Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 監督:ウッディ・アレン

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -劇場鑑賞-

Posted on 2024年5月2日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 75点
2024年4月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞

出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

 

『 ミッドナイト・イン・パリ 』が劇場にて再上映ということでチケット購入。

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

ポジティブ・サイド

『 マリの話 』の高野徹監督はホン・サンスから多大な影響を受け、そのホン・サンスは韓国のウッディ・アレンと呼ばれることもある。インテリ男性が女性と恋に落ちるが、なんだかんだで失恋してしまう。男の願望と現実が絶妙にブレンドされた作品を産み出すのがウッディ・アレン。そのストーリーテリングの妙味は本作でも遺憾なく発揮されている。

 

ポールとギルを通じて知識と教養の違いが明らかにされている。すなわち前者はそれ自体を蓄積するもの、後者はそれを使って仕事や趣味を充実させるもの。ギルの文学者や芸術家への憧憬があり、それが彼の葛藤にもなっているが、逆にそれによってパリを堪能できている。対するポールはパリを解説するばかり。男たるもの(という表現は不適切かもしれないが)、ギルのように生きたいものだ。

 

不思議なタイムスリップをしながらも「黄金時代症候群」は現代特有の病ではなく、いつの時代の文化人も罹患した、ある意味で普遍的な病理だったということが分かる展開は秀逸。

 

Jovian妻は冒頭から最終盤まで、パリの街を堪能したとのこと。以前に一人旅をした時にあちこちを歩いたことがあり、映画のままのパリを思い出したという。俺もパリジャンの友達にいつか会いに行きたいなあ。

 

ネガティブ・サイド

何回観てもレイチェル・マクアダムス演じるイネズが必要以上に不愉快なキャラに見えてしまう。もっと普通の、もっと stereotypical な嫌な女でよかったのに。何故にここまで不快な女性に仕立ててしまったのだろうか。 

 

総評

暗転した劇場、大画面、大音響で鑑賞するだけで物語の面白さが一割増しになる気がする。DVD鑑賞時は70点だったが、77点に感じられたので75点としておく。中年カップルや女性のおひとりさまが多く、総じて客層は良かった。ゴールデンウィークのデート・ムービーにぴったり・・・かどうかは結婚しているかどうかによる。未婚向けか既婚向けかは、実際に鑑賞して感じ取ってほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

by day, by night

アドリアナの台詞に “I don’t know if Paris is more beautiful by day or by night” のようなものがあった。by day と by night はしばしばセットで使用される。意味は「昼は、昼に」と「夜は、夜に」だが、対称性を表現したい時に使われることが多い。

He is Bruce Wayne by day and Batman by night. 
彼は昼間はブルース・ウェインで夜はバットマンだ。

のように使う。He is Bruce Wayne during the day and Batman at night. と言ってもいいが、あまりナチュラルには感じない。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 貴公子 』
『 ザ・タワー 』
『 キラー・ナマケモノ 』

 

Midnight in Paris [Blu-ray]

Midnight in Paris [Blu-ray]

  •  
Amazon

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, ファンタジー, マリオン・コティヤール, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレンLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -劇場鑑賞-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201204011659j:plain
 

近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

Posted on 2020年7月12日2021年1月21日 by cool-jupiter

レイニーデイ・イン・ニューヨーク 70点
2020年7月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ エル・ファニング セレーナ・ゴメス
監督:ウッディ・アレン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712134926j:plain
 

ウッディ・アレン監督作の『 教授のおかしな妄想殺人 』や『 カフェ・ソサエティ 』がMOVIXあまがさきでリバイバル上映されていた。残念ながら再鑑賞のタイミングが合わなかったが、この巨匠はおかしな人間模様をスタイリッシュな絵で切り取らせると右に出る者がいない。本作はそんなアレンの特徴がよく出た秀作である。

 

あらすじ

ギャツビー(ティモシー・シャラメ)はポーカーで得た大金でガールフレンドのアシュリー(エル・ファニング)と自身の地元ニューヨークで最高の週末を過ごそうと考えていた。アシュリーも有名映画監督へのインタビューをニューヨークで行えるチャンスを手にしていた。二人は意気揚々とニューヨークに向かうが、ほんのちょっとしたことから思わぬすれ違いが生じてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712135010j:plain
 

ポジティブ・サイド

オープニングからスクリーンを彩る鮮やかな背景やオブジェ、ガジェットや衣装に目を奪われる。シャラメのナレーションで田舎と形容されるヤードレー大学のキャンパス。そのオーガニックな木々や芝生や、あるいは道路の向こうに広大に広がる田園風景が、ニューヨークの象徴でもあるイエローキャブによって一挙に別種の色彩を帯びる。人工的で、なおかつ美しい色彩だ。街並みのみならずホテルやレストラン、その調度品などに至るまで色調が完璧に計算されており、その映像美だけでも、自分が日本からニューヨークに移動し方のように感じさせられる。匠の技である。

