マレフィセント2 45点
2019年10月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング ミシェル・ファイファー
監督:ヨアヒム・ローニング
『 マレフィセント 』は非常に時代に即した映画だった。異種の間で愛が育まれるのかという問いは、現代においてその重みを増すばかりだからだ。古いおとぎ話を再解釈する意義は確かにそこにあった。だが、続編たる本作はどうか。現代的なメッセージも盛り込まれてはいるものの、ご都合主義的なストーリーの粗が目立つ。
あらすじ
ムーアの王女オーロラ(エル・ファニング)は、アルステッドの王子フィリップから求婚され、受諾する。アルステッド王妃のイングリス(ミシェル・ファイファー)はオーロラと彼女の保護者的存在であるマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)を晩餐会に招待するが・・・
ポジティブ・サイド
CGは美麗の一語に尽きる。もちろんCGっぽさは何をどうやっても隠せないのだが、ムーアの民の活き活きとした暮らしぶりや、終盤のバトルシーンのグラフィックは実にハイレベルである。日本の白組あたりは、予算ではなく別の分野で勝負してほしい。ディズニーと物量勝負をしたら負ける。絶対に。
アンジェリーナ・ジョリーの代表作は『 60セカンズ 』と『 トゥームレイダー 』だと思っているが、代名詞的な作品は『 マレフィセント 』と本作『 マレフィセント2 』だろう。特にララ・クロフトはアリシア・ヴァイキャンダーという後継者が出現してしまった。しかし、マレフィセントの後継者はおそらく出ないだろう。ハリソン・フォードが「自分が死ねば、インディアナ・ジョーンズというキャラクターも死ぬ」と公言しているが、それと同じくらいにジョリーはマレフィセントにハマっているし、キマっている。まばたきをせず、抑揚を小さく、しかし腹の底に響いてきそうな迫力を持って話すマレフィセントという魔女は、特殊メイクではなくジョリーの演技力で生み出されているということがよく分かる。
エル・ファニングも可憐で、しかし芯の強いオーロラ姫を過不足なく体現しているが、本作で彼女以上の存在感を放ったのはミシェル・ファイファー演じるイングリス王妃である。権謀術数に長け、確かな戦術眼と軍の指揮能力も持ち、そして王妃と母親という仮面をかぶることができるというスーパーウーマンである。40年後のエル・ファニングも、きっとこのような大女優に成長するのだろう。各世代を代表する女優3名の共演は、非常に見応えのあるものだった。
ネガティブ・サイド
晩餐会でジョン王が倒れるシーンのオーロラ姫に喝!!!何故にそこでマレフィセントを疑うのか。前作の感動的な展開は一体何だったのか。今作の冒頭で、屈託なくムーアの民と語らい、触れ合うオーロラ姫の姿を見て、我々は彼女がマレフィセントをはじめ、異形の者たちとも全く問題なく心を通い合わせることができる人間に成長したことを確認した。それが、婚約者に招かれた晩餐会でこのように豹変してしまうとは・・・ 言葉を失ってしまう。
マレフィセントにも喝!!!なぜ陰謀に倒れたジョン王に何でもいいから魔法で手を尽くさなかったのか。人間の話が字面通りにしか通じない、レトリックを解さないマレフィセントならば、自分に疑惑がかかっているという空気を読まずに、何らかの措置を講ずるのではないか。前作からのキャラが、強引なストーリー展開のためにぶれまくってしまっているのが残念でならない。
マレフィセントの種族が登場するのもご都合主義でしかない。終盤のバトルシーンをよりspectacularなものにすることが第一の目的にしか見えない。前作で種を超えた愛の成就を語っただから、今さら同種を持ち出す必要はない。語るとすれば、それは我が子の愛を成就させるために、我が子を手放すという愛の形だろう。
終盤のバトルシーンも迫力はあるが、説得力はない。闇の妖精たちには、斥候を放つという概念は無いのか。いや、「よろしい、ならば戦争だ」「戦争だ!」と意気込むからには、戦いの概念を有していることは間違いない。というよりも、人間に地下世界に追いやられたのも、戦闘に敗れたからだろう。なぜ自分よりも強い相手と戦おうという時に、正面突破を図ろうとするのか。それも、高射砲的な兵器で画面を彩りたかった脚本家や監督のご都合主義である。
マレフィセントの大変身も既視感ありありである。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のラドンを既に観た映画ファンには物足りないと感じられたはずである。そして、その後の戦闘の終結シーンもご都合主義の極みである。戦争や抑圧がどのような負の感情を生み出すのかは、韓国が日本に、ベトナムが中国に、イラクがアメリカに抱いている感情を慮れば理解できる。異形のマイノリティとも手を取り合うことができる、というアメリカの新しいイデオロギーをスクリーンに映し出したいのであれば、もっと説得力のある脚本が必要である。ヒューマンドラマだった前作に対して、本作はアクション作品になってしまっている。
総評
非常に評価の難しい作品である。エル・ファニングが出演しているだけで5~15点は加点してしまうJovianをもってしても、45点が限界である。とにかく物語にリアリティがない。おとぎ話には普遍的な真実の一端が含まれていなければならないが、それも無し。製作者側としては現代的な寓話にしたいのだろうが、それならば前作を子供向けに、本作を大人向けに作るべきだった。これではあべこべである。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
One can never be too careful.
アルステッド女王の台詞で、確か字幕は「油断大敵よ」だった。直訳すれば、「人はどれほど注意しても注意しすぎることはできない」だが、そんな冗長な日本語よりも油断大敵という四字熟語の切れ味を買おうではないか。英語の学習者であるという方は、是非以下の英文を訳されたい。それによって貴方の勤務先がホワイト企業か、それともブラック企業かが判別できるだろう。
You can never work too hard.
You can’t work too hard.
前者は「どれだけ一生懸命に働いても、一生懸命すぎることはない」=「もっともっと一生懸命に働け」ということで、このように訳した貴方はずばりブラック企業勤めだろう。後者は前者と同じ意味だが、文脈によっては「あまりにも一生懸命に働いてはいけない」という禁止命令になる。このあたりの意味の判別が瞬時にできれば、英語学習の中級者である。