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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ロマンティック・コメディ

『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

Posted on 2018年11月11日2019年11月22日 by cool-jupiter

覚悟はいいかそこの女子。 55点
2018年11月8日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:中川大志 唐田えりか 小池徹平 伊藤健太郎
監督:井口昇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181111125306j:plain

おそらく誰もが食傷気味の少女漫画の映画化を何故観ようと思い立ったのか。それは『 食べる女 』にチョイ役ながら出演することで映画sceneに帰って来た小池徹平を観るために他ならない。決して唐田えりか見たさではなかった・・・はず。

 

あらすじ

自他共に認める愛され男子の古谷斗和(中川大志)は、実はただのヘタレ男だった。彼女を作った友人に「鑑賞用男子」と揶揄されたことに発奮、彼女を作ろうと意気込んで三輪美苑(唐田えりか)に「俺の彼女になってくれない?」とイケメンオーラ全開で臨むも、あっさりと撃墜されてしまう。それでも懲りずに猛烈アタックを続ける斗和は、ある出来事をきっかけに美苑の住む部屋の隣で一人暮らしを始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

単なる少女漫画ものと思うなかれ。意外にも社会派の側面を持った作品である。具体的には貧困問題と一人親家庭である。後者はかつては欠損家庭とも呼称されていた。離婚もしくは片親・両親の死などによって、子が親以外の血縁者と暮らす世帯は“欠損”していると看做された時代が、ほんの十年、二十年前までは確かにあった。ヒロインである美苑を取り巻く環境は、主人公の斗和のそれとは違い、重く暗い。それをどう取り除くのか。言い換えれば、斗和がどれだけ三枚目になれるのか、または汗水垂らして頑張れるのかが見所になる。ただのイケメンでは貧困も寂しさも紛わせないからだ。そして中川大志は予想を超えるとはまでは言わないが、期待を裏切らない仕事をした。特にある決意を固めるときの表情と、三枚目に「堕ちる」時の表情は味わい深く良かった。中でも『 ハナレイ・ベイ 』のサチのありがたい教えの一つ、「美味しいものをたくさん食べさせてあげる」を実行したのはポイントが高い。

 

本作は『 センセイ君主 』や『先生! 、、、好きになってもいいですか? 』と同じく、女子高生が教師に恋心を寄せる話でもある。その相手の教師・柾木隆次(小池徹平)がとある事情から舞台を去る理由も、極めて社会的である。こうした事情を受け入れられる背景には、日本の社会の成熟と国民の意識の変化(向上と呼んでも差し支えは無いだろう)があるからなのだが、それ以上に柾木先生の抱える事情が美苑の抱える事情と表裏の関係にあるからだ。同時に、虎が死んで皮を残すように、美苑の父は娘に絵画の才能を遺していった。柾木はその才能を豊かに花開かせた。子どもには positive male figure が必要になる時期があるが、美苑にとっての positive male figure の役割をすべて引き受けようとする斗和は見事である。これこそが本作が単なる少女漫画とは一線を画す理由である。好きな女を、その女が好きな男のところに敢えて連れて行ってやる男というのは、漫画『 スクールランブル 』を始め、いくつかの先行テクストが既に存在する。しかし、恋人以外の属性を積極的に担おうとする男を描く作品はあまり生産されてきていない。この点に本作の新しさが認められる。

 

ネガティブ・サイド

まず声を大にして言いたいのは、あんな漫画的な借金取りは存在しないし、存在してはならない、ということだ。というよりも普通に法律違反だ。Jovianは昔、信販会社にいたから分かる、というか誰でも知っていることだ。ちょっと見ただけでもドアの鍵を破壊する=器物損壊、関係のない住人宅に踏み込む=住居不法侵入、その他、恐喝、脅迫や大声で借金をしていることを周囲に知らしめてしまう、借金に全く関係ない高校生に支払いを促すような声かけなどなど、脚本家や監督、さらには原作者も何を考えているのか。『 闇金ウシジマくん 』ではないのだ。もちろん社会派の物語であるからには百歩譲ってこのような描写の数々を許容するにしても、その後に借金取りが人情味のある言葉を美苑にかけるシーンは必要か?散々に相手を痛めつけておきながら、ちょろっと優しさを見せるというのは、『 追想 』のレビューで指摘した「女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という構図と本質的には同じである。映画の最後にでも、「借金の取り立てシーンは違法ですが、ドラマチックな演出のためのものです」という文言を入れておくべし。動物愛護の観点からの注意書き、但し書きはあるのだから、こうしたことももっとアピールをすべきだ。闇金の恐ろしさを過小評価したいのではない。闇金には関わってはいけないし、もしも闇金に関わってしまったら、ホワイト・ナイトを待って耐え忍ぶのではなく、適切に対処しなくてはならない。20万人の中高生が本作を観たとして、そのうち2,000にんぐらいが何らかの間違った理解をしてしまわないことを願う。

