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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 惡の華 』 -クソ中二病によるクソ中二病展開のクソ物語-

Posted on 2019年10月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

惡の華 20点
2019年9月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:伊藤健太郎 玉城ティナ 秋田汐梨
監督:井口昇

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劇場で予告編を何度か観ただけで鑑賞。予備知識ほぼ無し。なぜこんなクソ作品を観ねばならんのかとも思うが、カネを出して観てみないことには良いか悪いか分からない。大切なのは、作品を鑑賞した上で意見を述べることであろう。

 

あらすじ

春日高男(伊藤健太郎)は自分が灰色の無味乾燥した世界に生きていると感じる中学生。ボードレールの『 惡の華 』に惑溺することで自尊心を満たしていた。ある日、衝動的に憧れの女子である佐伯奈々子(秋田汐里)の体操服を盗んでしまったところを、問題児の仲村佐和(玉城ティナ)に目撃されてしまう。佐和に脅迫される形で契約を結んだ春日は、仲村に翻弄され、徐々に暴走していく・・・

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ポジティブ・サイド

『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』や『 青夏 きみに恋した30日 』で、うっすらと秋田汐里は印象に残っている。どことなく南沙良を思わせる獣性が感じられ、個人的には良い感じである。『 町田くんの世界 』の関水渚の良いライバルになりそう。切磋琢磨して頑張って欲しい。彼女らのハンドラーはしっかりと仕事をしてほしい。中高生あたりにありがちな意図しないお色気シーンや水着姿を楽しむ向きもあるかもしれない。というか10代半ばなのに、よくこんな○○○○(未遂?)シーンの撮影を引き受けたものだと素直に感心する。

 

飯豊まりえも、登場シーンはそれほど多くないものの、地に足のついたキャラクターを好演した。『 暗黒女子 』よりも、こういうキャラクターの方がより説得力を出せる。女王蜂キャラにはまだ足りないが、クラスの人気者キャラならば充分に見ることができた。

 

ネガティブ・サイド

主人公たる春日高男の中二病の根の深さが全く伝わらない。冒頭の街のシーンを多少セピア調に加工しても、そんなものは小手先のテクニックに過ぎない。街に自分の意識を閉じ込められて、精神に変調をきたしていく物語ならば『 タクシードライバー 』という不朽の名作(怪作?)もある。仲村さんが叫ぶ「どいつもこいつもセックスことしか考えてねえ!」という言葉は、原作を改変してでも高男の心の声にしてしまうべきだった。そうでないと高男が精神の平衡を失ってしまう過程に説得力が生まれない。または邦画の例に倣うなら『 ここは退屈迎えに来て 』で描かれたような、どこまで車で走っても全く変わり映えのしない同じような街並みがエンドレスで続いていくという地方都市の没個性さも使えたはずである。他にも小学生から中学生になっても街並みが何一つ変わっていかないという時系列的な描写があれば、それも高男の精神の変調を説明する役には立ったはずだが、それもなかった。ボードレールを読み耽っているだけの自意識過剰少年には何の共感も抱けないし、彼が壊れていく過程にもリアリティを認められない。「今この瞬間に抑圧された青春を過ごしている、またはかつてそうだった大人たちに本作を捧ぐ」みたいな序文から作品は始まったが、そのメッセージは果たしてどれくらいの人にどれくらいの迫真性をもって届いたのだろうか。疑問である。

 

佐和がエキセントリックなキャラクターであることは分かるが、そんな佐和と高男が共依存のような関係になる描写が決定的に弱い。自分が特別であると思い込まなければやっていられないような家庭環境で育ったわけでもなさそうだし、なにより高男のような読書家がこのような狭量な世界観を持つのだろうか。Jovian自身も相当に鬱屈した青春を過ごしたという自覚症状は今でもあるし、当時もそうした自覚はあったし、はっきり言って根拠のない自信に基づいて周囲の人間をクソムシ扱いしていた。けれどそれが自分の弱さであるという自覚もあった。自分が他人と何も変わるところがないとは認めたくないという過剰な自意識を、自分で意識することができていた。高男と佐和の物語にどうしても入り込めなかったのは、テロ紛いのことでしか意見表明ができない、遅れてやって来たプチ過激派にしか見えなかったからだろう。だが、そうした物語にも名作はある。リブート(続編?)に期待と不安の両方を抱かせる『 ぼくらの七日間戦争 』が好個の一例である。

 

何らかの場面の転換が、すべてキャラクターの絶叫で締めくくられるのもワンパターンすぎる。雨の中で叫べば、確かに何かが決定的に終わってしまったようにも感じられるが、一つの作品の中で似たような展開を繰り返すのはいかがなものか。そもそも高男自身にほんのちょっとの勇気があれば、佐伯さんに「付き合ってください」ではなく「ずっとずっと好きでした」と言えれば、円満に解決していた。というか、最近は「好きだ」と伝えずに、「付き合ってください」だけで男女の交際が始まるものなのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡茉優による「付き合ってくれとは言われたが、好きだとは言われていない」と高揚が一気に冷めるシーンがあった。結局は高男がチキンなだけである。あるいは読書家ではあっても、書物から人間模様を学ぶことができなかった愚か者である。

 

総評

酷評させてもらったが、確かにこうした共依存の関係や過剰な自意識の防衛機制に共感を覚える人もいるだろうとは想像できる。すべては波長が合うかどうかだ。Jovianは、はっきり言ってクソ映画であるとは思うが、それはキャラクターがクソなのであって、演じる役者やそのキャラの生みの親たる原作者、さらに監督その人までがクソとはまでは思わない。『 覚悟はいいかそこの女子。 』では“欠損家庭”、“貧困家庭”といった社会派の要素を込めてきた井口監督であるが、個人の内面を描く物語に関しては、さらなる精進が必要ということだろう。捲土重来に期待。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am a pervert, too.

