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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ポール・ダノ

『 THE BATMAN ザ・バットマン 』 -最もダークなバットマン-

Posted on 2022年3月13日2022年3月14日 by cool-jupiter

THE BATMAN ザ・バットマン 75点
2022年3月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロバート・パティンソン ゾーイ・クラヴィッツ ポール・ダノ
監督:マット・リーブス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220313205440j:plain

半強制の土曜出勤後のレイトショーで鑑賞。疲労した状態で3時間の長丁場映画は無謀かと思ったが、緊張感が持続する素晴らしい出来映えだった。

あらすじ

ゴッサム・シティの市長選の最中、現職市長が謎の知能犯リドラーに殺害される。その翌日には警察本部長までもが殺害されてしまう。バットマン(ロバート・パティンソン)は盟友ゴードン警部補と事件を追うが、その過程で自身とその家族の闇を見せつけられ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220313205456j:plain

ポジティブ・サイド

結論から言うと『 ダークナイト 』と同じくらい面白かった。ティム・バートンの『 バットマン 』、ジョエル・シュマッカーの『 バットマン 』、クリストファー・ノーランの『 ダークナイト 』などと比べても、ヒーローではなく探偵という意味合いが強い。また大富豪として燦然と輝くセレブであるブルース・ウェインと警察や司法の裁けぬ悪を自ら制裁する影のヒーローのバットマンというコントラストが薄れ、圧倒的にダークな雰囲気が物語全体を支配している。

BGMも良い。ダニー・エルフマンの手がけたテーマ曲のイントロ部分を変奏させたような重々しいBGMが物語全体を通奏低音になっていて、重くシリアスな空気を生み出していた。Nirvanaの ”Something in the way” も、バットマンの心情とマッチしていた。

スーパーヒーローは常に狭間に立っている。スーパーマンはクラーク・ケントで、アイアンマンはトニー・スタークで、スパイダーマンはピーター・パーカーである。人間としての生活とスーパーヒーローとしての使命が時に、というか常にぶつかり合う。本作が新しいなと感じられたのは、バットマンの正体がブルース・ウェインなのではなく、ブルース・ウェインの正体こそがバットマンである、とリドラーが喝破するところ。確かに本作では、ブルースはウェイン・エンタープライズの経営にまったく参画していないようで、バットマンとしての生き方を貫こうとする姿勢が先行作品よりも遥かに強く打ち出されている。一方で、ブルース・ウェインとしての弱さもしっかりと表現されており、マット・リーブス監督のさじ加減はかなり巧みであるという印象。バットマンは結局のところ孤児で、自分の人生にかけている positve male figure を常に探し求めている。その対象がアルフレッドであり、ゴードン警部補である。一方で、いつまでも孤児という子どものままではいられないわけで、息子はいつか(文学的な意味での)父親殺しを果たさねばならない。その対象が、本作ではペンギンであり、ファルコーネである。本作はブルース・ウェインというキャラの内面の闇に深く切り込んだ作品であり、物語そのものの重苦しさとあいまって、観ていて消耗が激しい。しかし、鑑賞後にはそれは心地よい疲労に感じられた。

ロバート・パティンソンはバットマンとしてもブルース・ウェインとしてもハマり役。個人的にはバットマン役だけを考えれば

ロバート・パティンソン > ベン・アフレック ≧ マイケル・キートン > クリスチャン・ベール > ヴァル・キルマー >>>>> ジョージ・クルーニー

という序列である。

ヴィランであるポール・ダノは、ジム・キャリーの怪人リドラーとは全く異なるリドラー象を打ち出してきた。『 ダークナイト 』におけるジョーカーのような、犯罪者というよりもテロリスト寄りの人物で、これはこれで十分に恐ろしい人物であると感じた。非イケメンで、どちらかというオタク系の外見をしているポール・ダノが white trash の一つの究極系であるリドラーを演じるというのは、キャスティング上の大勝利なのだろう。実際にポール・ダノはかなりの怪演を見せている。ジョーカーを演じると精神にダメージを負うと言われるが、このリドラーを作り上げるのも相当にダノを苦しめたのではなかろうか。とあるシーンで、スマホでバットマンと通話するリドラーは、エンドルフィンやらドーパミンがあふれ出ているかのような druggy な喋り方だった。麻薬中毒の問題もサブプロットにあるのだが、頭がおかしい人間は脳内麻薬だけでトリップできるのだなと感じさせてくれた。