 

他に指摘しておくべき細かい点としては、タクシーを使えということ。最後くらいは呼び捨てをやめなさいということ。まあ、高校生というのは昔も今もこのようなものなのかもしれない。

 

総評

個人的思考および嗜好に合わない部分があることから辛めに点をつけたが、存外に見どころのある作品である。父と息子のペア、または母と娘のペアなどで鑑賞すれば、親子の対話を促進させる材料になるかもしれないし、日本社会の不都合な真実というか現実に対する関心も高められるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 中川大志, 伊藤健太郎, 唐田えりか, 小池徹平, 日本, 監督:井口昇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

『クレイジー・リッチ!』 -ハリウッドの新機軸になりうる作品-

Posted on 2018年9月30日2019年8月22日 by cool-jupiter

クレイジー・リッチ! 75点

2018年9月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:コンスタンス・ウー ヘンリー・ゴールディング ジェンマ・チャン リサ・ルー オークワフィナ ハリー・シャム・Jr. ケン・チョン ミシェル・ヨー ソノヤ・ミズノ
監督:ジョン・M・チュウ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180930202209j:plain

原題は”Crazy Rich Asians”、≪常軌を逸した金持ちアジア人たち≫の意である。ここで言うアジア人とは誰か。オープニング早々にスクリーンに表示されるナポレオン・ボナパルトの言葉、”Let China sleep, for when she wakes, she will shake the world.”が告げてくれる。中国人である。中国の躍進はアジアのみならず世界の知るところであり、その影響は政治、経済、文化に至るまで極めて大きくなりつつある。そして映画という娯楽、映像芸術の分野においてもその存在感は増すばかりである。そうした事情は、今も劇場公開中の『MEG ザ・モンスター』に顕著であるし、この傾向は今後も続くのであろう。それが資本の論理というものだ。その資本=カネに着目したのが本作である。

ニューヨークで経済学の教授をしているチャイニーズ・アメリカンのレイチェル(コンスタンス・ウー)は、恋人のニック(ヘンリー・ゴールディング)が親友の結婚式に出席するために、共にシンガポールを目指す。が、飛行機はファースト・クラス・・・!?ニックがシンガポールの不動産王一家の御曹司で常軌を逸した金持ちであることを知る。そして、ニックの母のエレノア(ミシェル・ヨー)、祖母(リサ・ルー)、ニックの元カノ、新しくできた友人たちなど、人間関係に翻弄されるようになる。果たしてレイチェルとニックは結ばれるのか・・・

本作の主題は簡単である。乗り越えるべき障害を乗り越えて、男と女は果たして添い遂げられるのか、ということである。平々凡々、陳腐この上ない。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』(オリビア・ハッセーver >>>>> ディカプリオver)のモンタギューとキャピュレットの対立は貴族間の階級闘争であったが、本作はそこに様々に異なるギャップ、格差の問題を放り込んできた。それは例えば、『シンデレラ』に見出されるような、王子様に見初められる平民の娘という文字通りのシンデレラ・ストーリーの要素であり、男が恋人と母親の間で右往左往する古今東西に共通する男の優柔不断さであったり、同じ人種であっても文化的に異なる者を迎え入れられるかという比較的近代に特有の問いを包括していたり、また『ジョイ・ラック・クラブ』の世代の二世達がアメリカという土地で生まれ、成長してきたにも関わらず、アメリカ社会では生粋のアメリカ人とは認めらず、中国・華僑社会でも中国人とは認められない、二世世代の両属ならぬ無所属問題をも扱っている。また家父長不在の華僑家族におけるタイガー・マザー的存在、さらには、女の仁義なき戦い、将来の嫁vs姑による前哨戦および決戦までもがある。とにかく単純に見える主題の裏に実に多くの複雑なテーマが込められているのが本作の一番の特徴である。

