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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 香川照之

『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

Posted on 2019年2月11日2019年12月21日 by cool-jupiter

七つの会議 65点
2019年2月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野村萬斎 香川照之
監督:福澤克雄

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190211024641j:plain

働くことの正義を問うとは大仰な煽り文句だ。しかし、『 空飛ぶタイヤ 』が結構なカタルシスをもたらしてくれる娯楽作品であると同時に、現実を鋭く抉る批評的作品でもあったことから、本作も同工異曲の映画であろうと予想していた。働くことの正義なるものについての論評はしがたい作品であるが、水準以上の面白さは有していた。

 

あらすじ

東京建電の八角民夫(野村萬斎)は、居眠り八角の異名を持つ怠け者。しかし、八角の排除を試みようとした社員は皆、謎の異動に処されてしまう。八角の勤務態度の裏にあるものとは?上司の北川(香川照之)と八角の関係は?そこには東京建電の抱える深い闇が広がっていて・・・

 

ポジティブ・サイド

どのキャラクターも見事に立っている。主人公の八角演じる野村萬斎がまさに狂言回しである。それに輪をかけて北川演じる香川照之がブラック企業の幹部を体現している。それはリアリティを追求する方法ではなく、一部の特徴を誇張・肥大化させることで達成されている。それは正しいドラマの作り方でもある。古代ギリシャの時代から、ドラマツルギーとは人間の一側面を過大に描くことで成り立ってきたとさえ言える。本作に登場するキャラクターは、誰もかれもが典型的なキャラをその役割や職務に応じて演じている。「現実的であるということは陳腐なことである」とは小説家・奥泉光の言だが、いわゆるブラック企業の在り方やダメ社員の処遇については、我々は実はほとんど知らないのではないか。我々の耳目に入る情報は極端なものか、メディアが編集したものか、もしくはひときわ声の大きい個人が知らせてくれるものぐらいだろう。そうした意味で、この映画に出てくるあらゆるキャラクターはリアルさには欠けるものの、典型的と評してよい。キャラクターが立っているというのは、そういうことである。

 

さらに池井戸潤作品の特徴である現実批評の精神は本作にも通底している。特に政府による文書の改竄や統計データの不正が明らかになった昨今、明らかに我々が本作を視聴する目は厳しくなる。厳しいというのは審美眼のことではなく、フィクションと現実を重ね合わせてみようとする姿勢のことである。東芝やオリンパスのような巨大企業の不祥事の構造の全貌が判明せず、チャレンジなる曖昧模糊とした言葉で管理職は平社員にプレッシャーを与え、そして責任のはっきりしない不祥事が発生する。本作はそんな現実世界の出来事を忠実になぞるかのように、次から次へと悪役候補が現れては消え、そしてまた現れてくる。これは面白い。我々はあまりにも「皆が悪いのだ」という論調に慣れ過ぎている。これは『 華氏119  』の当時のB・オバマ米国大統領の言葉でもある。しかし、元凶というものは確かに存在し、そしてそれは追及されねばならないと、本作は宣言している。特に上位の会社が下位の会社の財布の中身まで覗き込み、カネの使い方にまであーだこーだとくちばしを突っ込んでくるところは、某愛知の自動車メーカーと某大阪・寝屋川市自動車部品メーカーの関係を見るかのようだった。不正とは、現場レベルやノンタイトルの従業員が行うようなものではない。それは上からの圧力によるものであることがほとんどだろう。一部のサラリーマンや公務員にとっては、本作は非常に胸のすく展開であるに違いない。

 

ネガティブ・サイド

残念だが細部にリアリティが不足しているように思う。『 真っ赤な星 』にもあった不倫ネタ、「俺、お前とのことを真剣に考えているから」という台詞は陳腐であるからこそリアルなのであるが、これはお仕事ムービーであり、サラリーマン映画なのである。前半の不倫プロットのパートは不要というか、八角の存在感の無さ、そして神出鬼没さ、目敏さ、そして意外なコミュニケーション力を演出したかったのだろうが、この部分がかなり冗長だったように感じた。

 

また東京建電の抱える闇であるが、こんな事実が発覚しなかった方がおかしいとすら感じる。あの業界やあの業界は独自に部品のスペックをチェックしているし、特に福知山線の脱線事故からこちら、列車の製造およびメンテナンスの主眼は安全性に置かれていると聞く。キャラクターは典型的でも良いのだが、ストーリーにはやはりリアリティを求めたい。製造業や営業という職務に従事する人が鑑賞すれば、かなり突っ込みどころの多い作品になっていることは、容易に想像がつく。そこが本作の惜しいところである。

 

