ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン
TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。
あらすじ
ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・
ポジティブ・サイド
太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。
EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。
本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。
太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。
ネガティブ・サイド
極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。
また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・
クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・
総評
政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。
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tomorrow
言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。