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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: クリスチャン・ベール

『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

Posted on 2022年10月30日 by cool-jupiter

アムステルダム 50点
2022年10月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベイル ジョン・デビッド・ワシントン マーゴット・ロビー
監督:デビッド・O・ラッセル

アメリカ史の知られざる闇に迫る作品。戦争の時代に逆戻りしつつある現代、思いがけずタイムリーな作品になった。

 

あらすじ

1930年代のニューヨーク。復員兵のバート(クリスチャン・ベイル)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)は、軍時代の恩人の死の原因を調べてほしいという依頼を、その恩人の娘から受ける。しかし、その依頼人が殺害され、バートとハロルドが被疑者にされてしまう。二人は身の潔白を晴らそうと奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

第一次世界大戦中のベルギーでのバートとハロルドにアメリカらしさ、そしてある意味での現代ロシアらしさも垣間見える。少数派をあからさまに差別し、排除する姿勢が見えるからだ。クリスチャン・ベイルが、本家デ・ニーロの前でデ・ニーロ・アプローチを披露。心身共にボロボロの平氏、復員兵かつ医師を渾身の演技で体現した。カリスマ性ではなく、普通の人間性の持ち主だからこそ、ハロルドや黒人兵士たちも彼と共に従軍できたことがよくよく伝わってくる。看護師であるヴァレリーとの出会いも極めて印象的。兵士の体から摘出した弾丸でアートを作るというのはユニークなのか、それとも戦争のもたらす狂気なのか。

 

彼らがアムステルダムで享受する自由と平和、そしてそこで育む友情が、その後のニューヨークでの不可解な殺人事件につながっているという筋立ては、まさに王道ミステリ的。となれば、ここから先は謎解きとなる。実際にハロルドとバートは様々な伝手をたどり、事件の調査を行い、有力者や協力者にあたっていく。このあたりは非常にテンポが良く、次々と新たな人物が現れ、その人物から新たな事実、新たな人間関係が明らかになっていく。

 

そしてたどり着いた殺人事件の真相。これに説得力を感じるかどうかは人それぞれだろうが、史実だというのなら受け入れるしかない。人間の欲は思想信条や平和な社会体制よりも優先されてしまう。100年近く前のアムステルダムで育まれた友情の意味を、今一度回顧すべき時期に我々は来ている。

ネガティブ・サイド

早い話が、アメリカを全体主義国家にして、戦争でバンバン儲けたいという企業経営者、富裕層による社会変革論を、主人公たちが期せずして暴いていくというストーリー。日本でも「不景気だから、そろそろ戦争でも起こってもらわないと」と発言した経団連参加者がいたと報道されたこともあったが、そういうストーリーだ。なので、一定のリアリティはある。問題は、その目的達成のために取るべき手段があまりにも回りくどいことだ。軍人を担ぐよりも、政治家を担ぐ方が確実だと思うが。また、バートやハロルドを指して「お前たちは常に監視下にある、いつでも殺せる」と脅しておきながら、そうした脅威を実際に感じさせるシーンもわずかしかない。陰謀史観論者から見たもう一方の陰謀史観論的に見えてしまう。あまりにもご都合主義的だ。

 

豪華キャストをそろえた割りにはケミストリーが生まれていない。アニャ・テイラー=ジョイとマーゴット・ロビーの二人には演技対決と呼べるようなシーンはなかったし、いぶし銀のマイケル・シャノン(この人が出ている作品はハズレが少ない)とベイル、ワシントンのコンビの間に何らかの連帯感が生まれるような展開もなかった。シーンとシーンの移り変わりのテンポの良さのために豪華俳優陣を無駄使いしている。

 

総評

『 アメリカン・ハッスル 』同様に、荒唐無稽なプロットにリアリティを与えるデビッド・O・ラッセル監督の持ち味が出ている。ただし、あくまでロシアによるウクライナ侵攻や、中国の習指導体制の強化など、ファシズムの萌芽を世界が目撃しつつある瞬間が味方したことも忘れてはならない。今作は悪があまりにも間抜けすぎて、最後は fizzle out してしまった。ただ、序盤から中盤にかけての展開はミステリアスかつスリリング。キャストも非常に豪華なので、楽しむこと(だけ)はできる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wear it well