詳しくは観てもらって各自が自分なりの感想を抱くべきなのだろうが、まだ未鑑賞の方のためにいくつか事前にチェックしておくべきものとしてタイガー・マザーと異人が挙げられる。民俗学や人類学の分野でよく知られたことであるが、異人は異邦の地では異人性を殊更に強化しようとする。横浜や神戸に見られる中華街、大阪・鶴橋のコリアンタウンなどは代表的なものであるし、在日韓国・朝鮮人が自分たちの学校を作り、民族教育を行うのも、異人性の強化のためであると考えて差し支えない。中国人には落地生根という考え方がある。意味は読んで字の如しであるが、落地成根とは異なるということに注意されたい。本作で最大のサスペンスを生むレイチェルとエレノアの対峙は、ある異人は他の異人を受け入れられるのかという問いへの一定の答えを呈示する。彼女たちは中国にルーツを持ちながらも、生まれ育った土地や文化背景を本国とは異にする者たちである。彼女たちの相克は、世代間闘争であり、経済格差間闘争であり、文化間闘争でもある。この“闘う”という営為に中国人が見出すものと現代日本人が見出すものは、おそらく大きく異なることであろう。それを実感できるというだけでも、本作には価値があると言える。

本作を鑑賞する上で、先行テクストを挙げるとするなら、エイミー・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』であろう。Jovianの母校では、一年生の夏休みの課題の一つは伝統的にこの小説を原書で読み感想文を英語で書くというものだった。それは今もそうであるらしい。今までにチャイニーズ・アメリカン、コリアン・アメリカン、フィリピーノ・アメリカン、コリアン・カナディアン、ジャパニーズ・アメリカンらにこの小説を読んだことがあるかと尋ねたことがあるが、答えは全員同じ「俺たちのようなバックグラウンドの持ち主で読んでいないやつはいない」というものだった。映画化もされており、大学一年生の時に観た覚えがある。そこで麻雀卓を囲む母親の一人がニックの祖母を演じたリサ・ルーである。『ジョイ・ラック・クラブ』が伝えるメッセージを受け取った上で本作を鑑賞すれば、上で述べた闘争の本質をより把握しやすくなるだろう。

長々と背景について語るばかりになってしまったが、映画としても申し分のない出来である。それは、演技、撮影、監督術がしっかりしているということだ。特にニック役のヘンリー・ゴールディングとその親友を演じたクリス・パンは素晴らしい。ヘンリーは演技そのものが初めてであるとのこと。今後、ハリウッドからオファーが色々と舞い込んでくると思われる。しかし何よりも注目すべきはミシェル・ヨーである。一つの映画の中で嫌な女、強い女、責任感のある女、認める女とあらゆる属性を発揮する女優は稀だからだ。『ターミネーター』と『ターミネーター2』におけるリンダ・ハミルトンをどこか彷彿させるキャラクターをヨーは生み出した。この不世出のマレーシア女性の演技を堪能できるだけでチケット代の半分以上の価値がある。

『MEG ザ・モンスター』の原作からの改変具合、特に中国色があまりに強いことに拒否反応を示す人がいるだろうが、Jovian自身が劇場の内外(ネット含む)で聞いた残念な感想に、「なぜ皆、あんなに英語が上手なのだ?」という、無邪気とも言える疑問である。おそらくこのあたりに真田広之や渡辺謙がハリウッド界隈で日本一でありながらアジア一ではない理由がある(アジア一はイ・ビョンホンだろう)。なぜ本作の中でK-POPがディスられながらも日本文化はスシ(≠寿司)の存在ぐらいしか言及されないのか。なぜ錚々たるアジア企業やアジアの国の名前が挙げられる場で、日本の名が出てこないのか。英語というのは学問ではなく技能である。そして言語である。言語は、他者との関係の構築と調整に使うもので、特定の誰かに属するものではない。言語への無関心、そして学習への意欲の無さが、そのまま日本の国力および国際社会でのプレゼンスの低下を招いていることを、もっと知るべきだ。言語に対してアジア人たる我々が取るべき姿勢については【Learning a language? Speak it like you’re playing a video game】を参照してもらうとして、東南アジア各国は“闘争”をしているし、東北アジアでは日本と北朝鮮は“闘争”をしていないとJovianは感じる。単に時代や社会背景を敏感に写し撮った映画であること以上の意味を、アジア人たる我々が引き出せずにどうするのか。デートムービーとしても楽しめるし、深い考察の機会をもたらしてくれる豊穣な意味を持つ映画として鑑賞してもよい。台風が去ったら、劇場へ行くしかあるまい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, コンスタンス・ウー, ヒューマンドラマ, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ロマンティック・コメディ, 監督:ジョン・M・チュウ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『クレイジー・リッチ!』 -ハリウッドの新機軸になりうる作品-