バットマン初心者向けではないが、バットマン好きで、なおかつマット・リーブス監督と波長が合えば、本作はかなりの傑作と感じられることだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220313205514j:plain

ネガティブ・サイド

ゾーイ・クラヴィッツのキャットウーマンはなかなか堂に入っていたが、ロマンスの要素を含めようとしたのは感心しない。すわキスか?と期待していたキャットウーマンだったが、バットマンは単にコンタクトレンズ型カメラとイヤホンの装着具合を確かめていただけ、という距離感を保っていたほうが良かった。今作のブルース・ウェインは大人と子どもの境目の存在で、女=ロマンスの対象はノイズである。

いくら父親にあたる存在を渇望しているとはいえ、ファルコーネやらアルフレッドやらに、父トーマスのことをあれこれ言われて、それを全部信じ込んでしまうというのはどうなのか。

続編を強く匂わせる終わり方だったが、次回作ではジョーカー登場?演じていたのは誰?本作をもって『 ジョーカー 』は全てめでたく妄想ということになったのだろうか?

総評

バットマン好きなら見逃してはならない一作。しかし、逆に言えば「バットマンというのは名前しか知らない」という層にはキツイ作品だろう。事実、Jovian妻がこれに該当し、終始訳が分からなかったとのことだった。3時間あるリブートだからといって、全てを懇切丁寧に説明してくれるわけではない。知らない人からしたら「ペンギンって何?キャットって何?」となってしまう。逆にバットマン世界を知っていれば、ブルース・ウェイン/バットマンを更にもう一段掘り下げた作品として、楽しめることだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be spoken for 

割とよく使われる表現。

Someone is spoken for = 誰かにはお相手がいる

Something is spoken for = 何かが予約済み、売約済みである

という感じに訳されることが多い。劇中では “You’re already spoken for.” という具合に使われていたが、「あなたには先約がある」あるいは「あなたにはすでに相手がいる」のような字幕だった気がする。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, サスペンス, ゾーイ・クラヴィッツ, ポール・ダノ, ロバート・パティンソン, 監督:マット・リーブス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 THE BATMAN ザ・バットマン 』 -最もダークなバットマン-

『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

Posted on 2019年5月1日 by cool-jupiter

スイス・アーミー・マン 75点
2019年4月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ
監督:ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン

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ダンだらけの映画である。全編ほぼP・ダノとD・ラドクリフだけで話が進むが、監督の二人も忘れてはいけない。このキャスティング、つまり似たような名前の人間が二人で芝居を演じるは偶然なのか必然なのか。それは観る者によって意見が分かれるところかもしれない。

 

あらすじ

孤独に絶望したハンク(ポール・ダノ)は無人島で首吊り自殺をしようとしていた。しかし波打ち際に人影が。思わず駆け寄るもそれは死体(ダニエル・ラドクリフ)だった。だがハンクは気付いてしまった。その死体は、スイス・アーミー・ナイフの如く、万能のツールであることに・・・

 

ポジティブ・サイド

本作は多くの映画ファンを惑わせるだろう。だが、意味の分からない混乱をもたらすのではなく、心地よい刺激、「これはひょっとしてこうなのか?」という思考を刺激するような作りになっている。日本の映画人たちにも是非見習ってほしい姿勢である。

 