作中で、ラミ・マレック演じる富豪トム・ヴォーズの言葉。これは直訳すると「それを上手に着ている=着ているものが似合っている」ということだが、もう一つ、「性格や境遇が合っているという意味もある。Rod Stewart がそのものズバリ  “You wear it well” という歌を歌っている。その中で、And I wear it well. = 俺にはそういうのがお似合いなんだよ、という歌詞があるので、興味のある人は聴いてみよう。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, サスペンス, ジョン・デビッド・ワシントン, マーゴット・ロビー, ミステリ, 歴史, 監督:デビッド・O・ラッセル, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

『 ソー ラブ&サンダー 』 -シリーズ疲れが顕著-

Posted on 2022年7月19日 by cool-jupiter

ソー ラブ&サンダー 40点
2022年7月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリス・ヘムズワース ナタリー・ポートマン クリスチャン・ベール
監督:タイカ・ワイティティ

元同僚カナダ人が「期待できない。DVDまで待つ」というので、嫁さんと劇場へ。うーむ、MCU全般に言えることだが、franchise fatigue = シリーズ疲れが深刻であるように思う。

 

あらすじ

積極的に闘うことから身を引いたソー(クリス・ヘムズワース)は、神殺しの剣・ネクロソードを持つゴア(クリスチャン・ベール)が銀河の各地の星々で神を殺しまわっていることを知る。遂にゴアと闘うことになったソーの前に、かつての恋人ジェーン・フォスター(ナタリー・ポートマン)がムジョルニアを携えて現れ・・・

ポジティブ・サイド

MCU特有のマシンガントークは健在。スター・ロードとソーの掛け合いは面白いし、肥満体からのリカバリーや、自分探しの旅、さらには求められなければ闘わないという、中二病的な思考回路も、ソーというキャラクターに親近感を抱かせる要素になっている。

 

キャプテン・アメリカに奪われ(?)、ヘラに粉砕されたムジョルニアが今作では復活。しかし、持ち主はナタリー・ポートマン。そのナタリー・ポートマンとソーとの、燃え上がりそうで燃え上がらない焼け木杭には、イライラさせられつつも、成熟した大人同士の距離感を教えられた気もする。そう、これはアホな男子のノリのまま生きてきたソーが、一人前の大人になる一種のビルドゥングスロマンなのだ。

 

ソーがストーム・ブレイカーに浮気し、ムジョルニアをほったらかしにしてしまったことを何度も詫びるシーンには笑ってしまう。今の女より昔の女を大切にしようとするとどうなるか、男性諸賢は本作を教訓にされたし。

以下、少々ネタバレあり

 

ネガティブ・サイド

残念ながらアクションに観るべきものなし。ナタリー・ポートマンがマイティ・ソーになっても、アクションそのものはこれまでのソー映画のそれと変わり映えしない。そこで、今回はゼウスの武器であるキンキラキンの変な武器も簒奪。けれど、何をしたところで Marvel 映画のアクションはどん詰まりに来ていると感じる。ひたすらに肉弾戦で全てを破壊するハルクだけは、シリーズがどれだけ進んでも爽快感あるバトルシーンを提供してくれそうだが、ハルクはもうお役御免。

 

閑話休題。本作はタイカ・ワイティティ監督の演出と波長が合うかどうかで、印象がガラリと変わるのだろう。『 ジョジョ・ラビット 』のように、コメディとして始まり、シリアスなヒューマンドラマに変貌していく物語はお手のものなのかもしれないが、コメディとシリアスなドラマを共存させるのは不得手なのかもしれない。熱心な信徒だったゴアが、神そのものの傲岸不遜さに触れて棄教し、自らが神殺しになってしまうというのは、これ以上ないシリアスなドラマのはずだ。特にアメリカからすれば、自らが信じてきた国家観が過去数十年で大きく揺らいできた。湾岸戦争へのアメリカ参戦のきっかけは在米クウェート人のお芝居だったし、『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』など、国家による茶番劇はドンドンと明るみに出ている。この「信じていたものに裏切られる」というゴア側の視点が本作では致命的に欠けているように思う。この「何を信じていいのか」という不信感を、「やっぱり信じられるヒーローがいる!」というカタルシスに持っていくための仕掛けが本作にはない。観終わって最も印象に残ったのは、コメディとシリアスのアンバランスな配合具合だった。

