マイ・プレシャス・リスト 60点
2018年11月11日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ベル・パウリー ガブリエル・バーン ネイサン・レイン
監督:スーザン・ジョンソン
原題は“Carrie Pilby”、すなわち主人公である少女の名前である。アメリカの映画は実在の人物であれ、架空の人物であれ、人名だけのタイトルの本や映画を結構作っている。これはお国柄の違いだろう。近年だと『 バリー・シール/アメリカをはめた男 』が当てはまる。キャリー・ピルビーは天才ではあるが、『 響 -HIBIKI- 』における響のような異能の天才ではなく、秀才が高じたような天才である。『 gifted/ギフテッド 』のメアリー(マッケナ・グレイス)ではなく、『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』のリン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)のような少女が主役である。それゆえに、凡人たる我々にも共感しやすい物語に仕上がっていると言える。
あらすじ
飛び級で14歳にしてハーバード大学に入学(映画.comのあらすじは間違えている)、18歳で卒業したものの、定職を持たず、ニューヨークのアパートで気ままに一人暮らしするキャリー。明晰な頭脳はしかし、社会に還元されず、彼女が唯一まともに話せる相手はカウンセラーのDr. ペトロフだけだった。ある日、キャリーはペトロフから6つの課題が書かれた紙を受け取る。その課題をこなせれば、世界の見方が変わると言われたキャリーは、課題に着手していくが・・・
ポジティブ・サイド
この分野には『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』という優れた先行作品が存在する。天才でありながらも心に抱えた傷のために自分に素直に向き合えないウィル(マット・デイモン)と妻の喪失を受け止めきれないショーン(ロビン・ウィリアムズ)の生々しい交流と清々しい別離の物語で、これを超える作品を産み出すのは難しい。しかし、同じようなテーマに違う角度からアプローチすることはできる。その一つの試みが本作である。そしてそれは一定の成功を収めた。
まず主役を女の子に設定したこと。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』ではスカイラーという女子が、「そんなこと言うなら、もう抱かせてあげない」とウィルを窘めながら、「男って馬鹿ね」と呆れながら安心するシーンがあるが、本作はこれと裏腹なシーンが存在する。そう、古今東西、男は馬鹿なのである。その男の馬鹿さ加減を大いなる包容力で受け入れてくれる女性こそが男の理想像なのである。では、女性目線で見た時、この男の馬鹿さ加減にはどのように対応すべきなのか。しかも、その女子の頭脳は天才的で、その天才が自分よりも賢いと認められるような男が、一皮むけばやっぱり馬鹿だった、となった時、どうすれば良いのか。本作の最大のテーマはある意味でここに尽きる。そして、そうした男の馬鹿さ加減を、あっちでもこっちでも嫌と言うほど見せつけてくれる。世の男性諸氏は居た堪れなくなるであろう。なぜなら、そこに我々が見出すのは、キャリーの天才的な頭脳というフィルターを通して見える世界ではなく、誰がどう見ても馬鹿な男の性(さが)だからである。世の男はこれを観て、大いに縮こまることであろう。そして世の女性はこれを観て、男のことを「本当に馬鹿なんだから」と生暖かい目で見守ってあげるべし。
ネガティブ・サイド
キャリーの天才性の描き方が少し弱い。文学作品をいくつか暗唱したぐらいで、もっともっとキャリーの天才性を描き出してくれないことには、物語中盤の大きな山場が盛り上がらない。赤川次郎が何らかのエッセイか、自作のあとがきで「小説や文学で描かれている恋愛はたくさん読んできたが、現実の自分の恋愛も全く同じように始まって、全く同じように終わっていった」と述べていたが、キャリーにもこうした背景が必要だったように思う。極端に頭でっかちな女子が、自分のキャパシティを超えるような事態に遭遇した時にどうするのか、そうした時にこそ頭脳をフル回転させて局面の打開を試みるも上手く行かず・・・という展開を期待したくなったのは、やはり自分が馬鹿な男で、天才女子に嫉妬というか潜在的な恐れを抱いているからなのだろうか。
他に弱点として挙げられるのは、キャリーが初めてする仕事や、初めて持つ学校以外の場での人間関係の描写が極端に少ないということである。キャリーの課題は、コミュニケーション力の欠如ではなく、むしろ過剰なコミュニケーション力だからだ。トレーラーにもあったが、カフェでイスを貸して欲しいだけの男性客に「私を口説こうとしても・・・/ Before you move into your moves …」などと言ってしまうあたり、コミュニケーションが下手なのは、能力の欠如ではなく過剰であるのは明らかだ。だからこそ、キャリーの成長とは、キャリーが世界に受容されることではなく、キャリーが世界を受容することなのだ。そしてそれは、冒頭のカウンセリングでマシンガンの如く喋り倒して、ペトロフの言うことなど聞くつもりはないのだという姿から、友人たちに普通に話し、普通に話しかけられるようになる姿に変わっていくことで表現されてしかるべきだったと思うのである。
総評
日本とアメリカを始めとした西洋世界では、幸せの概念が異なる。HappinessはHappenと語源を同じくするのである。ハッピーとは、自分の力でなにがしかのコトを起こす力を持つことを言うのだ。そう考えれば、メーテルリンクの『 青い鳥 』(The Blue Bird)というチルチルとミチルのアドベンチャー物語が、日本では『 幸せの青い鳥 』と訳されたというのは名訳と言うべきであろう。本作も、欠点は抱えながらも、幸せを追求する少女の物語として鑑賞に耐えうる作品に仕上がっている。