風の電話 85点
2020年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 三浦友和 西島秀俊 西田敏行
監督:諏訪敦彦
地震大国の日本であるが、それでも阪神淡路大震災と東日本大震災による打撃は群を抜いている。そして、あまりにも多くの犠牲者が出たことで、我々は被害を個々の人間ではなく、単なる数字として捉えてしまう。阪神大震災を間接的にではあるが経験したJovianでさえ、東日本大震災がもたらした悲劇については想像が及ばなかった。これはそうしたドラマである。
あらすじ
3.11によって父と母と弟が行方不明になってしまったハル(モトーラ世理奈)は、広島の叔母の家で暮らしていた。そんな叔母が倒れてしまった。また独りになってしまうかもしれないという不安から、ハルは家族と別れることになった地、岩手を目指して旅に出る。そして、道中で様々な人々と触れ合って・・・
ポジティブ・サイド
ワンカットがとにかく長い。が、それが気持ちよい。BGMも最小限に抑えられている。ジャンルとしてはヒューマンドラマ、ロードトリップになるのだろうが、まるでドキュメンタリー映画のようである。プロットは全く異なるが、『 存在のない子供たち 』のようである。ゼインは子どもとは思えない逞しさやしたたかさを備えていたが、ハルの時間はある意味では8年間ずっと止まったままである。子どものままなのである。誰かの庇護がなければ生きていけない存在。しかし、その庇護を与えてくれる人間が存在しない。そんな中途半端な状態で、ハルは死んではいないが、生きてもいない。17歳という子どもではないが大人でもないという中途半端な存在。そんなハルが、ロードトリップを経て、守られる側から守る側になる。目指す先に着いた後、さらなる目的地を見つけるというストーリーには、我にもなく涙を流していた。
三浦友和演じる公平は言う、「生きてるからには、食べて、出して、食べて、出して、しないとな」と。その言葉の通りに、本作の登場人物たちは常に皆、何かを食べている。まるで『 食べる女 』のようである。そのレビューで「失われて久しい、皆で卓を囲んでご飯を味わうという体験の歪さと新鮮さを『 万引き家族 』は我々に見せつけた」と指摘したが、本作はそうした描写からさらに一歩踏み込んだ。すなわち、孤食の解消である。詳しくは鑑賞してもらうべきだが、常に誰かが何かを食べている本作で、ハルが一人で食物を消費するシーンは剣呑である。そのことがすぐに伝わってくる。本作は、非常に逆説的にではあるが、【 日本全国を子ども食堂化しようプロジェクト 】のキャンペーンの一環であり、プロモーションビデオなのである。
広島の叔母の家でも、三浦友和の家でも、名もなき姉弟が連れて行ってくれた場末の食堂でも、西田敏行の家でも、Happy Kebabでも、トルコ人家族の家(ここは家の様子はほとんど映らないが)でも、どこもかしこも『 万引き家族 』的な物で溢れかえった家ばかりである。そこに小奇麗さは一切ない。比較的経済的に余裕のある家庭の子ども達が集まり、肝心の貧困層や孤食を余儀なくされる子ども達が来てくれないと嘆く子ども食堂の運営者の方々は本作を参考にされたい。さっぱりとしていてお洒落で明るい空間などを演出しても、ターゲットにしている子どもたちは入りづらいだけである。他人同士が身をぎゅうぎゅうに寄せ合い、カップ麺にお湯を注いだり、大人が缶ビールを開けたりするぐらいがちょうど良い・・・かどうかは分からないが、そうした雰囲気に救われる子どもはきっと数多くいるはずである。本作が映し出すのは、徹頭徹尾、社会的な弱者たちの連帯なのである。美しく頼もしいのは空間ではなく、人なのである。
不勉強にして“風の電話”の存在を本作鑑賞まで知らなかった。これは一種の自己内対話を促す装置である。『 ウインド・リバー 』で語られた、「子どもの死を受け入れろ。そうすれば、心の中でその子の笑顔が見られる」という悟りにも似た感覚を励起させる。死者と通話できるということは、その電話ボックスに入った時点で、相手の死を受け入れているということだ。これは辛く、悲しい。しかし、そうしなければ前に進めないことも事実である。本当に苦しいのは、家族や友人知人の遺体を見つけた人ではなく、彼彼女らが行方不明なままの人たちだろう。ハルが行う“風の電話”での通話は『 ラストレター 』における自己内対話と相通するものがある。この通話のシーンは万感胸に迫るものがある。観る者はハルの悲しみに同調し、あるいはハルの勇気に感動することだろう。
認知症の老婆、高齢の妊婦、家族が崩壊した中年男性、何もなくなってしまった故郷で死ぬと決めた老夫婦、家族の死に責任を感じる男たちが、意識的にも無意識にでもハルに生命力を分け与えていく姿に、観る側も大きな力を与えられたように感じられる。それらを受け止め、与える側へと成長していくハルの姿は究極のビルドゥングスロマンである。そんなハルを見事に体現したモトーラ世理奈は、2020年国内最優秀俳優に1月末にして内定した。
西田敏行が劇中で語る『 警察日記 』はモノクロ映画である。それが映し出した美しい福島の山や川とは何であったのか。諏訪監督の答えは明快である。西島秀俊演じる森尾とハルが、ハルの実家跡を訪ね、そして去るシーンの得も言われぬ美しさがその答えである。“美”とは風景の中に存在する客観的な実体ではない。人と人とが純粋な気持ちで触れ合い、響き合う姿の中に存在するきわめて主観的なものであることを、ここで我々は知るのである。このシーンの美しさに、Jovianは打ちのめされた。
ネガティブ・サイド
2時間30分の長編である。そのことは別に構わない。セリフの少なさに比して、本作に込められている情報やメッセージは圧倒的に多いからである。ただ、これだけの尺を取るからには、ハルの旅先での数々の経験を、その次のシークエンスに生かしてほしかったと思う。例えば、三浦友和からもらった果物をかじるシーンや、トルコ人の同世代の女子の「看護師になろうかな」という想いを受けて、車窓から病院や看護学校に目が留まる、などの演出があればパーフェクトだった。
あとは、最初に倒れた広島の叔母さん、もしくは入院先の病院に電話なり何なりをハルがするシーンが一瞬でもあれば、いや、電話したと分かるような素振りか何かが最終盤にあればとも感じた。しかし、これは下手をすると余韻を壊すかな。ドラマの演出と編集のせめぎ合いになるか。
総評
2020年が始まって1か月も過ぎていないが、本作は年間ベスト候補である。モトーラ世理奈が邦画界から数々の賞を受け取る姿が早くも目に浮かぶ。また貧困問題や格差社会、移民問題までも含む、様々な問題提起もなされている。エンターテインメント作品かと言われれば否であるが、芸術作品であるかと問われれば間違いなく芸術作品である。観る者をかなり選ぶだろうが、脚本、演技、演出、撮影のどれを撮っても一級品である。是非とも劇場鑑賞されたし。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
I’m back.
帰ってきたよ、というハルの心の叫びである。come backやget backを過去形や完了形で使ってしまうと受験英語となる。かのマイケル・ジョーダンが野球からバスケに帰ってきたときの記者会見の第一声も“I’m back.”だった。状況的に“I’m home.”とも言えそうだが、家が破壊されている状況では使いにくい表現かもしれないと感じた。