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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 監督:バレリー・ファリス

『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

Posted on 2019年4月11日2020年2月2日 by cool-jupiter

ルビー・スパークス 70点
2019年4月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ゾーイ・カザン
監督:ジョナサン・デイトン バレリー・ファリス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190411164359j:plain

『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』デイトンとファリスの夫婦監督の作品である。本と現実世界がリンクしてしまうという筋立ては古今東西、無数に作られてきた。古くは『 ネバーエンディング・ストーリー 』、割と最近のものだと

『 主人公は僕だった 』。作者が自らが想像および創造したキャラクターに恋するプロットも陳腐と言えば陳腐だ。日本では、漫画の『 アウターゾーン 』にそんなエピソードがあったし、その作者の光原伸も、自らの生み出したミザリィに恋していたのではなかろうか。

あらすじ

弱冠19歳と時のデビュー作で文壇を席巻したカルヴィン(ポール・ダノ)は、以来10年にわたって書けずにいた。しかし、ある時、夢にインスピレーションを得て、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)というキャラを着想する。カルヴィンは執筆に没頭するうちに、ルビーに恋焦がれるようになるが、ある日、なんとルビーが目の前に現れ・・・

ポジティブ・サイド

カルヴィンというキャラクターの外面のなよなよしさ、そして胸の内に秘めたマグマのようなエネルギー。相反する二つの要素をポール・ダノは見事に同居させ、表現した。動きの貧弱さと眼鏡の奥に光る眼差しの強さと弱さ、そして意外なほどに攻撃的な口調が、このキャラの複雑さを物語る。作家というのは往々にして難しい生き物だ。綾辻行人は東日本大震災後に「書けなくなった」と語ったが、人命を小道具にするミステリ作家ならではの症状だろう。カルヴィンも同じで、父の死や、かつてのガールフレンドとの別れが、書けない自分の理由の一部を為している。我が恩師の一人、並木浩一は、作家には想像力と構想力が必要と説いた。想像力=他者になる力、構想力=世界を仕上げる力、という定義である。カルヴィンは、まず間違いなく構想力優位の作家である。ルビーとの関係に幸福を見出すカルヴィンには、しかし、ルビーの目から見た自分自身の姿がない。つまり、カルヴィンは自分で自分を知らない。そのことをルビーは最初の出会いでいきなり喝破する。愛しい相手が自分に抱いてくれる感情が変わりそうになった時、本当ならば自分が変わらねばならない。しかし、カルヴィンは創造主であるが故にその選択肢を拒否する。本作は青年の成長物語ではあるが、成長できない青年のダークサイドを見せつけるという逆説的な手法を取る。これが面白く、なおかつ背筋に何か冷たいものを感じさせられるような恐怖感や不安感も駆り立ててくる。

また脚本も書き、タイトルロールも務めたゾーイ・カザンも称賛に値する。可愛らしく、それでいて理知的で、創造性に富み、社交性も豊か。最もその魅力が際立つのは、序盤で嫉妬心から悪態をつきまくり、駄々をこねる様だ。暴れる女は無理矢理でも抱きしめなさい。なぜなら、その怒りの大きさが対象への愛情の大きさなのだから、と彼女自身が高らかに宣言しているかのようだ。

本作のカメラワークはユニークである。カルヴィンはしばしば建物や車、部屋という仕切られた空間で非常に弱い照明の光の下で映し出される。対照的に、ルビーは開放的な衣装や環境で、たっぷりと光を注がれる。ダウナー系男子とアッパー系女子の対照性が終盤に交わる時、光と影、どちらがその濃さを増すのか。Fantasticalなラブロマンスと見るか、変化球的なサスペンスと見るか。二人の織り成すケミストリーは最終的に何を生み出すのか。時々スローダウンしてしまう箇所もあるが、全体的には100分程度で綺麗にまとまった良作である。