 

劇中で仲村さんは「私も変態なんだ」と言っていたように記憶している。変態=pervert、と覚えておけば、ほぼ間違いはない。もう一つ、kinkyという単語もある。英語圏の人間に妙な勘違いをされたくないということから、近畿大学は英語名をKinki UniversityからKindai Universityにしたということである。変態は hentai という International Language にも実はなっている。これも、ある意味ではクール・ジャパンだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, サスペンス, 伊藤健太郎, 日本, 玉城ティナ, 監督:井口昇, 秋田汐梨, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 惡の華 』 -クソ中二病によるクソ中二病展開のクソ物語-

『 殺人鬼を飼う女 』 -エロシーンを減らして再編集せよ-

Posted on 2019年8月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

殺人鬼を飼う女 20点
2019年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:飛鳥凛 水橋研二
監督:中田秀夫

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シネ・リーブル梅田で『 アンダー・ユア・ベッド 』と『 殺人鬼を飼う女 』のパンフレットを目にした時は興奮した。『 君が君で君だ 』で大石圭に少しだけ触れたが、東野圭吾ではない作家の小説も映像化されるようになってきた。これは嬉しい傾向である。それでは、本作はどうか。もしかしたら、我々の愛した中田秀夫監督は、終わってしまったのかもしれない。

 

あらすじ

キョウコ(飛鳥凛)はビストロでギャルソンとして働いていたが、実は解離性同一性障害、俗に言う多重人格だった。自宅マンションの隣の住人が、たまたま大好きな小説家の田島冬樹(水橋研二)だったことで、キョウコの心は仄かにときめいた。しかし、キョウコの中の他の人格たちは、そのことを快くは思わず・・・

 

以下、映画のネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

主演の飛鳥凛の裸体は美しかった。ものすごく顔立ちが整っているだとか、ものすごくプロポーションが良いというわけではないが(失礼)、普通の美人が普通に脱いで、普通にエロい演技をしてくれる。それはそれで凄いことである。濡れ場を演じると、ある方面では評価が高まるが、ビッグスクリーンに出たり、あるいはお茶の間のCMに起用されたりする可能性は低くなる。そういう意味では出し惜しみせずに、見せられる部分はすべてさらけ出した飛鳥は“表現者”として認められなければならない。

 

同じくその他人格たちや、水橋研二も同様である。最後の4Pは一体どれくらいの時間をかけて撮影したのだろうか。とにかく出演者に拍手である。『 娼年 』でもそうだったが、セックスを性欲処理ではなく愛情表現あるいはコミュニケーションの一形態としてしっかりと描くことができれば、それは立派な芸術である。

 

ネガティブ・サイド

主人格と副人格たちを別の役者を使って、同時に映し出す。それ自体は別に構わない。しかし、そこにひと手間が欲しかった。キョウコは鏡に映るが、他の人格たちは映らないだとか、キョウコには影があるが、他の人格たちには影がないだとか。何かしらの仕事がそこに為されているべきだった。

 

彼女らは人格という意味では実在するが、実体は存在しない。体はキョウコのものなのだから。だからこそ、自分たち同士でまぐわう時には、キョウコが常に受けである。ここまでは理解できる。だが、別人格たちがパーティーをしながら飲食するシーンがある。これは一体どういうことだ?もちろんそれは幻なのだが、そもそもそんな幻を見ること自体がおかしいではないか。

 

多重人格ものは小説でも映画でも量産されてきた。近年でも『 スプリット 』や『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』などが公開された。多重人格もののクリシェは、まだ隠された人格がある、ということに尽きる。なので、その隠された人格が、いつ、どのような条件で出現するのかがサスペンスを生み出す要因になる。

 

だが、タイトルにもなっている殺人鬼の人格が現れるタイミングがよく分からない。エクスタシーを感じると出てくる?だからセックス後に出現するのか?いや、公園で小説を読んでいる最中にも出現したようだ。ならば、恍惚とした時か?だとすると、夜中にベッドから起き上がって人格交代した理由が説明できない。いや、幼少の頃から殺人鬼の人格はすでに存在していたはずだ。でなければ、冒頭のシーンも説明がつかない。人形をベランダから落とすシーンからすると、どうも一番幼い人格が一番怪しそう・・・というか、唯一、殺人鬼の人格と通じていそうだが、物語はそのあたりを明らかにしてくれない。それはそれで構わないのだが、せめて人格交代のタイミングやきっかけに一貫性を持たせる演出をしてほしい。

 

最大の不満は、エロシーンが無意味に長いことである。上映時間は83分だが、レズやセックスのシーンを5分削って、その他の細かい描写を10~12分加えて1時間半のランタイムにすることができるはずだ。その時間で、捨ててしまった本を回収するシーンを追加したり、キョウコの母と田島の会話をもっと掘り下げたり、来るべきタイミングで警察が来ない理由を説明したり、キョウコと田島が互いへの思慕の情を募らせるシーンをもっと丹念に描いたりできるはずだ。中田監督はいったい何を撮りたかったのか。本来ならば、編集に費やす時間を使って、やたらとうるさいリップ音やセックスシーンの結合部の抽送音の音量をせっせと弄くっていたのだろうか。

 

総評

一言、つまらない。多重人格ものとしてあるべき新しさがないし、ホラー要素にも欠ける。飛鳥凛その他の女優の裸体を鑑賞したいという向きには自信をもってお勧めするが、ホラー、サスペンス、ミステリ、スリラーなどのジャンルを好むシリアスな、ハードコアな映画ファンにはとてもお勧めはできない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