それにしてもダニエル・ラドクリフは、何故これほどに死体役がハマるのか。死人はある意味で最も演じるのが難しい。なぜなら、お手本がないからだ。誰も死体になったことがないし、死者と話したことがある人もいない。では、なぜ我々は彼の死体の演技に魅了され、そこに説得力を認めてしまうのか。それは我々が死を生の欠如と認識しているからである。言い換えれば、生きていないものは死んでいるものだという論理、認識が存在するということである。例えば、ハンクは死体=メニーが息をしていないことから死んでいることを確認するが、彼はおならという形で外界とガス交換を行っている。これは生命の定義の一つを満たしていることを意味する。またメニーは尾籠であるが、勃起もする。リビドーである。これが性および生への欲求でなくて何であろう。対照的にハンクはデストルドーに苛まれて自殺をしにきたではないか。

 

死亡に直面してこそ見えてくる命の形を描いたものに、『 ALONE アローン 』がある。シリアスなトーンをあまり好まない向きには、ユーモアたっぷりの本作を推したい。だが、本作の面白さはコメディックなユーモアだけにあるのではない。ちょっとしたミステリもある。メニーとハンクの対話は、まるで『 キャスト・アウェイ 』のトム・ハンクス演じるチャックとウィルソンのようである。おっと、いささか書き過ぎてしまったようだ。といっても、本作は解釈が分かれるように意図的に作っている作品であるからして、様々な人が思い思いの解釈を楽しむのが正解である。Jovianはダンだらけ、そしてハンクとハンクスにはきっと意味があると思っている派である。

 

ネガティブ・サイド

無人島からの脱出が少しトントン拍子すぎるように感じた。序盤のハンクの孤独をもっとねっとりと描いてくれていれば、その後の海岸や山、森林のシーンでの対話や生活がより際立ったのではないか。

 

また不法投棄されたゴミは、何かもっと違うアイテムで代替できなかったのだろうか。あんな生活感あふれるゴミがそこらじゅうに散乱しているということは、取りも直さず人里がかなり近いということだ。にも関わらず、なかなか故郷を目指そうとしないハンクには何かがあると分かってしまう。

 

総評

これは傑作である。もしかしたら駄作かもしれない。間違いなく言えるのは、珍品または怪作であるということだ。まるで個々人の面白センサーがどういう方向を向いているのかを測ってくれる、どこかリトマス試験紙のような映画である。ダニエル・ラドクリフの新境地を切り開いた作品としても長く記憶に残る作品となっているし、弱々しい男を演じさせればいま最も旬なポール・ダノの安定の演技力を堪能することもできる作品である。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダニエル・ラドクリフ, ブラック・コメディ, ポール・ダノ, 監督:ダニエル・クワン, 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

Posted on 2019年4月11日2020年2月2日 by cool-jupiter

ルビー・スパークス 70点
2019年4月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ゾーイ・カザン
監督:ジョナサン・デイトン バレリー・ファリス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190411164359j:plain

『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』デイトンとファリスの夫婦監督の作品である。本と現実世界がリンクしてしまうという筋立ては古今東西、無数に作られてきた。古くは『 ネバーエンディング・ストーリー 』、割と最近のものだと

『 主人公は僕だった 』。作者が自らが想像および創造したキャラクターに恋するプロットも陳腐と言えば陳腐だ。日本では、漫画の『 アウターゾーン 』にそんなエピソードがあったし、その作者の光原伸も、自らの生み出したミザリィに恋していたのではなかろうか。

あらすじ

弱冠19歳と時のデビュー作で文壇を席巻したカルヴィン(ポール・ダノ)は、以来10年にわたって書けずにいた。しかし、ある時、夢にインスピレーションを得て、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)というキャラを着想する。カルヴィンは執筆に没頭するうちに、ルビーに恋焦がれるようになるが、ある日、なんとルビーが目の前に現れ・・・

