこの映画の放つ強力なメッセージの一つは、”人は人を傷つける”だからだ(ちなみに、独身時に観て、「独身で良かった」と思えたのは『ゴーン・ガール』だった)。しかし、本作が観る者の心に強烈に焼き付けてくるものは”人は変われる”、”人は人を赦せる”ということでもある。

原題は“Three Billboards Outside Ebbing, MIssouri”である。ミズーリ州にはエビングという地名は無いようだが、マーティン・マクダナー監督が意図したのは、架空の空間を創り上げることで、そこが現実にはどういう場所なのかをより強く浮かび上がらせることだったのだろう。この系列の事件で最も有名なのはトレイボン・マーティン射殺事件であろう。映画で例を挙げるなら『 フルートベール駅で 』(主演はマイケル・B・ジョーダン)や『 デトロイト 』か。『 私はあなたのニグロではない 』でも、横暴という言葉では描写しきれない暴力警官への恐怖が語られたが、それこそがアメリカ市民の紛れもない本音なのだろう。

エビングの片田舎のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、娘をレイプされ、殺されてしまった母親である。夫とは離婚済みで、あちらは若い女と付き合っている。警察は捜査はしつつも、犯人逮捕に至る気配は無い。業を煮やしたミルドレッドは大枚をはたいて町はずれに3つの巨大立て看板(ビルボード)を出す。そこには警察のウィロビー署長を詰る言葉が書かれていた。これによって、警察や地元住民とミルドレッドとの間に溝が生まれてしまう。現代でこそ、各種のデジタルデバイスやICT技術の発達で情報へのアクセスは、田舎でも都会でもそれほどの違いなく行えるようになった。しかし、一度でも日本の田舎(それも日本昔話級の)に住んだことがある者であれば、そこは公共性が高く、閉鎖性が低い都市とは全く異なるコスモロジーが支配する土地であることを認識できるだろう。このエビングという町も同じである。全くの偶然だが、この映画を劇場で観た時、すぐ前の座席にアメリカ人夫婦(アクセントから判断)と思しき2人が座って鑑賞していた。物語の序盤から、登場人物たちがとんでもない言葉遣いをすることに苦笑したり、絶句したりしていた。そして第二幕に差し掛かろうかという時に、2人して退席してしまった。もしも英語に堪能な知人、もしくは英語のネイティブスピーカーの友人がいれば、ぜひ一緒にこの映画を観てほしい。恐ろしいほどの汚い言葉が飛び交う。これはアメリカに特有の話でもなく、日本の片田舎でも同じだ。Jovian自身の経験からも言える。田舎における情報の伝播速度、そして容赦の無い言葉遣い、それはすなわち秩序に対する異物排除の論理の強さの表れでもある。もちろん、そこで観る者が予想するのは、対立の解消と融和である。しかし登場人物の行動や心情、物語の展開が、あまりにも現実離れというか、映画製作、物語製作の文法からかけ離れている本作では、先を読んでやろうなどと意気込むことに意味はない。その最も良い(悪いとも言える、それは人による)例はウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長とミルドレッドが公園のぶらんこで二人きりで話すシーンだ。ここで署長は自身がすい臓がんで余命幾ばくもないことをミルドレッドに告げる。普通なら署長に何らかの同情を示すだろう。しかしミルドレッドは「あんたの病気のことは分かっていてビルボードを出した」と言ってのける。いくら娘を亡くしてしまったからといっても、この態度はないだろうと観る者は思うが、ミルドレッドの暴走はこれだけにとどまらない。トレイラーでも見られるが、火炎瓶で警察署を燃やすところまで行ってしまうのだ。

もちろん、ビルボードの出現をきっかけに警察や地元住民とミルドレッドの間に、軋轢が生じる。そこではサム・ロックウェル演じる人種差別主義者が服を着て歩いているかのような無茶苦茶な警察官ディクソンもいる。ある事件をきっかけにそのディクソンがビルボード管理会社の社員ら(白人)にしこたま暴行を加えていく。このシークエンスは『 バードマン 』ばりのワン・ロングショットで映されており、その迫力と結末も相俟って、恐るべき仕上がりになっている。このようにエビングの町で、秩序が混沌としていく中で、ミルドレッドの家族の秘密というか背景も明らかになって来る。Jovianは以前に父にも母にも言われたことがある、「祖父ちゃんや祖母ちゃんには必ずあいさつしとくんやぞ」と。いつ突然会えなくなるか分からないからだ、と今は理解している。ミルドレッドが娘を亡くしてしまう直前に持った会話は、確かに悔やんでも悔やみきれない類のものだ。しかし、だからと言って色々な人の好意を無下にしたり、警察署を燃やすことの理由にはならない。観る者がミルドレッドに共感することができないまま、しかし、物語はこれまた予想外の方向に火事を、ではなく舵を切っていく。これは書き間違いではない。ちなみにこの火事を引き起こすキャラクターの一人は、『 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 』では鍛治になっていた。

もうここまでの展開で、頭がストーリーを処理していくのにも一苦労するのが、ここからさらに予想外の展開へ進んでいく。それが何であるのかは実際に体感するしかないが、人は人を傷つけはするが、人は人を赦すこともできるのだと強く確信させてくれる。CHAGE & ASKAのYAH YAH YAHを何故か無性に歌いたいという気持ちで映画館を後にすることになった。『 女神の見えざる手 』を上回るような予想外の展開。スローン女史が近年の映画キャラクターで最も輝く女性であるとするなら、本作のミルドレッドは最も深い闇を抱えたキャラでありながら、もっとも包容力のある女性でもある。このような作品との出会いは、人生を豊かにしてくれる。フランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルのオスカー受賞もむべなるかな。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イギリス, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

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