AI崩壊 35点
2020年2月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:大沢たかお
監督:入江悠
AIの進化が著しい。日本は良きにつけ悪しきにつけ新しいものを使っていくことを好まない。しかし将棋棋士がAIを効果的に使い、今も棋力を向上させているように、普通の仕事でもAIを使い、効率や能率を上げていくことが期待される。だが、AIが『 ターミネーター 』のスカイネットにならない保証はどこにもない。本作はそんな物語・・・とはちょっと違う。
あらすじ
桐生浩介(大沢たかお)は病気の妻を救えなかった。しかし、彼の開発したAI「のぞみ」は医療と健康管理のため国民的ツールとして普及し、日本人の健康増進に寄与していた。だが「のぞみ」は突如、暴走。国民を「生存」と「死亡」にカテゴライズし始める。その原因を開発者の桐生にあると判断した警察は、桐生の逮捕に乗り出す。桐生は逃げ延び、「のぞみ」暴走の原因を解明できるのか・・・
ポジティブ・サイド
一部の分野ではAIが人間の能力をはるかに凌駕していることは周知の事実である。完全自動操縦の自動車がリリースされない理由は、費用が高くなりすぎること、そして事故があった時の責任の所在がどこ(製造者?所有者?運転していない同乗者?)にあるのかが議論しつくされていないという政治的・倫理的理由からである。逆に言えば、技術的には可能なわけで、ならば健康管理AI「のぞみ」という存在も荒唐無稽とは言い切れない。実際には飛行機は、離陸と着陸以外はオートパイロットで飛ばしている。厳密にはAIとは言えないものにも、我々はすでに命を預けているのである。
本作ではドローンも大活躍する。特に地下道で放たれるドローンのデザインはなかなか良い。Droneとはミツバチの雄を指す言葉で、蜂を模した形の超小型ドローンは近未来的でクールである。
微妙なネタバレになるが、本作には現実の政治批判の意味も込められている。序盤早々に女性総理大臣が死亡するが、その跡を継ぐ副総理の姓は、亡国の・・・いや、某国の総理大臣に縁のある姓だからである。入江監督の思想がどのようなものかは寡聞にして知らないが、国民を「上級国民」と「下級国民」に選別することは止めよ、というメッセージを入江監督は持っているようである。その意気や良し。
ネガティブ・サイド
『 プラチナデータ 』と重複する部分が多い。犯人の思想もそっくりであるし、警察が使用するAI「百眼」による捜査方法もそっくりである。つまり、新鮮な驚きがない。いや、『 プラチナデータ 』の公開当時、歩行パターン認識などはまだまだマイナーな技術だった。その点に、説得力はあまりなかったが、驚きは十分にあった。一方、本作の「百眼」の性能には驚きを感じられるものがなかった。それがマイナス点である。後発作品は、先行作品を何らかの意味で乗り越える努力をすべきである。また、百眼も高度に発達したAIである割には、自律的思考力を持っているとは到底思えない判断を最終盤で連続して下している。もはやギャグの領域で、ここまで来るとリアリティも何もない。また、桐生が下水道の中を逃げる時の足音を聞いて、「これは桐生である」と百眼が判断する場面もあるが、元データをいつ採取したのだろうか。百眼という存在のアイデアは悪くはないが、才物の詰めの設定が甘すぎる。
また、百眼を使う警察があまりにも最初から強引すぎる。これではのぞみ暴走の黒幕が誰であるのか、あっという間に分かってしまう。本作はSFサスペンスであり、ミステリ要素は確かに薄い。しかし、謎の見せ方にはもう少し節度を持ってもらいたい。ミランダ宣告をしないのはまだしも、容疑者かどうかも怪しい段階でいきなり銃を突きつけるか?最初は「話はとにかく署で聞く」ぐらいの堅物さ、強引さで、そこからのぞみ暴走のカウントダウンが進んでいくとともに警察も過激になっていく、という展開で良かったのにと思う。
逃げる桐生を警察官の描写にも不満がある。土地勘があるとは思えない桐生が、土地勘を持っていないとおかしい所轄の警察官たちを、路地裏などを通って次々と振り切っていくシークエンスには説得力がない。元警察官のJovianの義父が本作を観たら、笑うか呆れるか、さもなくば警察官たちに憤慨するであろう。
「のぞみ」の暴走にもリアリティが不足している。「のぞみ」が命の選別をすることにリアリティがないのではない。「のぞみ」のカメラアイは『 2001年宇宙の旅 』のHALをどうしても想起させるが、人を殺害するAIというアイデアは大昔から存在してきたのである。問題は、AIが人を殺すことを考えたときに、その思考過程をわざわざ人に見せるだろうか、ということである。もちろん、それを見せてくれないことには物語が前に進まないのだが、「のぞみ」暴走のカウントダウンにどうしても緊張感が生まれなかった。というのも、パッと見た限り、「のぞみ」は命の選別を1秒間に6人ほど行っているように見えるが、この計算で行くと、1分で360人、1時間で21,600人、24時間でも518,400人である。10年後の日本の人口が1億人にまで減っていたとしても、全く届いていないではないか。「のぞみ」がモニター越しに見せる命の選別の過程がスロー過ぎて、観ている側に焦燥感や恐怖などの負の感情が生まれてこないのだ。
黒幕は命の暴走によって日本を救いたいわけだが、その思想もすでに漫画『 北斗の拳 』のカーネルが「神はわれわれを選んだのだ!!」という言葉で先取りしている。実際に命の選別をやってしまえば、諸外国から非人道的との烙印を押され、あっという間に中露、あるいはアメリカあたりに力での侵略を許す口実を与えるだけになると考えられる。それに墓場はともかくとしても(全部無縁仏扱いしてしまえばよいので)、火葬場などで死体を荼毘に付す処理が絶対に追いつかないだろう。それとも、死体の大部分は腐敗するに任せるというのか。馬鹿馬鹿しいようであるが、こうしたことまで考えられて作られた物語に見えないのである。
桐生も『 逃亡者 』のリチャード・キンブルさながらに逃げまくるが、盗んだノートPCであまりにも多くのことを成し遂げ過ぎではないか。「俺はもう人工知能の開発はやっていない」と言いながら、発砲を辞さない警察に追われるという極限の緊張の下、5年ぶりであっても流れるようにコードを書くというのは、プログラマーならぬJovianの目にはスーパーマンに見える。桐生が卓越した頭脳と肉体の両方を備えていることが、物語を逆につまらなくしている。桐生が百眼やのぞみと対峙し、たとえば『 search サーチ 』のように、カメラなどを通じてではなく各種のウェブ上に記録を多角的に総合的に分析することで、AIとの“対話”を行うような形での対決をしてくれれば、もっとリアルに、もっとスリリングになっただろう。発想は陳腐だが悪くない物語である。物語の進め方にもっと工夫の余地があったはずである。
総評
桐生にも警察にもリアリティがない上に、肝心のAIも過去作品の模倣の域を出ない。AIを巡る思想についても、山本一成が『 人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか? 』で語った「いいひと」理論が先行している。映画館はかなりの人が入っていたが、正直なところ、映画ファンの期待には届かなかったと思われる。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
trigger-happy
『 図書館戦争 』ほどではないが、本作は警察がバンバンと発砲する。そのような、すぐに撃つ短慮な性格を指してtrigger-happyと言う。40歳以上の世代なら、『 おそ松くん 』における本官さんを思い出してもらえればよい。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』でも、ホルドがポーを指して“trigger-happy flyboy”と揶揄していた。