『センセイ君主』 -少女漫画の映画化文法を破壊する会心のコメディ-

Posted on 2018年8月7日2019年4月25日 by cool-jupiter

センセイ君主 70点

2018年8月5日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:竹内涼真 浜辺美波 佐藤大樹 川栄李奈 矢本悠馬 新川優愛
監督:月川翔

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180807021734j:plain

率直に言う。近年の製作過多気味の少女漫画原作映画の中では突出した面白さである。そして、その面白さのおそらく50%は主演の浜辺美波のコメディックな演技力の高さから来ているのは間違いない。『となりの怪物くん』や『君の膵臓を食べたい』では抑えつけられていた(のかもしれない)ポテンシャルが一気に花開いた感がある。松屋で牛丼定食を数千円分も頬張り、パッドを入れまくって巨乳をアピールするヒロインというのは、寡聞にして知らなかった。メジャーな漫画があらかた映画化されてきたこともあるが、今後はこうしたメインストリームではない物語も脚光を浴び始めるだろう。一頃は広瀬すずや土屋太凰で埋め尽くされていた少女漫画原作の映画に新しい息吹を感じられたことを素直に喜ぼうではないか。

佐丸あゆは(浜辺美波)は女子高生。恋に恋する女子高生。漫画『スラムダンク』の桜木花道ばりの告白失敗連続記録を作ろうとしていた。松屋(食券制ではなかったか?)で牛丼をやけ食いするも、代金を払えなかったところを見知らぬ男に助けられる。翌日、めげずに次の恋へと走ろうとする健気なあゆはを神は見捨てていなかった。ロッカーにラブレターが入っていたからだ。告白を受け、さっそくデートに行くも相手の粗ばかりが目につき、結局は破局。そんな時に松屋で助け舟を出してくれた男が新任の担任教師(数学)、弘光由貴(竹内涼真)であることを知ったあゆはは、由貴のひねくれ過ぎた性格をものともせず告白するも撃沈。挙句に「俺を落としてみなよ」とまで挑発されてしまう。かくして佐丸あゆはの奮闘が始まった・・・

原作のテイストなのか、映画的演出なのか、過剰とも思えるほどの間テクスト性に溢れている(関テクスト性の具体例を知りたいという人は、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の作者コラムを読んでみよう)。もちろん『レディ・プレーヤー1』のようなクレイジーな量ではないが、『ロッキー』から『3年B組金八先生』、『ドラゴンボール』に『進撃の巨人』ネタまで放り込んでくるそのノリは嫌いではない。むしろ大いに笑わされたし、他の作品でもこうした手法は取り入れられるべきであろう。実際に劇中でジュディマリを歌うシーンがあるが、スクリーンの中の世界がこちら側の世界と地続きであると実感することで生まれる感覚というのは確かに存在する。「ああ、このキャラ達もあの作品を観たり読んだりしたんだな」という感覚が自分の中に生まれた時、確かに“さまるん”を応援したくなった自分がいた。もちろん、こうした試みを嫌がる向きもいるだろう。二時間の間は、フィクションの世界に没頭したいという人には少々酷な演出かもしれない。このあたりは観賞者の好み次第なので、自分と波長が合わないからといって、無下に否定してはならないように、自分でも注意をしたいものだ。