ネガティブ・サイド

カルヴィンの家族を巡る物語は、もう少し深堀りできたのではなかろうか。このストーリーの流れでアントニオ・バンデラスが陽気にニコニコ笑うおじさんを演じているのを見れば、バイオレンスを含む何らかの陰鬱な出来事があったと想像してもおかしくはない。実際はそんなことはないのだが、ややミスキャスティングかつミスリーディングであるように感じた。

カルヴィンの兄嫁のスーザンとルビーの絡みも欲しかった。また、カウンセラーのローゼンタール先生とルビーにも何らかの接点が欲しかったと思う。ルビーという存在の虚構性ゆえに自分の周りに実在する人間に、なかなかルビーを紹介できないカルヴィンの気持ちは分からないでもない。けれども、ルビーという女子の心の変化を読み取るには、もう少し丁寧な人間関係の描写が必要だったと考えてしまうのは、Jovianが男性だからなのだろうか。

総評

本作の放つメッセージは詰まるところ、庵野秀明が『 新世紀エヴァンゲリオン 』の劇場版で観客に痛烈な形で放ったメッセージと同質のものである。つまり、「外に出ろ、俗世に交われ」ということだ。愛はそこに唯あるだけのものではない。自分が誰かを愛し、誰かから愛されるのなら、その愛を常に保ち続けるために動きなさい、働きなさい、変わりなさいということだ。婚活がなかなかうまくいかない男性には、本作は案外ためになる視聴覚的テキストになるのではないだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ゾーイ・カザン, ポール・ダノ, ラブロマンス, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

バトル・オブ・ザ・セクシーズ -性差を乗り越えた先にあるものを目指して-

Posted on 2018年7月9日2020年2月13日 by cool-jupiter

バトル・オブ・ザ・セクシーズ 75点

2018年7月8日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:エマ・ストーン スティーブ・カレル アンドレア・ライズボロー サラ・シルバーマン ビル・プルマン エリザベス・シュー オースティン・ストウェル ジェシカ・マクナミー エリック・クリスチャン・オルセン
監督:バレリー・ファリス ジョナサン・デイトン

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往年のテニスファンならばビリー・ジーン・キングのことはご存知だろう。キング夫人の方が通りがいいかもしれない。USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターという全米オープンの会場名を熱心なテニスファンなら聞きおぼえがあることだろう。Jovian自身がリアルタイムでテレビで観たことがあり(幼少の頃だが)、なおかつ本作に出てくる実在の人物というとクリス・エバートである。この試合自体をリアルタイムで観た、もしくは結果を知ったという人は、時代というものがどれほど変わったのか、流れた月日の長さよりも、その変化の大きさから受ける衝撃の方が大きいのではないか。この世紀の ≪性別戦≫ は1973年のことだが、日本ではこれに数年遅れて某企業が「私作る人、ボク食べる人」というキャッチフレーズのCMを流していた。この同時代の日米のコントラストはなかなかに味わい深いではないか。

当時の女子の賞金は男子のそれの1/8。現代のグランドスラムの賞金は男女同額。この格差の是正に乗り出しのがビリー・ジーン・キングその人に他ならない。では、この男女の格差を埋める契機となった出来事は何か。それこそが、バトル・オブ・セクシーズであった。歴史について興味のある向きはネットでいくらでも調べられる。ここからは純粋に映画の感想のみをば。