 

序盤にプレゼントされる巨大ヤギもギャーギャーうるさい。これはあれか?土着の民族からの贈り物は野蛮極まりないという意識の表れ?このヤギの意味がちょっと分からなかった。

 

Jovianが忘れているだけかもしれないが、序盤に出てきていたジェーンの友達はドラマの人物?『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』もそうだったが、映画鑑賞の前提にドラマ視聴を持ってこないでほしい。観たいのは映画であって、ドラマではないという層も一定数いることを作り手は意識してほしい(などとディズニーに言っても無駄だとは分かっている)。

 

エンドロール後に次回作が示唆されているが、さすがにもう食傷気味。ソーがヘラクレスとの壮絶な一騎打ちに敗れて、ヴァルハラでジェーンと live happily ever after でシリーズのフィナーレにしてくれてええよ。

 

総評

駄作ではないが、取り立てて褒めるべきところもない作品。少々嫌味な言い方をさせてもらえば、よくできたミュージックビデオのようだ。そして、それで成功したのが『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』だった。が、こちらとしては「それはもう観た」としか感じない。MCU全体に言えることだが、サノスを失ってから、物語の軸がはっきりしない。そろそろこの Marvel というフランチャイズそのものから離脱する頃合いか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give or take ~

 

直訳すれば「与える、または取る」だが、実際の意味は「誤差は~ぐらいで」、「~ぐらいの増減ありで」のような意味となる。

I think he is about 45 years old, give or take one or two years.
彼は45歳ぐらいだと思う、誤差はあっても1~2歳。

The year’s revenue will be a hundred million yen, give or take a few million yen.
今年の収益予想は1億円で、そこから数百万円増減することもあります。 

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, クリス・ヘムズワース, クリスチャン・ベール, コメディ, ナタリー・ポートマン, 監督:タイカ・ワイティティ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ソー ラブ&サンダー 』 -シリーズ疲れが顕著-

『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

フォードvsフェラーリ 75点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン クリスチャン・ベール
監督:ジェームズ・マンゴールド

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タイトルはやや misleading である。アメ車のフォードとイタ車のフェラーリの戦いというよりは、フォード社内のイニシアチブ争いがメインになっている。そういう意味では『 OVER DRIVE 』というよりは、『 七つの会議 』&『 下町ロケット 』的である。もちろん、カーレースは迫力満点で描写されており、アクション面でも抜かりはない。

あらすじ

フォード社はフェラーリ社を買収しようとするも失敗。フォード2世はその腹いせにフェラーリを公式レースで破ることを決意。ル・マン24優勝経験者のキャロル・シェルビー(マット・デイモン)を登用する。シェルビーはドライバー兼開発者のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)と共に、新車の開発に邁進するが・・・

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ポジティブ・サイド

マット・デイモンが光っている。元ドライバーとしての炎がくすぶっていながら、健康上の理由でレースには出られない。カリスマ性と口舌で車のセールスマンとして成功しながらも、勝負師として完全燃焼しきれないというフラストレーションが隠せていない、そんな男を好演した。このレーサーでありながら会社員という二面性が、シェルビーというキャラクターを複雑にし、また味わい深い人物にしている。サラリーマンがロマンを感じやすく、なおかつ親近感を覚えやすいのである。