教師とは思えないほど薄情でシラケた態度の由貴に、一部の女子が授業のボイコットを計画するが、話してみればむしろ天然の面白キャラとして認知される。大人と子どものギャップを描き出すシーンだが、実はどちらも子どもであるということを伝える重要なシーンでもある。詳しくは作品を実際に観賞してもらうべきだが、敢えて近い対象を探すならば、『L・DK』の久我山柊聖がそのまま年齢を重ねて教師になってしまったような感じか。空手家の角田信朗は曙戦前だったか、「おっさんのかっこいいところは、かっこ悪いことを全力でやること」と喝破していた。つまりはそういうことなのだろう。ここでのおっさんを「大人」に置き換えれば、この物語での大人は誰なのか、子どもは誰なのかが逆転する。このことはさまるんの親友やその彼氏、さらにさまるんに恋心を抱く幼馴染らにも当てはまる。何がどう当てはまるのかを知りたい人は、ぜひ本作を観よう。そして本作を観たら『恋は雨上がりのように』と比較をしてみよう。大人になりきれていない大人の男が、若い女の子に迫られた時、どうするべきなのか。両作品とも非常に示唆に富む回答を提示している。本作のもう一つの特徴というかユニークさは、ヒロインとその親友のトークのえげつなさだ。トレーラーにあった「バーロー、ガチ恋したら胸ボンババボンだっつーの!」みたいな会話が当たり前のように交わされるのは、実はかなり健全な関係を築けている証拠だったりする。アメリカ映画でハイスクールが舞台だと、邦画では考えられないような容赦の無い女子トークが往々にして展開される。『スウィート17モンスター』や『JUNO ジュノ』、『ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界』などが好例だ。あまりに優等生的な関係だけではなく、多少の毒の混じった関係ぐらいがちょうど良いのである。お盆休みの予定が決まらない人は、劇場で本作を観るべし。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ロマンティック・コメディ, 日本, 浜辺美波, 監督:月川翔, 竹内涼真, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『センセイ君主』 -少女漫画の映画化文法を破壊する会心のコメディ-

トリガール!

Posted on 2018年5月31日2020年1月10日 by cool-jupiter

トリガール! 50点

2018年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
主演:土屋太鳳 間宮祥太朗
監督:英勉

英監督については、貞子シリーズと『ヒロイン失格』が駄作、『あさひなぐ』は佳作、その他は未見ということで、さほど期待せずに本作を借りてきた。結果は可もなく不可もなくといったところ。メリットとデメリットの両方を感じさせる作品であった。

メリットに関しては、土屋太鳳の少し異なる面が引き出されていたということ。これまではやたらとブリっ子役ばかりをあてがわれていたが、やっと毒のあるキャラも演じられるようになってきた。一浪して工業大学に入学してきた鳥山ゆきな(土屋太鳳)がひょんなことから人力飛行サークルに入会するところから始まる。大学行きのバスでいきなりメガネ男子に四方を囲まれてパニックになるシーンが、これから登場するパートナーを見事に予感させるコントラストになっている。そう、メガネをかけて出てくる奴は恋愛対象外ですよ、とのっけから教えてくれているわけだ。なんという分かりやすさ。オタクが恋愛対象外なのではなくメガネが恋愛対象外なのだ。そそっかしい人は混乱するか憤慨してしまうかもしれないが。

そのお相手は間宮祥太朗演じる坂場大志。非常に分かりやすい。なぜならメガネをかけていないけれど、オタク趣味全開だからだ。涼宮ハルヒとクローズが好きとか、もはや観る者を笑わせにかかってきているとしか思えない。そんな間宮も、桐谷健太とかぶる演技を見せつつも、演技力では桐谷よりも上であることを立派に証明している。元々『ライチ☆光クラブ』から『帝一の國』に至るまでエキセントリックな役でこそ輝くタイプ。今回もハマり役であったと評価できる。だが、それはあくまで演技者としてであって、登場人物としてではない。

本作のデメリットは明白で、ストーリー展開のペースが滅茶苦茶であること、そして人力飛行サークルの努力や醍醐味が充分に掘り下げられた形で描かれていないことだ。中盤のミーティング風景や材料の組み立て過程などをもう少し深めることができていれば、単に鳥人間コンテストを目指すサークルを舞台にした物語からもう一段上のリアリズムを得られただろうに。それを欠いてしまったが故に坂場が前年の失敗からあと一歩を踏み出せなくなってしまった場面に深みが生まれてこないのだ。観る者は皆、「ああ、こいつは見た目とは裏腹にオタク趣味をこじらせた不器用な奴だからこそ、仲間が苦労して作り上げてくれた飛行機を琵琶湖の藻屑にしてしまった罪悪感に苛まされているんだな」と思いたいのに、単に足がつかないくらい深い水場が怖いのだと言うのだ。いや、百歩譲ってそれが本当の理由だとしても、その恐怖を克服するために仲間が飛行機作りに費やした涙と苦労に思いを馳せて・・・というシーンが一瞬でもあれば納得できるのだ。

本作は土屋太鳳の新たな一面と間宮祥太朗の安定した演技に寄りかかり過ぎて、物語に深みを与えることに失敗した、あるいはそのことを放棄した。英監督の手腕の限界とも言えよう。しかし、この二人以外にも魅力的な俳優が結構あれこれ出演しているし、ナダル演じるペラ夫は漫画の『 げんしけん 』の部長的なポジションながら、精神的になかなか大学生を卒業できないヤングアダルトを上手く表現できていた。観て満足できるかと問われれば否だが、損をしたと感じるほどでもない。梅雨の時期に何もすることがなければ、レンタルなどで楽しむ分には良いのではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:英勉, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on トリガール!

ラブ×ドック

Posted on 2018年5月29日2020年1月10日 by cool-jupiter

『ラブ×ドック』 35点

2018年5月27日 高槻アレックスシネマにて観賞
主演:吉田羊 野村周平
監督・脚本:鈴木おさむ

*本文中に一部ネタバレあり

この映画のデモグラフィックは一体どこにあるのであろうか。30代後半~40歳ぐらいの女性がメインターゲットとしてまず思い浮かぶが、その場合、観客は吉田羊に感情移入すべきなのか、それとも大久保佳代子に感情移入をすべきなのか。端的に言えば、Jovianは吉田のキャラクターは全く好きになれなかった。理由は後述したい。

物語はナレーションで、35歳から40歳の吉田羊演じる郷田飛鳥の人生を描くと宣言するところから始まる。飛鳥がIT社長宅で豪勢な夕食を作って、プロポーズされるのを待つのだが、ここで観客はいきなり飛鳥の本性を見せつけられる。過去に同じ相手からプロポーズを受けた時に、相手の事業がまだ軌道に乗っていないということから結婚に踏み切れなかったが、今やビジネスは順調に拡大、前途にも不安が無さそうだ、となったところで相手の気を惹こうと豪華なディナーを作るところでドン引きである。少なくとも自分は引いたし、嫁さんも引いていた。ある程度の年齢に達していながら独身である、しかし早く結婚したいんだ、という気持ちを爆発させる女子を描いて世界中の女子の共感を得たブリジット・ジョーンズは、女のダメダメな部分を凝縮させたようなキャラがしかし、どういうわけかイケメン2人の間で行ったり来たりをしてしまう、というご都合主義ゆえに大ヒットした。しかし、郷田飛鳥が体現しているのは女のダメな部分ではなくイヤな部分だろう。開始5分でいきなりキャラに嫌悪感を抱かせるとは・・・ ここから鈴木おさむ監督はどのようにひっくり返してくるのか・・・という期待は大いに裏切られるのであった。

吉田鋼太郎演じるペイストリーショップ経営者との不倫は、色気もなければ罪悪感を感じさせる描写もない。挙句、「どうも奥さんとは別れてくれるっぽいんだよね~」や大久保佳代子演じる親友・細谷千種から注意されても「私は大丈夫だよ」と能天気に返すところなど、イヤな女っぷり全開のまま。もう一度強調しておきたいが、ブリジットがあれだけ世界中の女子から愛されたのは、彼女がダメなところを隠さない女だったからだ。イヤとダメの違いに注意されたい。イヤ=打算的、ダメ=努力できないと考えてもらえればいい。飛鳥と千種の会話から明らかになるが、ミスコンに勝つために美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)大学を選んで入学した、美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)演劇部を選んで入部し、芸能界入りを窺っていた、など観る者をドン引きさせるイヤな要素をこれでもかと並べ立ててくる。このことが後に、飛鳥と千種の対立軸に発展するのだが・・・

2人目の玉木宏演じるスポーツジムのインストラクターとも、成行きのままにベッドイン。相手は千種がほのかな想いを寄せている男性であると知りつつ、その千種を使って2人きりのデートに持ち込むところなど、この女に罪悪感は無いのかと思わされる。そしてそのまま千種に交際の報告する。絶交される。そりゃそうだ。