エマ・ストーン!ビリー・ジーン・キングになりきっている。架空のキャラクターを演じるのと、実在の人物を演じるのとでは、役者によってアプローチが異なる。例えば、Jovianは東出昌大を根本的には大根役者だと評しているが、『聖の青春』の羽生善治役は良かった。一方で『OVER DRIVE』の整備工役では、整備する部分では良かったが、兄という部分を演じきれていなかったように感じた。東出はあくまで例であって、東出が嫌いであるというわけではないので悪しからず。エマ・ストーンの何が際立って素晴らしいかは、そのテニスを見れば分かる。ライジングショットやドライビング・ボレーなど、この時代に存在していただろうか?と疑問に感じるショットも2つほどあったが、全体的にテニスが古かった。これは褒め言葉である。ラケットの形状および材質、性能の点からトップスピンがそれほどかけられず、スライス主体のテニスにならざるを得なかった。また、フィジカル・トレーニングや栄養学の知識が現代ほどの発達を見ていなかった時代なので、ベースラインの真上もしくはすぐ後ろあたりでコート全面をカバーしながら、隙あらば一撃で撃ち抜くテニスではなく、チャンスと見ればネットに詰めてボレーでポイントを稼ぐテニスである。今現在、コーチとして活躍している中で、この頃のテニスの名残と現代テニスの萌芽の両方を経験しているのは、ボリス・ベッカーやステファン・エドバーグであろう。もちろん、試合のシーン、特にテレビカメラ視点のテニスのボールはCGだが、それでも『ママレード・ボーイ』のような、どこからどう見てもCG丸出しではないCGが良い。アレは本当に酷かった。あれなら若い役者にしこたまテニス特訓させて、監督が満足できるショットが撮れるまで粘れば良かったのだ。Back on track. エマことビリー・ジーンがもたらしたのは男女の賞金格差解消だけではない。原題の Battle of the Sexes が意味する性は、男女だけではない。劇中で描かれる女同士の関係とその後のカミングアウトは、かのマルチナ・ナブラチロワに巨大な影響を与えた。そのマルチナ・ナブラチロワの名前を受け継いだのが天才マルチナ・ヒンギス。彼女がライジング・ショットの応酬で伊達公子を圧倒したのを見て、時代の一つの転換点を感じ取ったファンも多かった。そのヒンギスを圧倒したのがヴィーナスとセレナのウィリアムス姉妹であった。この姉妹がテニスにもたらしたのは、パワーだけではなく黒人のアスレティシズムそのものであった。そのことは劇中でも、「テニスに色がもたらされる」という形で表現されていた。この色とはテニスウェアやシューズの色のことだ。今でもウィンブルドンは厳格なドレスコードを維持しているが、全米オープンその他の大会は本当に華やかだ。しかし、テニスが単なるプロフェッショナリズムではなくエンターテインメントに進化し始めたのも実はこの時代だった。他スポーツで同じぐらいのインパクトを残した女性アスリートと言えば、寡聞にしてクリスティ・マーティンぐらいしか知らない。それでも女子ボクシングが男性ボクシング以上または同等に人気がある国というのは韓国ぐらいであろう。そういう意味でも、ビリー・ジーンの残した足跡の巨大さは他の追随を許さない。コート夫人で知られるマーガレット・コート、マルチナ・ナブラチロワ、シュテフィ・グラフらは All Time Great であることに論を俟たない。そしてビリー・ジーン・キングは Greatness そのものである。

世紀の対決のもう一方の主役であるボビー・リッグスにはスティーブ・カレルをキャスティング。『プールサイド・デイズ』でもきっちりクズ男を演じていたが、今作ではクズはクズでも意味が異なる。ギャンブル依存症で女性蔑視のお調子者、テニスの練習はするものの真摯に向き合っているとは思えない姿勢、二人いる腹違いの息子の片方には見放されるような男である。しかし、このダメ野郎が試合を通じて少しずつ真剣味と情熱を取り戻していく様がプレーを通して我々に伝わって来るのだ。もちろん演出や編集の手腕もあろうが、この役者の本領発揮とも言えるだろう。

細部にこだわって観るも良し。世紀の一戦までのビルドアップのサスペンスとスリルに身を任せるも良し。テニスファンのみならず、スポーツファン、映画ファン、そして広く現代人にこそ見られるべき作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・ストーン, スティーブ・カレル, スポーツ, ヒューマンドラマ, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on バトル・オブ・ザ・セクシーズ -性差を乗り越えた先にあるものを目指して-

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