そんなシェルビーのsidekick を演じたケン・マイルズも渋い。ふと、『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーは、ケンの孫、つまりピーターの息子なのかな、などとあらぬことも考えた。スポーツカーはスポーツカーらしく乗れと顧客に言い放つのは、傲慢さからではなく、クルマへの純粋な愛着からである。そのことは、自分のクルマを“she”と呼ぶことからも明らかである。男性は自分の乗り物をしばしば愛車や愛機と呼ぶのである。だからといってケンがクルマ一辺倒の男だというわけではない。彼にはプロフェッショナリズム以上に妻と息子への愛情があり、チームへの信頼がある。開発中のクルマのパーツや性能の不満をあけすけに語るのは、それをチームが改善できると確信しているからだ。

この現場組と、フォード2世をはじめとする経営側、つまり背広組の間のイニシアチブ争いがプロットの大きな部分を占めている。フェラーリ買収の失敗はドラマの始まりであり、1966年のル・マン24時間レースは、ドラマの大きな山であるが、本筋は男たちの友情と、ある種の権力闘争である。営業と企画、支部と本社など、普通のサラリーマンが入りこめる話である。特に、現場のリーダーであるシェルビーに己を重ね合わせる一定年齢以上の会社員は多いのではないか。中間管理職として胃が痛くなるような展開が続き、ただでさえ心臓に爆弾を抱えているようなものなのに、胃にまで穴が開いてはかなわない。そんなシェルビーがル・マンのレースで、犯罪スレスレの行為で敵チームをかく乱する一方で、フォード社の獅子身中の虫とも言うべき副社長を相手に一歩も引かない対決姿勢を鮮明にする。このような男を上司にしたい、またはこのような男を同僚に持ちたい、と感じるサラリーマンは日本だけで300万人はいるのではないか。

レースシーンも迫力は十分である。特に7000rpmの世界は新幹線のぞみ以上の世界で、人馬一体ならぬ人車一体の世界である。“There’s a point at 7,000 RPMs where everything fades. The machine becomes weightless. It disappears.”というシェルビーの呟きが何度か聞こえるが、何かもが消え去った世界でケン・マイルズの脳裏に浮かんだものは何であったのか。それは劇場でご確認いただきたい。

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ネガティブ・サイド

レースシーンの結構な割合がCGである。CGの醸し出すウソ臭さは、気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。Jovianは気になってしまうタイプである。ちょうどグランフロント大阪のピクサー展でサーフェシングやライティングについて見学をしてきたというタイミングの良さ(悪さ?)もあったのかもしれないが。

背広組で唯一、現場の力になろうとするリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)の存在感が皆無である。上層部へのプレゼンの失敗フェラーリの買収交渉失敗、副社長の現場介入阻止の失敗と、失敗続きである。これが史実なのだろうか。もうちょっと美化した描き方はできなかったのだろうか。

翻訳に一か所、間違いを見つけてしまった。新聞のヘッドライン“FORD LOSES BIG”が、「 フォード、巨額の損失 」と訳されていたが、これは誤りである。正しくは、「フォード、(レースで)惨敗」である。林完治氏のポカであろう。

総評

これは血沸き肉躍る傑作である。レースのスリルと迫力よりも、モノづくりに全精力を惜しみなく注ぎこむ男たちのドラマを楽しむべきである。男と男が分かり合うためには激しい言葉をぶつけあうことも必要だが、取っ組み合いの喧嘩の方が早い場合もある。我々がシェルビーとマイルズの関係に魅せられるのは、二人が子どものまま大人になっているからなのだ。男一匹で観ても良し、夫婦でもカップルでも良し、家族でそろって観るのも良しである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll be damned.

「こいつは驚いた」というニュアンスの表現である。かなりインフォーマルな表現である。とにかくビックリした時に使おう。“I’ll be damned.”だけでも頻繁に使われるが、 I’ll be damned if ~ という形で使われることも多い。

I’ll be damned if he knocks out the champion.