 

映画の形式(フォーム)の面でのユニークさは映像美だけに留まらない。これは超高速会話劇でもある。かといって『 シン・ゴジラ 』のように、ナード的なキャラクターが高速でまくしたてるのではなく、教養豊かなギャツビーとその周囲のキャラクターが織り成すユーモアと毒とトゲのある会話である。Jovianの妻はギャツビーを鼻持ちならない奴と見たようであるが、Jovian自身は首尾一貫してこのキャラクターに共感することができた。スノッブでも衒学的でもなく、本当に言語のセンスに長けた博識な若者に映った。自分でも時々感じるが、教養というのはひけらかすものではなく、勝手ににじみ出るものであるべきだ。反省しよう。ギャツビーみたいな良い男を目指そう。そうそう、本作におけるギャツビーの独白、心の声は『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンに近い味わい深さがある。よくよく耳を澄まされたし。また『 マリッジ・ストーリー 』でアダム・ドライバーが予想外の歌唱力を披露してくれたように、シャラメも本作でピアノ弾き語りを披露する。そちらの歌も必聴である。

 

ヒロインのエル・ファニングも味わい深い。はっきり言ってお馬鹿さんなのだが、そこが可愛らしく愛おしい。彼女を徐々に巻き込んでいく騒動は、彼女自身の魅力に端を発している。もっと言えば、ウッディ・アレン自身がエル・ファニングに愛されたい、敬服されたい、称賛されたいという欲望を持っているからこそ生まれたストーリーなのだろう。本作に登場する数々の中年のおやじキャラは全てアレンの分身なのではないかと疑いたくなる。エル・ファニング(というよりもアシュリー)のどこがそれほど魅力的なのか。一つには、目だと思う。目は口程に物を言うものだが、そのまっすぐな瞳に射抜かれれば、たいていの男はイチコロだろう。それほど今作におけるファニングの目、そして笑顔は魅力的であり説得力がある。ジャーナリスト志望ということは、まだジャーナリストではないわけで、彼女は単なる学生であり、子どもである。実際に作中でも15歳の少女扱いされるシーンがあるが、まだ何物でもない魅力的な女子に向き合うことで、男は、たとえば年齢や職業や肩書や社会的地位といった一種の虚飾から自由になれる。ただの男になれるわけだ。このエル・ファニング演じるアシュリーの魅力に、ぜひ魅了されたし。

 

惹かれ合いながらも何故かすれ違ってしまう恋人同士。雨のニューヨークに感じる旅情。映像美と音楽。これはウッディ・アレンの快作である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712135040j:plain
 

ネガティブ・サイド

セレーナ・ゴメスは悪い役者ではないが、作品世界にはまっていなかった。なんだかちんちくりんに見えるのだ。いっそのことゴメスとファニングの逆にキャスティングしてみたら?それもそれでセレーナが爺殺しの魅力を発揮したかもしれない。

 

ギャツビーの兄のフィアンセの笑い方が、兄に結婚を躊躇させるほどのものだったか?確かに奇妙な笑いであるが、これは本作のテーマである“価値観の違い”というよりは、生理的な、あるいは生得的な好悪の問題だろう。もっとスプーンやフォークの使い方が~とか、音楽や映画の趣味が~とか、そういった設定にはできなかったのだろうか。

 

少しだけ気になったのは、ギャツビーの母が“アシュリー”を見抜くシーン。母が夫に「何か変じゃない?」と語りかけるシーンは不要だったし、その筋の道の人間にしか分からない、ほんのちょっとした所作や仕草のようなものを一瞬だけで良いので見せてくれていたら、非常に説得力あるシークエンスになったはずなのだが。

 

総評

約1時間30分とは思えないほど濃密な映画である。まさに梅雨空の続く今にふさわしい映画であると言える。夫婦で鑑賞すれば、すれ違いのあれやこれやを笑い飛ばせることもできる。ただし、デートムービーにはならないかもしれない。都会人の男と田舎出身の女子、というくくりは乱暴すぎるかもしれない。だが、ガールフレンドと一緒に本作を鑑賞しようともくろむ男子諸君には、映画の中身をよくよくリサーチされたしとアドバイスしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Time flies.

「光陰矢の如し」の意味だが、もっと単純に「時間が過ぎるのは早いもの」ぐらいでよい。仕事に集中していて、気が付いたら定時。飲み会ではしゃぎすぎて、気が付いたら終電間近。そんな時に“Time flies.”と呟いてみようではないか。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エル・ファニング, セレーナ・ゴメス, ティモシー・シャラメ, ラブコメディ, ラブロマンス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

最近の投稿

  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-
  • 『 RRR 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』 -すべてはビジョンを持てるかどうか-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme