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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 吉田羊

『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

Posted on 2019年10月2日2020年8月29日 by cool-jupiter

記憶にございません! 70点
2019年9月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:中井貴一 ディーン・フジオカ 吉田羊 石田ゆり子
監督:三谷幸喜

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「そのようなことは、えー、わたくしの記憶にはですね、えー、全くございません」 小学校高学年ぐらいだったJovianは徐々にテレビのニュースを見るようになったが、このような答弁をするオッサン連中を見て、記憶力が悪くても政治家になれるのか、と無邪気に感じたことを今でも覚えている。そんないたいけな少年だったJovianも今ではすれっからしになってしまった。だからこそ、本作を楽しめるのだとも言える。

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あらすじ

2.3%という史上最低の支持率を叩き出してしまった黒田啓介(中井貴一)は、演説中に一般人に投げられた石が頭に命中してしまい、小さな頃の記憶以外を失ってしまった。人望も人徳もなく、記憶までなくしてしまった黒田は、秘書官らのサポートの元、記憶喪失を隠しながら公務を行うのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

この撮影の仕方は通常の映画撮影のそれではない。舞台演劇を映画化するような際に用いられる撮影技法がふんだんに使用されている。たとえば『 オペラ座の怪人 』の舞台の映画化などが好例である。光と影のコントラストを鮮やかに映し出したり、遠景と近影を使い分けたりといったことは、ほとんどしない。その代わり、ロングのショットで忠実にキャラクターの仕草や表情を映し出す。物語の冒頭や締めにドラマ『 ER 』的なキャラクターの入れ替わり立ち替わりショットを入れることはよくある。『 恋は雨上がりのように 』で、あきらのバイト先でそのようなショットが使われたし、ドラマ(および映画)の『 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 』のエンドクレジットのシーンはまんまERのパクリである。しかし、全編これ、ロングのショットでキャラクターの近影を映し続けるというのは、邦画ではかなり斬新なアプローチである。それゆえに中井貴一の表情の演技が抜群の輝きを放っている。I take my hat off to撮影担当の山本秀夫氏。

 

キャラクター同士の掛け合いも適度な笑いを喚起する。特に黒田総理が自身の家に帰ってきたシーンや家族との団らんになっていない団らんシーンは、プッと吹き出さずにはいられないおかしさがある。小池栄子のコミック・リリーフも効果的に各シーンを和ませ、吉田洋と中井貴一の“現場”から放たれる期待感と失望感は、漫画的な面白さだけではなく「本当にこういう現実があるのかも?」というリアリティを有していた。実際に山尾志桜里議員を思い起こした観客も多いだろう。ちなみに不倫はある種の普遍性を有した文化であることは『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』からも分かる。

 

永田町や官邸内の権力闘争、ジャーナリズムと権力の関係、政治と庶民の関係など、かつてないほどに政治に対する期待が高まっている中で、肝心の政治がそれにほとんど答えられていない。そんな中で、一種の清涼剤的な役割を本作が果たしていることが現在の快調な興行収入につながっているのかもしれない。事実、法人税を少し上げれば消費税を下げられるのではないかという黒田の無邪気な疑問は、まさにれいわ新撰組の主張そのものである。こうした現実へのうっ憤を、本作はある程度晴らしてくれるのである。

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ネガティブ・サイド

英語で ”all persons fictitious” disclaimer と呼ばれる注意事項がある。日本語では「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空であり実在のものとは関係ありません」というアレである。本作は開始早々に「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空ですが、類似のものがあるとすれば、それはたまたまです」と宣言する。こちらは期待に胸を躍らせて『 新聞記者 』のパロディもしくはコメディのような現政権批判が見られるのかと期待したが、不発だった。念のために言っておくが、Jovianは自民党が嫌いなわけではなく、権力全般が嫌いなのである。特に権力を正しく使わない人間が嫌いである。

 