I’ll be damned if I fail this test.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, スポーツ, ヒューマンドラマ, マット・デイモン, 伝記, 歴史, 監督:ジェームズ・マンゴールド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

Posted on 2019年9月8日2019年9月8日 by cool-jupiter

ダークナイト 75点
2019年9月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール ヒース・レジャー アーロン・エッカート
監督:クリストファー・ノーラン

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DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。シーザー・ロメロが演じたジョーカーまでは、さすがにさかのぼる余裕はなかった。

 

あらすじ

犯罪の絶えないゴッサム・シティに新たな犯罪者、ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れた。ブルース・ウェイン/バットマン(クリスチャン・ベール)はゴードン警部補やハービー・デント検事と共に、次から次へと引き起こされるジョーカーの犯行を止めるべく奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

バットマンというキャラは時代と共に変化する。当初は殺人も厭わないキャラで、生み出された時代背景を反映し、栄えあるfirst villainは日本人マッドサイエンティストだったようである。バットマンというキャラは顔がほとんど隠れてしまっているわけで、表情の演技が難しい。そこをクリスチャン・ベールは目と声、そして立ち居振る舞いと格闘アクションで存分に表現した。

 

だが、月並みではあるが、本作で称賛すべきはヒース・レジャーなのだろう。ジョーカーに関しては、ジャック・ニコルソンのイメージが最も強くJovianには残っているが、このジョーカーはこのジョーカーで類稀なる説得力を有している。冷酷無比、悪逆非道だからヴィランであるわけではない。見方を変えれば、スーパーヒーローというのは、悪役たちを片っ端から問答無用で始末しているわけで、彼ら彼女らこそ冷酷無比にして、悪逆非道であるとの見方も成り立つわけである。ジョーカーをそこをさらにひっくり返した。端的に言えば「バットマンよ、俺を殺せ」というのジョーカーのメッセージなわけで、正義と悪が戦っているわけではない。戦っているのはどちらも悪だと言いたいわけだ。仮面を脱げ、というのは、善人ぶるのをやめろ、ということだ。そのことは、クライマックスの客船と囚人船の対比で明らかになる。だが、ここでストーリーは見事に転換する。多くの人が既に本作を鑑賞済みと思われるが、まだ観ていないという方も当然おられよう。タイトルがダークナイト=闇の騎士であることには大いなる意味が込められている。武士道は主君のために死ぬことを是とし、騎士道は名誉や正義や真実といった抽象概念に奉仕し、それらを具現化することを是としていることの対比が思い起こされよう。バットマンが掲げる正義の理想は、決して赫耀たる光輝を帯びた正義ではない。陳腐ではなるが、我々はヴィランやヒーローを超えたところに正義を見出す。このパラダイム・シフトこそが本作の最大の貢献だろう。

 

ネガティブ・サイド

トゥー・フェイスの存在感が今一つである。完全にジョーカーに呑まれているように思う。だが、作品自体のテーマが正義と悪の不可分性、両者の境目の不可知性なのだから、その境界線上の存在であるトゥー・フェイスには相応の存在感が求められる。これでは、ただの頭脳明晰な悪人ではないか。バットマンが必殺仕事人なら、デントは長谷川平蔵であるべきではないか。コイントスの結果によって正義と悪の両方向に極端に揺れ動く様が、もう一つ弱かった印象である。まあ、このヒース・レジャーと共演するというのは、ライブ・エイドでクイーンの後にパフォームするようなものではあるが・・・

 

ジョーカーの異常性や危険性を際立たせる演出がもう少しあってもよかった。『 ダークナイト ライジング 』でアルフレッドが、「ベインと戦ってはいけない。あなたに勝ち目はない」と忠告したような演出が、今作のジョーカーにあっても良かった。ジョーカーの危険性はその強さではなく、その狂った哲学にあるからだ。戦いの土俵に上がってしまうことそれ自体が危険な行為であるという映画的な技法による説明があってもよかった。

 

総評

ジョーカーが取調室で不敵に言い放つ、“You complete me.”が全てである。人間は陰と陽が入り混じって生きているように、絶対的に正義を悪を区別できるものではない。Marvel Cinematic Universeではなトニー・スターク/アイアンマンの営為が、しばしば破壊的なアフターマスをもたらすが、今作のジョーカーは、スケールでは大きく劣るものの、残すインパクトはアイアンマンのそれに全く負けていない。むしろ上回っている。スーパーヒーローものとしては異色の作品にして大胆不敵な野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ta-da!