「後で連絡するね」

We’ll be in touch. 日本語的に考えると、主語=私となり、I’ll contact you later.となる。それでも特に問題はない。ただ実際には“We’ll be in touch.”=私たちは連絡状態になる、という表現が好んで使われる。『 ア・フュー・グッド・メン 』でも、“You’re not going anywhere, Colonel.”という台詞があるが、「大佐、あなたはどこにも行かないでしょう」ではなく、「(私はあなたを)どこにも行かせませんよ、大佐」のような訳となる。この辺の主語の感覚が英語の面白いところ。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, 日本, 水橋研二, 監督:中田秀夫, 配給会社:KADOKAWA, 飛鳥凛Leave a Comment on 『 殺人鬼を飼う女 』 -エロシーンを減らして再編集せよ-

『 旅猫リポート 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー級のつまらなさ-

Posted on 2019年8月5日2020年4月11日 by cool-jupiter

旅猫リポート 25点
2019年7月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:福士蒼汰 高畑充希 広瀬アリス 竹内結子
監督:三木康一郎

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昨年(2018年)、どこの映画館で何の映画を観ても、本作の予告編ばかりをこれでもかと巨大スクリーンで見せつけられたという印象が残っている。はっきり言ってトレイラーだけでストーリーの全体像が見えてしまっている。きっと出来の悪い韓国ドラマよりも、さらに出来が悪いのだろうな・・・。そんな予感を抱いていたが、果たしてそれは正しかった。

 

あらすじ

悟(福士蒼汰)は愛猫のナナ(高畑充希)を里子に出すためにクルマを走らせ、旧友たちを訪れていく。なぜ悟はナナを手放すのか。車中で悟は自分と猫との関わり合いに思いを馳せて・・・

 

ポジティブ・サイド

高畑充希の声が存外に猫に合っていた。猫が喋る作品というと『 銀河鉄道の夜 』や『 ドラえもん 』が想起されるが、高畑の声はどことなく田中真由美や大山のぶ代といった大御所のそれを通じるところがある。

 

あとはナナのあらゆる動きをカメラに収めたcamera operatorの皆さまと撮影監督、そしてそれらを見事に繋ぎ合わせた編集担当者たちに敬意を表したいと思う。

 

ネガティブ・サイド

これは『 コーヒーが冷めないうちに 』に優るとも劣らないクソ映画である。最初から観る人に「どうぞ感動してください!!」と声高にお願いしてしまっている。それで感動できてしまう人は、よほど純粋な心の持ち主か、あるいは最初から涙を流す気満々の人であろう。

 

本作のダメなところ其の壱は、秘密を秘密にしておきたいという製作者の願望が暴走しているところである。はっきり言って両親を事故で失くしてしまった子ども、などというのはあらゆる映像作品でクリシェになってしまっている。にもかかわらず葬儀の場であまりにも不自然な態度をとる大人たち。そして、喫茶店あるいは個室のある店で話せば良いようなことを、当の悟がいるその場で話し合ってしまう無遠慮な大人たち。さらに、悟の家族と親友の家族の不自然なまでのコントラスト。伏線はもう少しさりげなく張って欲しい。

 

本作のダメなところ其の弐は、台本の製作段階でミスがあったとしか思えない変てこな日本語の散見されることである。全てはとうてい思い出せないが、広瀬アリスの言った「お金を貯めて、ちゃんと悲しまないと駄目!」という台詞には、眩暈がした。文脈上、言わんとしていることは分かるが、このセンテンス単体を見た、もしくは聞いた人に意味が伝わるだろうか。これが正しい日本語なのか。撮影中に誰も何も感じなかったというのか。

 

本作のダメなところ其の参は、一部の役者の演技の不味さ、拙さである。悟が富士山麓でペンションを営む高校の同級生夫婦を訪ねた夜、親友はへべれけに酔っぱらっていたが、それがとても酔っ払いを観察したり接した、もしくは自分も酔っぱらってしまったことがあるとは思えない酷い演技だった。そもそも酔うというのは脳のかなりの部分の機能が低下している状態なわけで、もちろん運動能力も低下している。にもかかわらず、悟の肩に担がれた時に、とても悟の側に体重を預けているようには見えなかったし、歩き方もしっかりとしたものだった。その後に、悟との別れ際の妻と悟の思わぬ台詞の応酬に対して見せた混乱と安堵の表情は良かった。顔だけで演技せず、全身を使って演技してもらいたい。

 

その他、細部に腑に落ちない点が多々見受けられた。例えば、竹内結子。なぜ猫が苦手で、テーブルに飛び乗ってしまうほど恐怖心を感じていることを披露した次の瞬間に、ナナを何の抵抗もなく撫で回すのは何故なのか。看護師さんが「巡回行ってきまーす」と言うシーンがあるが、普通は「ラウンド行ってきまーす」だろう。また、医師の死亡確認方法もおかしい。聴診器で心音ぐらい聞け。大昔のことだが、刑事ドラマなどで素人が頸動脈に触れただけで「駄目です、死んでます」などという戯けた死亡確認に激怒した医師会だったか何かの団体がテレビ局に猛抗議したと聞いたことがある。頸動脈で脈が触れなくとも、心臓付近なら微弱な脈がある場合も稀にあるのだ。医療系の団体がテレビ局に抗議する時は医学的なエビデンスがしっかりしていることが多い。サザエさんがピーナッツを空中に投げてパクっとやらなくなったのも、医師の抗議ゆえだった。製作者側は医療業界の事前調査が甘い。また、墓参りのシーンで、虹が出る方向が間違っていた。虹は太陽の反対側に出現する(というか見える)が、墓所の様々なオブジェの影は、虹に対して90~110度右方向にずれていた。つまり、太陽を左手に見ながら悟は虹を見ていたわけで、これは物理的にありえない。