3人目は野村周平演じる星矢。この男が飛鳥の本命にして・・・ あまり書くとレビューを通り越してしまうので控えるが、ここで飛鳥は観る者の共感を決して得られないであろう選択肢を選んでしまう。これまで自分の年齢など気にかける素振りもなかったのに、ほんの少しの出来事でそれまでに築き上げてきた自己像を自ら破壊してしまう。星矢と別れた飛鳥はこれまで以上にパティシエとしての仕事に精を出すものの、そこに予想しなかった客がやって来て・・・

さて、ここまで長々とレビューを読んで頂いたわけですが、いつになったら物語の焦点であるラブ×ドックが出てくるのかと訝しくなってくる頃でしょう。ご安心めされ。広末涼子の経営するラブ×ドックはあっても無くても物語に特に影響を与えることはない。本来ならば、一人また一人と飛鳥が出会いを経験するたびにラブ×ドックに赴き、何らかのカウンセリングを受けたり怪しげな注射をされたりすることで、事態が思わぬ方向に進展して・・・とならなければおかしいのだが、そんな展開は一切無い。完全に脚本段階でのミスというか、深夜ドラマを2時間枠にしてキャスティングだけ豪華にして作ってみました感が漂っている。これを観るぐらいなら、もっと有意義な金と時間の使い方を探すべきだ。よほど出演者に思い入れがないと、劇場観賞はキツイだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンティック・コメディ, 吉田羊, 日本, 監督:鈴木おさむ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on ラブ×ドック

『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

Posted on 2018年5月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『となりの怪物くん』 55点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:菅田将暉 土屋太鳳 池田エライザ 浜辺美波
監督:月川翔

原作の漫画の方では怪物である春はもっとぶっ飛んでいて、雫の方はもっと冷淡だったように思うが、そこは映画という枠組みに上手く嵌め込むためか、キャラ設定がややトーンダウンしていたようだ。

菅田将暉はさすがの安定感で、奇声を上げてニカッと笑うキャラが良く似合う。またはシリアスさの中に無邪気さを織り交ぜることにも長けている。けれど、なにか影が薄いのだ。存在感が無いというわけではなく、精神に陰影を持つキャラをなかなか演じる機会がないせいか、その高い演技力のポテンシャルはこれまで十全に引き出されてこなかった。そして本作でも従来通りの菅田将暉だ。

相対する土屋太鳳もややマンネリ気味か。同世代のフロントランナーの一人、広瀬すずがやや迷走を見せているが、土屋はいつになったら新境地に挑戦していくのか。こんなことを言うと完全にオッサンの世迷言か妄想になるのかもしれないが、いつの間にやら一定の年齢に達していて、ある時突然「脱いでもOK」になった蒼井優みたいになってしまうのでは?それはそれで歓迎する向きも多かろうが。それでも保健室で夕陽を浴びながら春に迫っていくシーンは、これまでにない色気があった。撮影監督や照明、メイクさんの手腕もあるだろうが、土屋本人の役者としての成長を垣間見れたような気がした一瞬でもあった。

少し残念だったのは委員長の浜辺美波の出番がかなり少なかったこと。「え、これでお役御免?」みたいな感じでフェードアウトしてしまう。『君の膵臓をたべたい』から着実なステップアップを見せてくれるかと期待したが・・・ それでもこの子の眼鏡姿は西野七瀬の眼鏡っ子ver並みに似合っている(と個人的に確信している)。池田イライザは反対にほとんど印象に残らなかった。

ストーリーは分かりやすく一本調子とも言えるが、春が家族に対して抱える苦悩を、なぜ雫は素直に共感できなかったのか。母親の不在とその距離、その穴埋めが、春の境遇への理解を妨げたというのなら、もう少しそれを感じさせるシーンが欲しかった。周囲の人間がさせてくれること、してほしいと思うことは、往々にして自分のやりたいこととは一致しない。必ずしも一致したから良い結果になるわけではないのだが、春という怪物の居場所が家庭にあるのだと雫が確信できるようなショットが一瞬でもあれば、物語全体の印象も大きく変わっていたはずだ。編集で泣く泣く監督もカットしたのかもしれないが。

月川監督は小説や漫画の映画化を通じて着実にキャリアを積み重ねている。オリジナルの脚本に出会って、それをどのように料理してくれるのか、今後にも期待できそうだ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:月川翔, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

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