総評

単体の映画として見れば『 空飛ぶタイヤ 』に軍配が上がる。しかし、社会全体を風刺する、または国民性を追究する、サラリーマンという生き物を“生態模写”するという意味の面白さでは優るとも劣らないものがある。新元号になってから就業していく、世に出ていく中高生たちが見てみれば、平成という世の働き方に良い意味でも悪い意味でも感じ入ることがあるのではないだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, 日本, 監督:福澤克雄, 配給会社:東宝, 野村萬斎, 香川照之Leave a Comment on 『 七つの会議 』 -誰が為に働くのかを鋭く問う意欲作-

『 ゲド戦記 』 -父殺しを果たせず、端的に言って失敗作-

Posted on 2018年9月22日2020年2月14日 by cool-jupiter

ゲド戦記 15点

2018年9月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:岡田准一 手嶌葵 菅原文太 田中裕子 香川照之 風吹ジュン
監督:宮崎吾朗

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180922030156j:plain

冒頭から、息子による父殺しが行われる。文学の世界においては、父親殺しはオイディプス王の頃から追究される一大テーマである。吾朗は、駿を殺す=乗り越えると、高らかに宣言している。そしてそれは失敗に終わった。それもただの失敗ではない。悲惨な大失敗である。

凶作や英奇病に苦しむ王国の王子アレン(岡田准一)は、父王を殺し出奔する。その途上、大賢人ハイタカ(菅原文太)に巡り合い、世界の均衡を崩す要因を追究する旅に同行する。そして、テルー(手嶌葵)とテナー(風吹ジュン)と邂逅しながらも、人狩りのウサギ(香川照之)やその主のクモ(田中裕子)との争いにその身を投じていく・・・

まず宮崎吾朗には、商業作品で自慰をするなと強く言いたい。『 パンク侍、斬られて候 』は石井岳龍の実験なのか自慰なのか、判別できないところがあったが、今作は完全に吾朗の自慰である。それもかなり低レベルな。それは原作小説の『ゲド戦記』の色々なエピソードを都合よく切り貼りしてしまっているところから明らかである。まずゲド戦記のすべてを2時間という枠に収めることは不可能である。であるならば畢竟、どのエピソードをどのように料理していくかを考えねばならないが、吾朗はここでハイタカとアレンの物語を選ぶ。少年と壮年もしくは老年の旅を描くならば、そのたびの過程そのものに父親殺しのテーマを仮託すればよいのであって、冒頭のシーンは必要ない。『太陽の王子 ホルスの大冒険』のように、いきなり狼の群れにアレンが囲まれるシーンに視聴者を放り込めばよいのだ。本作は父殺しをテーマにしているにも関わらず、アレンがハイタカを乗り越えようとする描写が皆無なのだ。影が自分をつけ狙うというのもおかしな話だ。影がハイタカをつけ狙い、隙あらば刺し殺そうとするのを、アレンが止めようとするのならばまだ理解可能なのだが。これはつまり、偉大なる父親を乗り越えたいのだが、結局は父の助力や威光なしには、自らの独立不羈を勝ち得ることはできないという無意識の絶望の投影が全編に亘って繰り広げられているのだろうか。

本作のアニメーションの稚拙さは論ずるに値しない。一例として木漏れ日が挙げられよう。『 耳をすませば 』でも『借りぐらしのアリエッティ』でも『 コクリコ坂から 』でも何でもよい。光と影のコントラスト、その自然さにおいて雲泥の差がある。別の例を挙げれば、それは遠景から知覚できる動きの乏しさである。ポートタウンのシーンで顕著だが、街の全景を映し出すに際しては、光と影から、時刻や方角、季節までも感じさせなければならない。随所に挿入される如何にも平面的なのっぺりとした画を、『もののけ姫』でも『風立ちぬ』でも何でもよい、駿の作品と並べて、比べてみればよい。その完成度の高さ、妥協を許さぬ姿勢において、残念ながら息子は父に全くもって及ばない。

はっきり言って、15点の内訳は香川照之の演技で15点、菅原文太の演技で15点、手嶌葵の演技でマイナス15点の合計点である。哲学的に考察すればいくらでも深堀りできる要素がそこかしこに埋まっている作品であることは間違いないが、吾朗はそれをおそらく自分の中だけで消化してしまっており、観る側がイマジネーションを働かせるような余地というか、材料を適切な形で調理することなく皿に載せて「さあ、召し上がれ」と言ってきたに等しい。こんなものは食べられないし、食べるにも値しない。ゆめ借りてくることなかれ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, F Rank, アニメ, ファンタジー, 岡田准一, 日本, 監督:宮崎吾朗, 配給会社:東宝, 香川照之Leave a Comment on 『 ゲド戦記 』 -父殺しを果たせず、端的に言って失敗作-

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