 

ファンタジー映画だから、細かいことはどうでもいいでしょ?という姿勢がありありと伺えるが、その考え方は大間違いである。ファンタジーに説得力を持たせるには、世界の全てをファンタジーに染め上げる(例『 ロード・オブ・ザ・リング 』)か、あるいはファンタジー要素以外のリアリズムを極めるか(例『 シン・ゴジラ 』)のどちらかである。本作は端的に言って失敗作である。

 

総評

まともに鑑賞しようと思ってはいけない。悟に仕込まれた秘密の設定にも驚きはない。猫と人間のドラマチックな関わりを観たいのであれば、NHKで『 地球ドラマチック 』や『 ダーウィンが来た! 』の猫特集をどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ファンタジー, 広瀬アリス, 日本, 監督:三木康一郎, 福士蒼汰, 竹内結子, 配給会社:松竹, 高畑充希Leave a Comment on 『 旅猫リポート 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー級のつまらなさ-

『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

Posted on 2019年6月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

獣は月夜に夢を見る 35点
2019年6月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソニア・ズー
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

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原題は“Nar dyrene drommer”、英語では“When Animals Dream”である。日本語にすれば、「獣が夢見る時」ぐらいであろうか。獣とは何か、獣が象徴するものは何なのか。

 

あらすじ

マリー(ソニア・ズー)は父と母と寂れた漁村で暮らす少女。母はほとんど体を動かすことができない車イス生活である。鮮魚の出荷向上に就職したマリーは、周囲からのいじめと、自身の心身に起こる奇妙な変化を経験していた・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどに映画的な演出に乏しい。それが逆に心地よい。北欧の映画にそれほど詳しいわけではないが、『 THE GUILTY ギルティ 』でも顕著だったように、主人公の表情や仕草、立ち居振る舞いに注目をすることが北欧、デンマークの流儀であるようだ。これ見よがしに、取って付けたようなシネマティックな演出などは行わない。しかし、ビジュアル・ストーリーテリングの面では外さない。きっと彼の国の映画ファンの目は肥えているのだろう。

 

主演を張ったソニア・ズーは、セクシーなシーンも厭わず演じる本格派。16歳の役を演じるには少々無理があるが、彼女をキャスティングしたサスペンスやスリラー、ホラーをもう1、2本は観てみたいと思わされた。

 

ネガティブ・サイド

マリーに心身の異常が発生するのが少し早すぎるように感じた。鮮魚出荷工場でのいじめがきっかけであれば素直に納得できる。そうではない理由は何なのだろうか。

 

マリーの獣性の萌芽は、物語の割と序盤から見られるが、母親に対する非人間的な接し方の意図もなかなかに分かり辛い。ごく狭い共同体の中で、母の存在が自らの存在への負担になっていると見ることは容易い。しかし、母の介助や介護の大部分は父によってなされている。思春期真っ只中という設定のマリーの心情を慮るのは難しいが、もう少し母と娘らしい関係の描写があっても良かったのではないか。

 

マリーの獣性が爆発する最終盤、人間と獣の境目を象徴するシーンがあるが、普通の人間に潜む残酷さと獣に宿る愛の対比の描写が非常に弱々しく感じられた。原題にある「獣が夢見る時」というのは、もう少し神々しい、それがあまりにも大仰な表現であると言うなら、もう少し美しい情景であったはずである。

 

総評

これこそRainy Day DVDであろう。梅雨で外出する気が起きない時に、1時間半ほどの時間を潰す目的で観るべきである。本作は、人生を変えるようなインパクトはもたらさない。ありきたりなホラー、ありきたりなスリラーである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, ソニア・ズー, デンマーク, フランス, 監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

『 クリミナル・タウン 』 -凡百のクライム・サスペンス-

Posted on 2019年6月11日2020年4月11日 by cool-jupiter

クリミナル・タウン 30点
2019年6月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート クロエ・グレース・モレッツ
監督:サーシャ・ガバシ

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アンセル・エルゴートとクロエ・グレース・モレッツの共演ということで、劇場公開時に何度かなんばまで観に行こうと思っていたが、どうにもタイミングが合わなかった。そして当時の評判も芳しいものではなかった。だが、評価は自分の目で鑑賞してから下すべきであろう。

 

あらすじ

ワシントンDCの一角で、男子高校生が射殺された。警察が捜査するも、その方向性がアディソン(アンセル・エルゴート)には的外れに見える。業を煮やしたアディソンは独自に事件の捜査を進めていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは2015年に、大阪市内でワシントンDCからやってきたアメリカ人ファミリーと半日を過ごしたことがある(詳細は後日、【自己紹介/ABOUT ME】にて公開予定)。その時に、「DCの一角では毎日のように殺人事件が起きている」と聞いた。そうしたことから、本作には妙なリアリティを感じた。さっきまで普通に会話をしていた同級生が殺されたことに対する周囲の反応の薄さ、それに対するアディソンの苛立ち、若気の無分別による暴走を、アンセル・エルゴートはそれなりに上手く表現していた。

 

ネガティブ・サイド 

クロエ・グレース・モレッツ演じるフィービーというキャラは不要である。彼女の存在は完全にノイズである。86分という、かなり短い run time であるが、フィービーのパートを全カットすれば60分ちょうどに収まるだろう。はっきり言って脚本家が一捻りを加えることができずに、苦肉の策でアディソンとフィービーの初体験エピソードをねじ込んだのではないかと思えるほどに、ストーリーは薄っぺらい。

 

薄っぺらいのはアディソンの母親に関するエピソードもである。『 ベイビー・ドライバー 』とそっくりなのだが、母親の幻影をいつまでも追い求めているような心情描写も無いし、フィービーにセックスを求める一方で、母性を求めたりはしない。矛盾しているのだ。父親役のデビッド・ストラザーンも米版ゴジラ映画に連続で出演したりと、決して悪い俳優ではないが、高校生の父親役として説得力を持たせるにはかなり無理がある。年齢差があり過ぎる。

 

肝心の同級生ケビンの殺害の真相も拍子抜けである。というよりも、アディソンも気付け。友人の死と周囲の無関心に苛立つのは分かるが、死者を想い、死者を悼むために必要なのは、真相の追究ではなく、まずはその死を受け入れることだ。校長に突っ込みを入れるタイミングもワンテンポ遅れている。トロンボーンではなくトランペットであるならば、即座にそのことを指摘すべきだ。生者が死者を鎮魂するには、記憶を、思い出を持ち続けることが第一なのだから。

 

総評

ミステリとしてもサスペンスとしてもジュヴナイルものとしても非常に貧弱な作品である。何故こんな杜撰な脚本が通り、それなりに知名度も人気もあるキャストを集めてしまえるのか。そこにこそ本作最大のミステリが存在する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, クロエ・グレース・モレッツ, サスペンス, ミステリ, 監督:サーシャ・ガバシ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 クリミナル・タウン 』 -凡百のクライム・サスペンス-

『 パラレルワールド・ラブストーリー 』 -文句なしに駄作-

Posted on 2019年6月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

パラレルワールド・ラブストーリー 20点
2019年6月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:玉森裕太 吉岡里帆 染谷将太 
監督:森義隆

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最初のトレイラーを観た時は、「なんか駄目っぽい」という印象だった。Jovianはそもそも東野圭吾との相性が良くないのだ。だが監督が『 聖の青春 』の森義隆ということで少し期待感が高まった。しかし、2つ目か3つ目のトレイラーの「こっちが・・・現実だ・・・」という玉森の台詞にがっくりさせられた。並行世界の物語ではなく、仮想現実または妄想・空想の世界の物語であることがバレてしまったからだ。それでも鑑賞を決断したのは、このトレイラー自体も misleading のための仕掛けではないかと思ったからだ。そして、このタイトルはmisleadingであり、かつmisleadingではなかった。

 

あらすじ

敦賀崇史(玉森裕太)は恋人の津野麻由子(吉岡里帆)と同棲していた。しかし、目覚めると麻由子は親友の三輪智彦(染谷将太)の恋人になっていた。二つの世界を行き来する崇史。いったい彼の見ている現実とは何なのか・・・

 

ポジティブ・サイド

吉岡里帆のベッドシーン。肝心の部分は見せてもらえないが、誰もが『 娼年 』のような映画に出演して、すっぽんぽんになれるわけではない。そんなことになったら、ラブシーンの価値が下がるだけである。吉岡ファンならば、劇場鑑賞はありであろう。音響の良い映画館ならば、吐息の音をリアルに感じられるかもしれない。

 

構成も悪くない。序盤でCG丸出しの山手線と京浜東北線が二手に分かれていく様は、確かに世界の分岐、パラレルワールドの存在を感じさせてくれた。わずか一駅だけの間、並走する電車の中に運命的な相手を見いだせれば、それは相当にロマンティックなことだろう。JR西日本では、宝塚線の快速と神戸線の快速が、しばしば尼崎駅をほぼ同時刻に発車して、この物語と同じように並走する。交わりそうで交わらない線が、思いがけない形で交わる時、人が正常でいられなくなるのは無理からぬことなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

残念ながら様々な面でリアリティを欠き過ぎている。冒頭からファンタジー路線ではなく、脳科学に関する業務の話が専門的な用語を交えてポンポンと飛び出してくるが、これはsciencyではあってもscientificではなかった。というよりも、記憶を改変・改編させるのに大袈裟な装置を使う必然性が見つからない。根気良く催眠療法的なセッションを繰り返してはいけないのだろうか。また、脳の特定部位の励起状態を別領域に転写する、それを光刺激を与えることで特定遺伝子を刺激することでその状態を生み出せるなどという説明があるが、完全に意味不明だ。光刺激を目に入れないところが分からないし、百歩譲って皮膚に光を照射、メラニンへの刺激経由で脳に影響を波及させるというなら話は分からないでもないが、そもそも照射装置が見当たらない。また、色々な電極やコードらしきものが光を放つにしても、髪の毛ふさふさの頭には効果は極小だろう。

他にも、記憶の分類を劇中でしっかり行わないため、記憶改変のインパクトが強く感じられない。あるキャラクターが出身地に関する記憶を改変されてしまうのだが、エピソード記憶をいじくることが可能というインパクトは個人的には大きかった。しかし、劇中の、しかも白衣を着てラボで働くような連中が事の重大性を全く認識していないかのように振る舞うのは不可解極まりない。人間の記憶ほどあてにならないものはない。それは、亡国の政治家や官僚の答弁を聞けば、よくよく分かることである。また、記憶改変によって周辺記憶と齟齬をきたした場合には、自分に都合の良いように話を置換してしまう“ドミノ効果”なるものもイマイチ分からない。これこそまさに“バタフライ・エフェクト”で、その効果・影響の大きさなど知る由もないではないか。なぜ智彦はこんな危険な効果を指して「100%大丈夫だ」などと断言できるのか。サンプル数が1とか2という段階で、こんなことを言えてしまうとは本当に科学者なのか。また、会社の上層部もこの研究や装置については把握していたようだが、ならば何故こんな危険性が未知数の代物を、一研究者が自由に使えてしまう状況を放置するのか。複数役員の承認、それも指紋や声紋、虹彩による認証などを必要とするようなものに思えるが、課長または部長級に見える男性が監視らしき真似ごとをするのみ。麻由子も監視するならちゃんと監視しろ。スリープ状態になってしまう恐れがあるのだから、呑気に電話報告するにしても、尾行ぐらいしろ。巨大企業の危機管理とは思えない杜撰さ。リアリティがとにかく足りない。

だが、何よりも不可解なのは、キャラクターの行動原理だ。それこそ「恋愛感情」というもので済ませてしまえばよいのだが、あまりにも醜い面が噴出しすぎている。友情よりも恋愛に走る崇史は誰も批判や非難はできない。しかし、レイプは完全に犯罪ではないか。麻由子とベッドインできない智彦には同情するが、だからといって自ら身をひこうなどとは思えない。障がいを揶揄するつもりは一切ないが、乙武氏でも立派に不倫・不貞行為はできるのだ。何をくよくよしているのだ。

ラストはそれこそ『 バタフライ・エフェクト 』の丸パクリ。様々な可能性を残して、観る側の想像力に委ねるのは、ここまで来るともはやクリシェを通り越して、製作者側の怠慢である。

 

総評

駄作である。『 プラチナデータ 』級の科学的不可解さが満載である。「記憶」または「タイムトラベル」を巡る物語の序盤は常に面白いものだ。しかし、本作はストーリーの根幹を支えるべき科学的リアリティとキャラクターの人間性の酷さによって、それなりに良い食材が、最後まで食べるのが苦痛なフルコースになってしまった。残念至極である。記憶をテーマにした映画や小説はそれこそ無数にある。よほどの東野圭吾ファンでなければ、これを選択する意味は無い。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, SF, ミステリ, 吉岡里帆, 日本, 染谷将太, 玉森裕太, 監督:森義隆, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 パラレルワールド・ラブストーリー 』 -文句なしに駄作-

『 GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 』 -着眼点は良かった-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 35点
2019年5月5日 宇治市源氏物語ミュージアムにて鑑賞
出演:前野智昭 M・A・O
監督:太田里香

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まったく何の予備知識も無く、たまたま立ち寄った京都の博物館にて鑑賞。おそらくこの作品をしっかりレビューしようという好事家は日本広しと言えどJovianくらいではなかろうか。

 

あらすじ

華が早蕨の道を歩いていると植物にヒカルゲンジの名が与えられていた。同級生の光二に光源氏の話題をふられるも、興味が示さない華。しかし、そこに光源氏が現れて華はタイムスリップ、そこでは猫の姿になっていて・・・

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ポジティブ・サイド

タイトルとは裏腹に、話の焦点は光源氏ではなく紫式部にある。つまり、キャラクターではなく、そのクリエイターの方にある。これは正解であろう。尼崎城VRシアターでも、近松門左衛門が主役兼ナレーターだった。何かを紹介したいと願うなら、キャラよりも作者をフィーチャーした方が良い。その方が間口が広がる。また世界を見渡しても、アメリカやインドなどで女性にフォーカスした作品が数多く生み出されるようになってきている。ここで言う女性とは、主体性を持った女性ということである。決して、男性にとって都合のよい女性像の体現者という意味ではない。そうした流れの中で、日本が世界に誇るべき女性作家・文学者として、紫式部に新しい光をあてたのは、太田里香監督の卓見だろう。

 

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ネガティブ・サイド

当たり前と言えば当たり前であるが、背景は全くと言っていいほど動かない。光や風の表現もない。アニメーションだからと言って、スタジオジブリのクオリティを絶対に期待してはいけない。

 

また声優の猫撫で声の演技もやや鼻につく。猫撫で声と猫の声というのは似て非なるものだということを知らねばならない。

 

ちょっとしたドッキリというかドンデン返し的なプロットもあるが、その見せ方もまるで男に媚びるようだ。光源氏に恋をするというのは、イケメンに惚れるということではないはずだ。1000年読み継がれてきた物語が、これから1000年先の未来にまで読み継がれるように自分でも読む、つまり歴史にコミットするということのはずだ。光源氏に恋をするというのは、光源氏というキャラクターを生かし続けたいということのはずだ。それこそが紫式部の想いのはずで、そのメッセージをダイレクトに受け取った次の瞬間の華の変節ぶりは、いったい何なのだ。こういう短編を作りたいのなら、ミュージアムではなくYouTubeでやってくれ。

 

総評

目の付けどころは良かったが、着地で盛大に失敗した作品である。泉下の紫式部も頭を抱えていることだろう。それでも『 千年の恋 ひかる源氏物語 』『 源氏物語 千年の謎 』や漫画『 源君物語 』など、現代においても源氏物語は古典であり、巨大なインスピレーションでもある。もしも京都府宇治市を訪れることがあれば、観てもよいかもしれない。20分程度の短編なのですぐに終わる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, アニメ, 前野智昭, 日本, 監督:太田里香, 配給会社:宇治市源氏物語ミュージアムLeave a Comment on 『 GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 』 -着眼点は良かった-

