牛首村 10点
2022年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:Kōki, 萩原利久 芋生遥
監督:清水崇
『 犬鳴村 』、『 樹海村 』に続く「恐怖の村」シリーズ第3弾。ジャパネスク・ホラーに一抹の希望を抱いて観たが、前二作に負けず劣らずの超絶駄作だった。 I gave up on 清水崇.
あらすじ
奏音(Kōki,)はボーイフレンドの蓮(萩原利久)に、心霊スポット潜入動画を教えてもらう。そこには自分と瓜二つの女子高生が映っており、しかもそこで行方不明になっていた。何かを感じ取った奏音は蓮と共に撮影が行われた廃墟のある富山県へと向かうが・・・
以下、ネタバレあり
ポジティブ・サイド
飛び降りシーンが何度もリフレインされるところは少しだけ disturbing だった。
芋生悠が渾身の顔芸を披露しており、そこは評価せねばなるまい。『 犬鳴村 』の無表情なブレイクダンスは、怖さよりも滑稽さが遥かに優っていて、そこはさすがに反省材料にしたのだろうと思う。
ネガティブ・サイド
まず牛の首というのがよく分からない。牛首村と最初の心霊スポット潜入につながりがない。『 樹海村 』は青木ヶ原樹海、『 犬鳴村 』は犬鳴トンネルと、分かりやすい元ネタがあった。一方で、牛の首というのは???肝心の牛首村も、別に牛を飼っている様子はなく、この牛の首というものに最初から最後まで必然性が感じられなかった。「牛の首」という怪談の中身がすっからかんだったのと同様、物語もすっからかんという印象。
いまさら双子がどうこうとか何周遅れの『 シャイニング 』へのオマージュなのか。それにクソ田舎の集落に双子が生まれすぎ。集団心理もあるとはいえ、あのような露骨な口減らしに加担できるというのは、それだけの頻度であのような儀式を行っているわけで、やはりどう考えてもおかしい。一卵性双生児が自然分娩で生まれる率は0.4%。1000回に4回なわけで、穴倉の奥底に定期的に捨てられる双子の片割れを食料にアヤコが生き延びるにしても、月に一度ぐらいのペースでないと餓死するだろう。人口40万人台の尼崎市の年間出生数が4000件を少し上回る程度なので、月1で食料が供給されるには年間12人の双子が生まれる必要がある。年間12人の双子ということは一人だけで生まれてくるのはその250倍、すすなわち3000人。牛首村の人口は30万人ちょっとと見積もられる・・・って、んなアホな。劇場鑑賞中にも???だったが、あらためて計算してみて更に??????となった・
そもそも3歳だか4歳そこらで子どもが神隠しに遭ったというのに、双子のもう片方が行方不明の方を助けてきたというのは、親や周りの大人がいかに子どもに目を配っていないかの証拠だろう。一人いなくなったら、もう片方からは余計に目が離せなくなると思うが。またそんなことがあった村からは家族そろって脱出するのが普通の判断ではないか。なぜ奏音と父は東京に出て、詩音と母は村に残ったのか。そのあたりの説明も全くないし、推測できるような材料も提示されなかった。
キャラクターの行動原理も謎だ。ネット隆盛、SNS全盛時代の若者が、いきなり現地に赴くか?動画配信アカウントから普通に Instagram だか Facebook のアカウントに行けるのだから、そこから相手にコンタクトを試みる方が自然だろう。なんなら顔写真を送ってやればいい。それを一切せず、後から「実はあいつら全員死んでる」とか言われても、はあ?としか思えない。詩音も顔出しNGだというなら、何故被り物を脱ぐのか。いや、SNSで顔出ししている以上、動画配信などやればあっという間に顔など割れるだろう。いじめのような構図がそこにあるのは分かったが、それでも詩音の行動は意味不明だ。アヤコの呪いの対象も、本来なら詩音や奏音ではなく、同じ双子の片割れであるタエコになるのではないのか。もしくは、古くから村にいる年寄り連中か。発狂しているから手当たり次第に呪うのだ、というのなら松尾諭の死に方にも納得が行く。しかし、だったら何故に奏音の恋人の方は呪い殺されて、詩音の恋人の方は呪い殺されなかったのか(異世界に連れ込まれはしたが)。
廃墟そのものもリアリティが足りない。作られた廃墟にしか見えない。そういう意味ではストーリー自体はこけおどしだった『 コンジアム 』のプロダクションデザインだけは素晴らしかった。坪野鉱泉ホテルは遠目には『 ホテルローヤル 』のさびれたラブホのように見えたし、中の荒れ具合も一時期ニュースで話題になった鬼怒川温泉の廃墟ホテルの方が、中はよっぽど不気味だった。この坪野鉱泉と牛首村の穴蔵が実はつながっていて水だけは湧いている、ということなら、アヤコのサバイバルにも少しだけリアリティが出てくるのだが、そんな描写も一切なし。心霊現象を見せたいのか、それとも生きている人間やそこから生み出される風習の怖さを見せたいのか、そこの軸がはっきりしていないのが大きな弱点だ。
細部にもおかしな描写がいっぱいだ。いくら富山とはいえ真夏に窓ガラスが結露するか?しかも朝ではなく夜に。どれだけ短時間で寒暖の差がつくというのか。また、10年以上にわたって文字通りの意味で野ざらし雨ざらしにされていたちょうちょの墓がそのままの形で残っていることに座席から滑り落ちそうになった。富山のあの地域は風も吹かないし雨も降らないし雑草も一切生えないのか。そんなことはないだろう。実際に劇中でも2度雨が降っているし、そのうちの2回目は結構な土砂降りだ。あれでミニ盛土と墓標となる石が10年以上手つかずというのは説得力ゼロだ。
ホラー映画としての演出も栗シェのオンパレードで最早ギャグの領域。「ここでこうなるぞ」、「次はこれやな」という予感が次々と当たる。ちょっとホラーを観ている映画ファンのほとんどはこのように感じたのではないだろうか。ポストクレジットのシーンが始まった途端に「おいおい、『 犬鳴村 』エンドちゃうやろな」と不安になったが、やっぱり『 犬鳴村 』エンドだった。頼むから捻らんかい。クリシェはもうええっちゅうねん。
総評
『 恐怖の村 』シリーズの中でも飛びぬけて怖くない。このシリーズは盛り下がる一方である。こんな作品の制作者側にカネなど一銭もやってたまるかと思う。無料クーポンで鑑賞した自分を褒めてやりたい。Kōki,が望んで出演したのか、それとも親の七光りなのかは分からないが、役者の才能は感じない。恐怖の村シリーズは駄作揃いだったが、三吉彩花や山田杏奈など、キャスティングは頑張っていた。Kōki,は三吉のようなルックスやスタイルはないし、山田のような表現者にもならないだろうとは感じた。ホラー映画好きにお勧めできる作品では決してないし、だからといってホラー初心者にお勧めするのも難しい。一つ言えるのは、清水崇はもうホラーを作らないほうが良いということぐらいか。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
Sorry, no lessons. I need to forget about this terrible movie ASAP.