Back on track. 「総理の奥さんになれば、何でもできるんですねえ」という黒田の台詞は、当然のことながらアッキード事件を指しているわけだが、三谷幸喜はもっともっと現実の政治を面白おかしくパロディにできるはずだし、そうすべきだった。K2プロジェクトというのも、正直なところ期待外れ。もっと国立競技場だとか、五輪絡みのアホな建設プロジェクトをパロって、現実を鋭く抉りながらも、笑いに昇華できたはずだ。

 

全体的に役者は良い芝居をしているが、一部、ディーン・フジオカの台詞はアフレコになっていた?唇の動きと発せられる言葉が一致しないように見えるシーンが序盤にあった。確かにロングのショットを多用していて、ひとつNGがあれば最初から全てやり直しという、非常に難しい撮影現場であったと思うが、もしもアフレコするのであれば、もっとリップシンクに厳密になってもらいたいと思う。『 空飛ぶタイヤ 』でフジオカを指して、スーツ以外の衣装はまだ着こなせないと評したが、逆に言えばスーツは着こなせているのだ。

 

総評

中学生にはちょっとアレな描写もあるが、高校生ぐらいからならOKだろう。政治とは何か。誰のために政治が行われるのか。もちろん、気に入らない政治家に石を投げつけるのは論外であるが、大して毒でも刃でもない言葉を浴びせるだけで警察に排除されてしまうのが昨今の日本なのである。政治ネタを笑うと共に、政治に対する意識をもう一度高めるためにも、本作を見て大いに笑い、そして政治に対する目を厳しく持とうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t recall.

 

ドナルド・トランプ米大統領の選挙戦でロシア側と接触したとされる人物が、この台詞を連発したことは記憶に新しい。rememberという動詞を使いたくなってしまうが、覚えているものをそのまま思い出せるならremember、頑張って頭の中をあれこれ探って思い起こす時にはrecallを使うべし。車に欠陥が見つかればリコールされる、というアナロジーで理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, ディーン・フジオカ, 中井貴一, 吉田羊, 日本, 監督:三谷幸喜, 石田ゆり子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

Posted on 2018年11月3日2020年9月21日 by cool-jupiter

ハナレイ・ベイ 70点
2018年10月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉田羊 佐野玲於 村上虹郎 佐藤魁 栗原類 
監督:松永大司

 

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原作は村上春樹とのこと。Jovianは読書家であると自負しているが、村上春樹は読んだことが無い。これからも読まないだろう。同じことは東野圭吾にも当てはまる。彼の作品は2冊だけ買ったが、どちらも最初の20ページで挫折した。本作品を鑑賞するに際して、一抹の不安があったが、それは杞憂であった。

 

あらすじ

サチ(吉田羊)は一人息子のタカシ(佐野玲於)がハワイのハナレイ・ベイで死亡したと連絡を受ける。サメに襲われ、右足を噛みちぎられた死体の身元確認を粛々と行うサチ。手形を取ったので持ち帰ってほしいという地元の女性の声も聞き入れることができない。息子との関係は決して良好なものではなかった。しかし、あまりに突然の息子の死を受け止める術を知らないサチは、それから10年間、毎年ハワイのハナレイ・ベイを訪れ、日がな一日、読書をして過ごすようになる。ある時、日本人サーファーから「片足の日本人サーファーがいる」との噂を耳にしたサチは・・・

 

ポジティブ・サイド

ハワイの自然の美しさと恐ろしさは誰もが知るところである。キラウエア火山からの噴石が遊覧船を直撃したというニュースもあった。しかし、そんな自然の猛威、暴威などは描写されない。冒頭のタカシの死で充分だ。島民が「この島を嫌いにならないでほしい」という切なる願いは、しかし、サチには受け入れられない。まるでDV被害に遭った妻が、それでも家に帰ってしまうように、カウアイ島を毎年訪れてしまうサチに対して、無性に悲しみと憐れみを感じてしまった。サチは島を愛しているのではない。島を受け入れようとしても、それができない。息子の命が絶たれた呪われた土地に縛りつけられているのだ。一人息子を失ったという、行き場を無くした悲しみを胸にハワイを彷徨するサチは、まるで鬼子母神のようですらある。