『 凛 りん 』 -青春ものとしては及第点、ミステリ要素は落第点-

Posted on 2019年3月9日2020年1月10日 by cool-jupiter

凛 りん 30点
2019年3月3日 イオンシネマ京都桂川にて鑑賞
出演:佐野勇斗 本郷奏多
監督:池田克彦

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『 火花 』はそれなりに面白い私小説であり、映画であった。又吉本人は心外に思うだろうが、あれはどう見ても私小説である。エンターテインメントの本質はフィクションにある。小説家にしてJovianの兄弟子(と勝手に私淑させてもらっている)奥泉光もそのような趣旨の発言をたびたびしている。あらすじだけ読んで、又吉の作家、クリエイターとしての本領を味わえると直感した。しかし、期待した分だけ、落胆も大きかった。

 

あらすじ

北関東の田舎で小さな子どもが消えた。同じ地方の高校で、野田耕太(佐野勇斗)は仲間たちとお気楽に暮らしていた。何者も何事も永続はしない。それが彼の信条だった。そこに東京からの転校生、天童義男(本郷奏多)がやってきた。寡黙な彼は周囲になじめなかったが、野田のグループは彼を温かく迎え入れる。彼らは次第に打ち解けていくが、ある時、町で二人目の子どもが消えた。人々はそれを「100年に一度起こる神隠し」の再発であると考えるようになり、天童が疑われるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

意外なほどにメッセージ性を持っている。母子家庭、一昔前の言葉で言えば欠損家庭に生きる主人公。そして、それぞれ家族や家庭に問題を抱える親友たち。(邦画において)キラキラまばゆいものとして描かれることの多い高校生活と仲間たちとの友情を、永続しないものと最初から諦観して受け入れている(かのように見える)主人公。環境面の設定だけ見れば、これまでに1万回は観てきたような作品だが、これほど各キャラクターが闇を抱えている作品というのは、湊かなえの『 告白 』、『白ゆき姫殺人事件 』、そして『 チワワちゃん 』ぐらいだろうか。このような緊張感ある設定は歓迎したい。何故なら、友情の美しさを無条件に肯定するような作品はこれまでにうんざりするほど量産されてきたからだ。

本郷奏多と千葉雄大は、どのように若々しさを保っているのかを個人的に尋ねてみたいと常々思ってきた。土屋太鳳が女子高生役を演じるたびにブーイングが巻き起こるが、本郷に対してそのようなリアクションは全く出てこない。彼の fountain of youth は何なのだろうか。もちろん、肌が白いから褒めているのではなく、ニヒリストに見えても、内面に熱くドロドロとしたものを持っていることが、言葉の端々から感じられるような複雑な、一筋縄ではいかないようなキャラクターを上手く表現できているからこその称賛である。

本作は『 グーニーズ 』のような友情もの、冒険ものとして味わうべきである。そうすれば、それなりに楽しめる。というか、楽しむにはそれしかないとでも言おうか・・・

 

ネガティブ・サイド

ポジティブと裏腹だが、本作の持つメッセージ性がそのまま弱点にもなっている。一体、話の軸足をどこに置きたいのだろうか。主人公たちの高校生とは思えないニヒリズム?それと対称を為すような友情の永続性への確信?それとも神隠しのミステリ?これらすべてが互いに干渉することなく成立していれば、それは脚本と監督の卓越した手腕によるものだ。しかし、これらの要素がどれも底浅く、互いが互いを一切補完しないのであれば、メッセージ性を詰め込み過ぎて失敗した作品と評価されても仕方がないだろう。

具体的には、主人公の耕太のキャラクターが首尾一貫していない。特に天童に対しての接し方に一貫性を欠いている。特に親友の一人への接し方と比較してみると、不自然さが際立つ。冒頭で語られるような、ややニヒリスティックな哲学ゆえのことであれば、天童に対して疑惑や怒りを向けるのであれば、もう一人の親友に対しても同様の態度を取れと思う。また、東京行きに興味は無いし、地元で普通の職に就くと常々語るのなら、なぜ東京から来た女性に胸キュンするのか。いや、恋というのは気が付いたら落ちているものだから、そこは目をつぶれる。しかし、それは幼馴染の女子を無下に扱う理由にはならない。そして、そのような態度こそが、天童を東京の高校から転校せしめたある事情と見事な相似形をなしている。つまり、耕太の天童への怒りは滑稽至極なものとして映らざるを得ない。キャラがぶれまくっているのだ。

問題があるのはキャラクター造形だけではない。誘拐の真相もだ。ここでいう真相とは、神隠しの真相である。というか、横溝正史の『 八つ墓村 』に言及するまでもなく、田舎というのは人間関係が良くも悪くも濃密である。だからこそ、他人の家の複雑な事情なども簡単に周囲にシェアされるし、転校生は既存の人間関係の輪になかなか溶け込めない。そうした中で何らかの犯罪が行われれば、それによって誰がどのような利得を上げるのかがすぐに明らかになってしまう。つまり、地元民の犯行であれば、すぐに露見するのである。

また100年に一度の神隠しというのも笑止千万である。日本のどこを探しても100年毎に○○が起きるなどという伝承はないのである。理由は考えるまでもない。100年に一度の何某かの現象が法則性を帯びると考えられるには、少なく見積もっても300~400年は必要である。問題は誰がそれを語り継ぐのか、あるいは記録に残すのかである。もしも貴方の住む地域に何らかの伝承があれば、それは誰かが人為的にごく最近作ったものだと思ってよい。まさに『 八つ墓村 』である。

神隠しの真相も噴飯ものである。というか、真相など無い。こんな結末など許してよいものか。ミステリの賞に応募すれば、編集者が原稿を破り捨てること請け合いである。とにかく物語の核心がどこにあるのか分からず、またミステリ要素についても、特に驚かされるものがあるわけでもない。又吉に書けるのは、やはり私小説だけなのだろうか。