 

Tah-dah!と書かれることもある。ジョーカーが序盤に鉛筆を消して見せるシーンで言い放つ。感嘆表現で、日本語の「ジャジャーン!」にあたると思ってよい。『 デッドプール 』でも盲目老婆のルームメイトであるアルが、棚を組み立て、イスに座る瞬間に発している台詞である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アーロン・エッカート, アクション, アメリカ, クライムドラマ, クリスチャン・ベール, ヒース・レジャー, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

Posted on 2019年4月23日2020年1月29日 by cool-jupiter

バイス 70点
2019年4月21日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール エイミー・アダムス スティーブ・カレル サム・ロックウェル
監督:アダム・マッケイ

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タイトルのバイス=Viceは、Vice President=副大統領の副であり、悪徳の意味でもあるはずだ。いまだに記憶に新しいG・W・ブッシュ政権下のアメリカによるイラク攻撃、その決定の中枢にいたチェイニー副大統領の伝記映画である本作は、アメリカの負の側面だけではなく、民主主義国家の負の側面をも映し出している。

 

あらすじ

ワイオミング州でうだつのあがらない男だったディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は妻のリン(エイミー・アダムス)に叱責されたことで発奮。政界に入り、実力者ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の元で政治を学び、頭角を現していく。浮き沈みを経ながらも、やがてブッシュ大統領(サム・ロックウェル)に副大統領として求められるまでになるが・・・

 

ポジティブ・サイド 

現在進行形のアメリカ現代史における一大転換点は、おそらくオバマ大統領による「アメリカはもはや世界の警察ではない」宣言であると考える。その背景にあるのは、他国へのいらざる容喙に理も利も無いことへの悟りであろう。冒頭で若きディック・チェイニーは酒場のケンカで挑発してくる相手をぶん殴り、反撃を食らい、留置所にぶち込まれたところを、妻の嘆願で解放された。そして、後年、大統領以上の権力者になった彼は、挑発してきたわけでもない相手をぶん殴り、反撃を食らうことになる。イスラム国なるテロ組織の台頭が、実はブッシュ政権の身から出たサビだったことを思えば、この男が文字通りの意味で吊るし上げを食らっていないことが不思議でならない。日本に住む我々としては、核兵器を所有し、長距離ミサイル開発をいつまでたっても凍結しようとしない北朝鮮は、危なっかしいことこの上ない存在である。その一方で、大量破壊兵器を確実に有している北朝鮮にアメリカが一発の爆弾も投下しない事実をイラクの無辜の民の目で見れば、とうてい承服しがたいことだろう。勘違いしないでもらいたいが、Jovianは北朝鮮を爆撃せよと主張しているわけではない。想像力を持つことを忘れてはならないと言いたいだけである。『 シン・ゴジラ 』は傑作ポリティカル・サスペンスだったが、「政治家目線の物語にどうしても入っていけなかった、何故なら自分はどうやってもゴジラに為す術なく殺される一小市民だから」という声も確かに聞かれた。テロには決して賛同しないが、「WMDを持っていない」と潔白を主張し、国連やCIAも「無い」と報告したイラクが爆撃され、「WMDを持っている」と世界に声高に喧伝する北朝鮮が無傷とあらば、その二重基準っぷりにアメリカにキレるイラク人やムスリムがいてもおかしくない。本作が素晴らしいのは、政治、それも政権の中枢を描きながら、一般庶民の目線を常に忘れないところにある。本作の謎のナレーター=ストーリーテラーがそれであるが、その目線を通じて、我々はheartless killerという言葉を否応なく想起させられる。身震いさせられてしまうのだ。

 