 

鬼夜叉にも心は有る。E・キューブラー・ロスの『 死ぬ瞬間 』の考え方を敷衍、援用するとすれば、サチはタカシの死を「 受容 」する段階の手前で止まってしまっている。死とは、『 君の膵臓をたべたい 』や『 サニー 永遠の仲間たち 』で述べたことがあるが、生物学的な意味での生命活動を終えること=死では決してない。死とは、相手が生き生きとしていた記憶をこれからも持ち続けるのだという決意によって規定される現象である。葬式とは死を確認する儀式ではなく、思い出を共有する儀式だ。その意味で、サチは息子の死を受け入れられない。タカシの生の記憶があまりにもネガティブなそれであるからだ。そんな形で息子と離別したくはなかった。そのような後悔の念に心の奥底で苛まされている女の心情を、あてどもなく彷徨い続けることでこれ以上なく描出してくれた吉田羊は、表現者としての階段をまたさらに一歩上ったのではないか。『 ラブ×ドック 』や『 コーヒーが冷めないうちに 』といった珍品への出演が目立っていたが、ここに来て一気に株を上げてきた。この母親像は『 スリー・ビルボード 』のミルドレッドに迫るものがあるし、片親像としては『 ウィンド・リバー 』のランバートと相通ずるものがある。

 

本作は大人の映画でもある。安易にナレーションや、説明的な台詞を使わない。ドラマチックなBGMを挿入しない。兎にも角にも、ひたすら吉田羊にフォーカスすることで、いかに彼女の抱える闇が暗く、深いものであるのか、それが逆説的に愛の大きさを表すのだということ、観る者に明示しない手法を称賛したい。何でもかんでも説明したがる作品が増えてきている中、もう少し観客を信用してもよいのではないかと常々思っていた。本作には我が意を得たりとの思いをより一層強くさせられた。

 

そうそう、吉田羊の英語。あれこそが、日本の普通の学習者が目指す姿であるべきだ。はっきり、ゆっくり、難しい語彙などは用いずに、相手の目を見て話す。外国語を話すときは、この姿勢が大切だ。自身の英語力の低さに悩まされるサラリーマンも、ここから何某かのインスピレーションを得られるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

これは監督の意向なのだろうが、サーファー役の二人は、少し滑舌が悪いのではないだろうか。素人っぽさを意識したと言えばそれまでなのだろうが、この2人組が喋ると、ただでさえゆったりと感じられるハワイの時間が、さらにスローに感じられた。また、ブルーシートを使った疑似サーフィンシーンでのカメラ目線は必要だったか。全体的にスリムダウンすれば、もう5~10分は短縮できたはずだ。本作のように、ただひたすらに歩くシーンを追う映画は、存外に観る者の体力を消費させる。90分ちょうどぐらいが望ましかった。

 

総評

これは高校生~大学生ぐらいの男子向けなのではないだろうか。男という生き物は、どういうわけか何歳になっても、母親に何か言われると反発してしまう性の持ち主だ。だが、本作を見て何かを感じ取れれば、それは男として一皮むけた証になるかもしれない。静かだが、力強い余韻を残してくれる傑作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 吉田羊, 日本, 監督:松永大司, 配給会社:HIGH BROW CINEMALeave a Comment on 『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

ラブ×ドック

Posted on 2018年5月29日2020年1月10日 by cool-jupiter

『ラブ×ドック』 35点

2018年5月27日 高槻アレックスシネマにて観賞
主演:吉田羊 野村周平
監督・脚本:鈴木おさむ

*本文中に一部ネタバレあり

この映画のデモグラフィックは一体どこにあるのであろうか。30代後半~40歳ぐらいの女性がメインターゲットとしてまず思い浮かぶが、その場合、観客は吉田羊に感情移入すべきなのか、それとも大久保佳代子に感情移入をすべきなのか。端的に言えば、Jovianは吉田のキャラクターは全く好きになれなかった。理由は後述したい。