ポジティブ・サイド

カルヴィンというキャラクターの外面のなよなよしさ、そして胸の内に秘めたマグマのようなエネルギー。相反する二つの要素をポール・ダノは見事に同居させ、表現した。動きの貧弱さと眼鏡の奥に光る眼差しの強さと弱さ、そして意外なほどに攻撃的な口調が、このキャラの複雑さを物語る。作家というのは往々にして難しい生き物だ。綾辻行人は東日本大震災後に「書けなくなった」と語ったが、人命を小道具にするミステリ作家ならではの症状だろう。カルヴィンも同じで、父の死や、かつてのガールフレンドとの別れが、書けない自分の理由の一部を為している。我が恩師の一人、並木浩一は、作家には想像力と構想力が必要と説いた。想像力=他者になる力、構想力=世界を仕上げる力、という定義である。カルヴィンは、まず間違いなく構想力優位の作家である。ルビーとの関係に幸福を見出すカルヴィンには、しかし、ルビーの目から見た自分自身の姿がない。つまり、カルヴィンは自分で自分を知らない。そのことをルビーは最初の出会いでいきなり喝破する。愛しい相手が自分に抱いてくれる感情が変わりそうになった時、本当ならば自分が変わらねばならない。しかし、カルヴィンは創造主であるが故にその選択肢を拒否する。本作は青年の成長物語ではあるが、成長できない青年のダークサイドを見せつけるという逆説的な手法を取る。これが面白く、なおかつ背筋に何か冷たいものを感じさせられるような恐怖感や不安感も駆り立ててくる。

また脚本も書き、タイトルロールも務めたゾーイ・カザンも称賛に値する。可愛らしく、それでいて理知的で、創造性に富み、社交性も豊か。最もその魅力が際立つのは、序盤で嫉妬心から悪態をつきまくり、駄々をこねる様だ。暴れる女は無理矢理でも抱きしめなさい。なぜなら、その怒りの大きさが対象への愛情の大きさなのだから、と彼女自身が高らかに宣言しているかのようだ。

本作のカメラワークはユニークである。カルヴィンはしばしば建物や車、部屋という仕切られた空間で非常に弱い照明の光の下で映し出される。対照的に、ルビーは開放的な衣装や環境で、たっぷりと光を注がれる。ダウナー系男子とアッパー系女子の対照性が終盤に交わる時、光と影、どちらがその濃さを増すのか。Fantasticalなラブロマンスと見るか、変化球的なサスペンスと見るか。二人の織り成すケミストリーは最終的に何を生み出すのか。時々スローダウンしてしまう箇所もあるが、全体的には100分程度で綺麗にまとまった良作である。

ネガティブ・サイド

カルヴィンの家族を巡る物語は、もう少し深堀りできたのではなかろうか。このストーリーの流れでアントニオ・バンデラスが陽気にニコニコ笑うおじさんを演じているのを見れば、バイオレンスを含む何らかの陰鬱な出来事があったと想像してもおかしくはない。実際はそんなことはないのだが、ややミスキャスティングかつミスリーディングであるように感じた。

カルヴィンの兄嫁のスーザンとルビーの絡みも欲しかった。また、カウンセラーのローゼンタール先生とルビーにも何らかの接点が欲しかったと思う。ルビーという存在の虚構性ゆえに自分の周りに実在する人間に、なかなかルビーを紹介できないカルヴィンの気持ちは分からないでもない。けれども、ルビーという女子の心の変化を読み取るには、もう少し丁寧な人間関係の描写が必要だったと考えてしまうのは、Jovianが男性だからなのだろうか。

総評

本作の放つメッセージは詰まるところ、庵野秀明が『 新世紀エヴァンゲリオン 』の劇場版で観客に痛烈な形で放ったメッセージと同質のものである。つまり、「外に出ろ、俗世に交われ」ということだ。愛はそこに唯あるだけのものではない。自分が誰かを愛し、誰かから愛されるのなら、その愛を常に保ち続けるために動きなさい、働きなさい、変わりなさいということだ。婚活がなかなかうまくいかない男性には、本作は案外ためになる視聴覚的テキストになるのではないだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ゾーイ・カザン, ポール・ダノ, ラブロマンス, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

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