テルアビブ・オン・ファイア 70点
2020年2月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:カイス・ナシェフ
監督:サメフ・ゾアビ
イスラエル・パレスチナ問題にはそれほど詳しくないものの、基本的な知識さえあれば楽しめるし笑える作品である。『 判決、ふたつの希望 』や『 エンテベ空港の7日間 』のように、中東やイスラエル関連のストーリーにはシリアスなものが多いが、中にはこのような愉快な作品もあるのである。
あらすじ
人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」。その制作現場で発音指導をするパレスチナ人青年サラム(カイス・ナシェフ)は、毎日イスラエルの検問所を通っている。ある日、検問所の主任アッシに呼び止められたサラムは、自身を「テルアビブ・オン・ファイア」の脚本家だと偽ってしまう。ところが、ひょんなことからサラムは本当に脚本担当に出世してしまう。困ったサラムは、毎日検問所でアッシからヒントをもらうようになり・・・
ポジティブ・サイド
Jovianがイスラエル・パレスチナ問題を本当に意識するようになったのは、高校生の時おラビン首相暗殺のニュースだった。確か中3ぐらいの時に『 JFK 』をビデオ2巻で見て、「本能寺の変よりスケールでかいことが、ほんの数十年前に起きてたんだなあ」と呑気な感想を抱いていた後のことだったので、イスラエル首相の暗殺のニュースとその後の識者による解説や新聞記事で、問題の根の深さを知った次第である。前提となる知識にこれぐらいあれば望ましいのだろうが、「片方が片方を占領して揉めている」という理解があれば十分であろう。
本作の面白さの第一は、作り手と受け手の温度差である。パレスチナ人制作のドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」のプロットをイスラエルの軍人であるアッシに相談するという逆転の発想である。めちゃくちゃ乱暴に例えると、英国統治下のアメリカが、独立戦争前夜のドラマや戯曲を作るのに、英国軍人にアドバイスを求めているようなものである。そして英国人のアドバイスに従って作ったドラマが、アメリカ人に好評を博すということである。もしくはGHQの統治下にあった日本が、太平洋戦争前夜にアメリカにスパイを送り込むドラマを作り、そしてそのドラマのプロットのアドバイザーにアメリカ人を据える。そして、アメリカ人好みに作られたドラマが日本人に大ウケするということである。この一見するとありえないような馬鹿馬鹿しさが面白い。発想の勝利である。
本作の面白さの第二は、兎にも角にもアッシというイスラエル軍人のキャラ設定にある。我々は軍人というと、融通の利かない石頭であると考えがちである。しかし、このアッシという男は、軍人の目から見てもリアリティあるドラマに仕上がるようにと、非常に的確でリアリティのあるアドバイスを送る。特に機密文書の在処や、それを保管しておく場所の鍵、その鍵をどうやって手に入れるのかetcについての議論は、漫画『 ゴルゴ13 』的であった。それが本当かどうかは別にして、リアリティが濃厚に感じられるということである。『 シン・ゴジラ 』的であるとも言えるかもしれない。このアッシはまた、家族や恋愛関係においても、非常に有益なアドバイスをサラムに送る。そのサラムはどうやら母子家庭で、父親はどこに?という疑問や、サラム自身のちょっとした特徴に関する疑問が、終盤のシリアスな展開で鮮やかに紐解かれる。そこで初めてアッシという男が、サラムにとっての家父長的な意味での父親、つまりユング心理学的な父親であり、同時に人生における positive male figure の役割も果たしていたことが分かるのである。それはすなわち、イスラムの神アッラーにイスラエルの神ヤハウェに共通する属性である。彼らは同じ神を違う角度から見ている・・・というのは考えすぎか。一つ言えるのは、アッシの言動が物語を強力にドライブするという存在であるということである。彼の言う「愛し合う者たちが行うことは何か?」という問いへの答えは、多くの独身および既婚者の、特に男性(日本では)を頷かせ、また震え上がらせることであろう。既婚男性諸君は今からでも遅くないのでアッシの忠告を実践に移すべし。これから結婚しようかという諸賢には、結婚生活の最初からアッシの中高を実践されたし。恋人がいるという男性は、付き合うまでは必死に彼女を口説いたことと思うが、付き合いがスタートしてしてからは、やはりアッシのアドバイスを忠実に実行せねばならない。余裕があれば『 ハナレイ・ベイ 』の吉田羊のアドバイスも聞いておくべし。アッシの助言と村上春樹の助言に、人類普遍の真理を見ることができるだろう。
Back on track. 面白さの第三は、イスラエル側の市民の反応である。もっと言えば、アッシの家族の反応である。アッシの母や妻は当然ごとくイスラエル人であるが、アラブ系の女スパイとイスラエル軍の将軍とのロマンスを手に汗握って見つめる様子である。これも適切ではない例えかもしれないが、日韓関係は歴史の時々で悪化を見てきた。今も関係は決して良くない。だが政治的な関係が良好ではなくても、その他の関係までもが悪化するとは限らない。日本には今日もキムチや焼肉を食べ、韓国映画や韓流ドラマを観て、K-POPを聴いている人が少なくとも数十万人、多ければ数百万人はいるはずである。イスラエルとパレスチナも、市民レベルでは似たような関係であると推察されるし、またそうあって欲しいと願うし、そうあるべきだと信じている。そうした、ある種の能天気とも言える市民レベルのリアクションは、本作のようなブラック・コメディが言葉そのままの意味で悪い冗談にならないためにも必要である。
面白さの第四は、主人公サラムのビルドゥングスロマンである。金もない、恋人もいない、借金はあるというダメ男のサラムが、脚本家という職を得て、借金を返し、かつて好いた女性マリアムとの距離を再び縮めては広げ、広げては縮めていく過程は、全世界の男性を勇気づけるはずである。特に日本では、いわゆる氷河期世代の男性の共感を呼びやすいのではないか。サラムがドラマの登場人物の口を借りて、マリアムにメッセージを届けることには二重の意味がある。一つは、彼は決してマリアムのことを諦めたわけではないということ。もう一つは、アッシという良い意味で悪い意味でも父親的存在のアドバイスで仕事をこなしていたはずが、いつの間にか独力で仕事ができるように成長していっているということである。脚本も務めたサメフ・ゾアビ監督が、パレスチナの若い世代にエールを送っているかのようである。パレスチナを離れ、パリやニューヨーク、東京でも仕事ができるかもしれない。そう夢想するサラムと現実路線のマリアムの対話には、インド映画の『 ボンベイ 』のヒンドゥーとイスラムの夫婦のような言い難い難しさがある。
現実の人間関係とドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」が不思議にリンクしながらも、結末は文字通りにすべてを吹っ飛ばす。ここに来てストーリーは一気にブラック・コメディからギャグ漫画の域に到達する。ここにもおそらく二つの意味がある。一つは、商業的な理由でイスラエル・パレスチナ関係を終わらせたくないという人々がいることをユーモラスに批判しているということ。もう一つは、映画というフィクションの世界では夢を見てもいいでしょう?ということである。これが果たして結末にふさわしいかどうかは、観る人によって解釈が分かれるだろう。しかし、笑ってしまう結末であることだけは保証する。
ネガティブ・サイド
冒頭のシーンで、できれば簡単な静止画もしくは映像付きでイスラエル・パレスチナ問題の説明があれば親切であったと思う。ドラマ撮影のシーンをそのまま導入に使うというのも悪いアイデアではないが、メタな展開を見せることそれ自体は観客の大部分はすでに知っているのだから。
また個人的な要望になるが、サラムとマリアムの恋愛未満の関係の描写をもう少し見てみたかった。本作は97分であるが、105分ぐらいに拡大しても誰も文句は言わないだろう。サラムの家庭環境やマリアムの実家の店での買い物シーンをもうちょっと拡大もしくは丁寧に描写することは十分に可能だったはずである。
冒頭のシーンからずっと不思議に思っていたことだが、テレビドラマの脚本家というのは、通常ならドラマのエンディングのスタッフロールでその名がしっかりと確認できるはずである。別にドラマの放送まで待たずとも、その場でスマホでドラマの公式サイトを検索して調べることもできたはずである。アッシがちょっと間抜けでお茶目な軍人さんという設定であれば、こうしたご都合主義的な展開もありなのかもしれない。しかし、終盤にサラムがイスラエルとパレスチナを隔てる壁の存在に打ちのめされる無言のシーンが存在する。その圧倒的にリアルな壁の存在とずさんなIDチェックが、どうしてもJovianの中では両立しなかった。
総評
政治風刺の色が濃いが、専門的な知識はなくても楽しむことは可能である。日本と近隣諸国の関係を投影して鑑賞してもいいし、サラムという主人公に自分の人生を重ね合わせて鑑賞することもできる。と同時に、観終わってすぐにイスラエル・パレスチナ問題について勉強したくもなるだろう。鑑賞後に「あー、面白かった/つまらなかった」という感想だけで終わる作品は多いが、「これはもっと調べてみなければ」という行動変容を起こさせる映画はそんなに多くはない。本作は、その数少ない一本だろう。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
I don’t give a shit.
『 アップグレード 』でも紹介した表現。「そんなもん知るか、コノヤロー」のような意味である。この後に5W1H S + Vのような形が続くことが多い。
I don’t give a shit what you think.
あんたがどう思っても私には関係ねーんですよ。
I don’t give a shit where they live.
あいつらがどこに住もうと、どうでもいい。
心の中で“Boss, I don’t give a shit what you think about me.”と思う頻度が高くなってきたら、転職活動を始める時期が近付いていると考えてよいかもしれない。