物語はナレーションで、35歳から40歳の吉田羊演じる郷田飛鳥の人生を描くと宣言するところから始まる。飛鳥がIT社長宅で豪勢な夕食を作って、プロポーズされるのを待つのだが、ここで観客はいきなり飛鳥の本性を見せつけられる。過去に同じ相手からプロポーズを受けた時に、相手の事業がまだ軌道に乗っていないということから結婚に踏み切れなかったが、今やビジネスは順調に拡大、前途にも不安が無さそうだ、となったところで相手の気を惹こうと豪華なディナーを作るところでドン引きである。少なくとも自分は引いたし、嫁さんも引いていた。ある程度の年齢に達していながら独身である、しかし早く結婚したいんだ、という気持ちを爆発させる女子を描いて世界中の女子の共感を得たブリジット・ジョーンズは、女のダメダメな部分を凝縮させたようなキャラがしかし、どういうわけかイケメン2人の間で行ったり来たりをしてしまう、というご都合主義ゆえに大ヒットした。しかし、郷田飛鳥が体現しているのは女のダメな部分ではなくイヤな部分だろう。開始5分でいきなりキャラに嫌悪感を抱かせるとは・・・ ここから鈴木おさむ監督はどのようにひっくり返してくるのか・・・という期待は大いに裏切られるのであった。

吉田鋼太郎演じるペイストリーショップ経営者との不倫は、色気もなければ罪悪感を感じさせる描写もない。挙句、「どうも奥さんとは別れてくれるっぽいんだよね~」や大久保佳代子演じる親友・細谷千種から注意されても「私は大丈夫だよ」と能天気に返すところなど、イヤな女っぷり全開のまま。もう一度強調しておきたいが、ブリジットがあれだけ世界中の女子から愛されたのは、彼女がダメなところを隠さない女だったからだ。イヤとダメの違いに注意されたい。イヤ=打算的、ダメ=努力できないと考えてもらえればいい。飛鳥と千種の会話から明らかになるが、ミスコンに勝つために美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)大学を選んで入学した、美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)演劇部を選んで入部し、芸能界入りを窺っていた、など観る者をドン引きさせるイヤな要素をこれでもかと並べ立ててくる。このことが後に、飛鳥と千種の対立軸に発展するのだが・・・

2人目の玉木宏演じるスポーツジムのインストラクターとも、成行きのままにベッドイン。相手は千種がほのかな想いを寄せている男性であると知りつつ、その千種を使って2人きりのデートに持ち込むところなど、この女に罪悪感は無いのかと思わされる。そしてそのまま千種に交際の報告する。絶交される。そりゃそうだ。

3人目は野村周平演じる星矢。この男が飛鳥の本命にして・・・ あまり書くとレビューを通り越してしまうので控えるが、ここで飛鳥は観る者の共感を決して得られないであろう選択肢を選んでしまう。これまで自分の年齢など気にかける素振りもなかったのに、ほんの少しの出来事でそれまでに築き上げてきた自己像を自ら破壊してしまう。星矢と別れた飛鳥はこれまで以上にパティシエとしての仕事に精を出すものの、そこに予想しなかった客がやって来て・・・

さて、ここまで長々とレビューを読んで頂いたわけですが、いつになったら物語の焦点であるラブ×ドックが出てくるのかと訝しくなってくる頃でしょう。ご安心めされ。広末涼子の経営するラブ×ドックはあっても無くても物語に特に影響を与えることはない。本来ならば、一人また一人と飛鳥が出会いを経験するたびにラブ×ドックに赴き、何らかのカウンセリングを受けたり怪しげな注射をされたりすることで、事態が思わぬ方向に進展して・・・とならなければおかしいのだが、そんな展開は一切無い。完全に脚本段階でのミスというか、深夜ドラマを2時間枠にしてキャスティングだけ豪華にして作ってみました感が漂っている。これを観るぐらいなら、もっと有意義な金と時間の使い方を探すべきだ。よほど出演者に思い入れがないと、劇場観賞はキツイだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンティック・コメディ, 吉田羊, 日本, 監督:鈴木おさむ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on ラブ×ドック

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