そんなディック・チェイニーを演じたのはクリスチャン・ベール。彼もジェシカ・チャステインと同じく、クソ映画に出演することはあっても、その演技がクソであったことは一度もなかった。体重の増減が話題になることが多いが、声、口調、表情、眼差し、歩き方、立ち居振る舞いに至るまで、恐ろしいほどの説得力を生み出していた。Jovianはチェイニー副大統領を具に見てきたわけではないが、今作におけるクリスチャン・ベールの演技は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のラミ・マレックとも優劣をつけがたい程のものがある。同じ賛辞はブッシュを演じたサム・ロックウェルにも当てはまるし、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、ヘアスタイリストさんやメイクアップ・アーティストの方々は素晴らしい仕事をしたと言える。ブライアン・メイを演じたグウィリム・リーも、メイクさんの力無しにはあれほど似ることは決してなかったのだ。あらためて裏方さんの労力に敬意を表したくなる映画を観た。

 

本作は『 ブラック・クランズマン 』と同じく、過去の事実を基にした映画でありながら、製作者の視線は過去ではなく現代にある。民主主義、特に間接民主主義とはごく少数の人間に権能を委任してしまうことである。もちろんそれだけなら何も問題は無い。問題なのは、civil servant=公僕であるべき政治家に委任された権力の強さ、大きさに対して大多数の民衆が無自覚になってしまうことである。そのことを本作は衝撃的なエピソードでギャグにしか思えないスキットで描き切る。どこかの島国の政治状況にも通じるところがあるようだ。野党が何をやっても与党および内閣が全く揺るがなかったのが、大阪のおもろいおっちゃんおばちゃんの学校経営屋が、あわや内閣を吹っ飛ばしかけたのは何故か。それは、その事件が人々の耳目を集めたからである。権力者の持つ力の大きさに気付いたからである。忖度などという言葉が定着してしまった

 

ネガティブ・サイド

エンディングのテーマソング。とある名作ミュージカルの名曲が歌われる。このブラックユーモア、ブラックコメディをアメリカ人はいったいどう観たのか。どう感じたのか。今度、同僚のアメリカ人に尋ねておこうと思う。Jovian個人としては、かなり微妙に感じた。いや、というよりも「お前ら、これでもアメリカ大好きだろ?」という声が聞こえてくるようで、何ともやりきれない気分にさせられた。なぜこの選曲だったのか。

 

また、劇中ではしきりにとある政治理論が説明されるが、そんなものは無しに事実を淡々と積み上げていくことで、チェイニーという政治家がその掌中に着々と権力を収めていく様子を描くことはできなかったのか。同じく、チェイニーとその妻の自室内でのやりとりなど、想像の産物でしかないシーンを、シェイクスピア風に再構築する必要などあっただろうか。『 JFK 』のジムとリズのような会話で良かったのだ。それで充分にリアリティを生み出せたはずだ。冒頭から、We did our fucking best.などと言い訳をしていたが、fuckingの部分がこれか・・・と慨嘆させられた。

 

総評 

『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』とセットで鑑賞すると、奥泉光の言葉を借りるならば、アメリカという国の精神にも陰影が生じてきたようだ。自国に誇りを持つことは健全である。しかし、その誇りの根拠になるものは自らが常に探し、維持し続けねばならない。弱点は見られるものの、このような映画を生み出す硬骨のアメリカ人の心意気には敬意を表するしかない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エイミー・アダムス, クリスチャン・ベール, サム・ロックウェル, スティーブ・カレル, ブラック・コメディ, 伝記, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

『アメリカン・ハッスル』 -善人1人、残りは全員悪人かアホのゲテモノ面白映画-

Posted on 2018年9月7日2020年2月14日 by cool-jupiter

アメリカン・ハッスル 70点

2018年9月5日 レンタルDVD観賞
出演:クリスチャン・ベイル ブラッドリー・クーパー ジェレミー・レナー エイミー・アダムス ジェニファー・ローレンス ロバート・デ・ニーロ
監督:デビッド・O・ラッセル

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原題は”American Hustle”、その意味するところは「アメリカ的な詐欺行為」である。カタカナ表記してしまうと hustle なのか hassle なのか、判別が難しくなる。

アーヴィン(クリスチャン・ベイル)はクリーニング店を複数営みながら、客の引き取り忘れ品を堂々と頂戴して財を為す一方で、美術品の贋作取引や、愛人のシドニーと組んでの金融詐欺などの不正な詐欺行為でも利益を得ていた。しかし、連邦捜査官のリッチー(ブラッドリー・クーパー)にある時、あっさりと逮捕されてしまう。だが、アーヴィンの詐欺の知識と手腕を高く評価したリッチーは司法取引を持ちかけ、FBIの指示の元に動けとアーヴィンに迫る。かくして、政治家や裏社会の大物をしょっぴくためのおとり捜査(sting operation)が始まる・・・

本作品は、一人を除いて、登場人物が全員悪人もしくはアホである。まるで北野武の『アウトレイジ』のようだ。『アウトレイジ』でも、ヤクザがマル暴刑事にカネを渡して情報を得るという場面がたびたび挿入されていたが、本作には大物マフィア(ロバート・デ・二―ロ)を起用し、彼を使って非常にサスペンスを盛り上げる瞬間が用意されている。これだけでも本作を観る価値があろうというものだ。また、クリスチャン・ベイルもハズレが無い俳優である。『ターミネーター4』など、今一つパッとしない作品もあったが、彼自身が輝いていないわけではなかった。ブラッドリー・クーパーも魅せる。クレイジー一歩手前の執念で上司に食い下がる姿に、我々はサラリーマンの悲哀を見出す。その一方で彼の仕事への熱意を、どこか冷めた目でしか見られない自分にも気がつく。なぜなら、犯罪の証拠を得るために、詐欺師と組んでいるからだ。社会正義を実現するために犯罪者を有効活用する、巨悪を打倒するために小さな悪を使う。それは正しいことなのか。そのことに最も打ちのめされるのがニュージャージー州カムデン市長ポリート(ジェレミー・レナー)である。彼こそは公僕の鑑とも言うべき存在で、アーヴィンとリッチー、英国貴族に連なるシドニー(エイミー・アダムス)らに翻弄されるがままに、カジノ事業に邁進してしまう。彼の徹頭徹尾の全体の奉仕者としての姿勢に、我々は勧善懲悪という四字熟語の意味を思わず考えさせられてしまう。しかし、何と言ってもアーヴィンの妻であるロザリン(ジェニファー・ローレンス)の見せる演技が圧巻である。彼女が見せる感情と感傷、激情の発露の後に見せる一筋の涙に、百万言にも値する意味が込められている。映画でしか表現できない技法で、だからこそ映画には他の文化・芸術媒体とは異なる魅力がある。

日本はおとり捜査に消極的であるが、その理由を推測するに主に2つあるのだろう。1つには、善人(お人好しと言い換えても良い)が多すぎて、社会全体が得られる利益よりも市民が被る不利益の方が大きいと予想されること。もう1つには、社会=法共同体という意識の低さ故に、おとり捜査そのものが更なる犯罪を誘発させてしまう可能性が高いと考えられることだ。おとり捜査ではないが、このあたりを描いた邦画に『日本で一番悪い奴ら』が挙げられる。

内容が盛り沢山で、おとり捜査以外にもアーヴィンの人間関係(妻と愛人)やリッチーと上司の謎の問答(十中八九、即興の作り話であろう)もスキット的に挿入されているため2時間超の作品となっている。しかし、観賞中は中弛みを一切感じさせず、初めから終わりまで一気に見させる力を持っていた。特に、「ああ、結局のところ、こういう結末なんだろうなあ」という予想を外されたのは嬉しい誤算というか、それもまた納得ができるエンディングであった。久しぶりにニーチェに『善悪の彼岸』でも引っ張り出して、再読しようか。そんなえも言われぬ感覚をもたらしてくれる良作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エイミー・アダムス, クリスチャン・ベール, ジェニファー・ローレンス, ジェレミー・レナー, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, ロバート・デ・ニーロ, 監督:デビッド・O・ラッセル, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『アメリカン・ハッスル』 -善人1人、残りは全員悪人かアホのゲテモノ面白映画-

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