 

総評

『 ミステリーを科学したら 』の由良三郎先生が本作を鑑賞したら、何と言うだろうか。あるいは綾辻行人あたりなら、何と評すだろうか。確かなのは、彼は決して本作を褒めないだろうということだ。映像作品としても光るところに乏しい。佐野ファン、または本郷ファン、または又吉ファンでなければ、敢えて観るまでもない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 佐野勇斗, 日本, 本郷奏多, 監督:池田克彦, 配給会社:KATSU-doLeave a Comment on 『 凛 りん 』 -青春ものとしては及第点、ミステリ要素は落第点-

『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

Posted on 2019年2月26日2019年12月23日 by cool-jupiter

パズル 20点
2019年2月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーシエン・ドワイヤー  マット・デラピーナ
監督:プレストン・デフランシス

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TSUTAYAで何故か新作料金で借りてしまった。カバー、そしてあらすじだけでゴミ作品と分かったが、Sometimes I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

アレックス(マーシエン・ドワイヤー)は恋人のネイサン(マット・デラピーナ)と共に切り裂きキャンプ(Slasher Sleepout)という野外キャンプ、お化け屋敷、脱出ゲームを組み合わせたようなイベントに参加する。集まったのは個性的な男女6名。イベントをこなしていく彼らは、しかし、メンバーの一人が殺されてしまったことで混乱に陥る。アレックスとネイサンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

原題は“Ruin me”である。「私を壊して」とでも訳すのだろうか、しかし、素直に訳してしまうと、おそらく誰も手に取らないタイトルであろうし、上述したような Slasher Sleepout というのは非常に訳しにくい言葉である。『 切り裂きキャンプの悪夢 』などと、エルム街をパロったようなタイトルをつけてもダメであろう。様々な要素を一気に表す言葉として「パズル」はギリギリセーフの邦題であると評価したい。

 

そうそう、謎解きシーンでは「面白いな」と感じるシーンが一か所あった。英語と日本語の最大の違いの一つは、前者は文字と音が必ずしも一致しないことで、後者は文字と音が見事に一致するということである。この英語の特徴を活かした謎解きがあって、個人的には膝を打った。

 

ネガティブ・サイド

まず、DVDカバーのようなモンスター的なキャラは出てこない。看板に偽りありだ。普通にslasherと聞けば、『 13日の金曜日 』のジェイソンのようなモンスターか、『 ハロウィーン 』のマイク・マイヤーズ、または『 悪魔のいけにえ 』のレザーフェイスのような殺人鬼を想像するが、本作に出てくるslasherは実に小物だ。別にそれはいい。だが、このようなカバーで釣るのは犯罪的ではないか。

 

本作はマイケル・ダグラス主演の『 ゲーム 』とブライアン・デ・パルマ監督の『 キャリー 』を無造作に組み合わせて、そこかしこにシチュエーション・スリラーの要素を散りばめた、『 キャビン 』になろうとしてなれなかった粗悪品である。特に夜の森のシーンは、めちゃくちゃ暗いシーンと不必要なまでに明るいシーンが混在し、観る者の目を惑わす。勘弁してくれ。

 

キャラの変貌ぶりについても、本来はホラー映画ではない『 シンクロナイズドモンスター 』のジェイソン・サダイキスの方が遥かに怖かった。さらに一部の芸能リポーターが騒いだ有安杏果関連のニュースを事前にチェックして本作を見れば、更にしらけること請け合いである。

 

総評

見つけたら借りるな、借りても観るな。それが本作への評価である。しかし、今をときめく監督や、撮影監督、脚本家や役者連中も、メジャー作品を手掛けることができるようになるまでは、このようなクソ作品で腕を磨いてきたのだ。もしもあなたが、完成されたボクサーよりも未完の粗削りなボクサーの方が好きだ、という香川照之のような熱病的思考法の持ち主ならば、どうしても他にすることが無いという時にだけ観るのもありかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, ホラー, マーシエン・ドワイヤー, マット・デラピーナ, 監督:プレストン・デフランシスLeave a Comment on 『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

『 雪の華 』 -映像美だけは及第点-

Posted on 2019年2月19日2019年12月22日 by cool-jupiter

雪の華 35点
2019年2月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中条あやみ 登坂広臣 
監督:橋本光二郎

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『 羊と鋼の森 』の橋本光二郎監督ということで期待をしていた。期待は禁物なのだが、それでも期待するのが人の性。そして、その期待は少し裏切られてしまった。元々は10年以上前の中島美嘉の楽曲にインスパイアされたようだが、確かに当時はテレビでもカラオケボックスでも『 雪の華 』が流れまくっていたのを覚えている。

 

あらすじ 

平井美雪(中条あやみ)は小さな頃から病弱で、医師からは遂に余命一年を宣告されてしまう。失意の美雪はひったくりに遭うも、綿引悠輔(登坂広臣)に荷物を取り戻してもらう。雄輔は美雪に、「声を出していけ」と激励して去っていく。ある日、街で偶然雄輔を見かけた美雪は、雄輔の勤めるカフェにまでついて行き、そこで100万円で一カ月だけ自分の恋人になって欲しいとお願いするが・・・

 

ポジティブ・サイド

アメリカ、カナダ、オーストラリア、英国、韓国、中国、メキシコ、エジプト、インド、スペインなどではなく、フィンランドにフォーカスした作品とは本邦初ではないだろうか。知人の話では冬のフィンランドは朝の9時頃からようやく明るくなり、昼の3時過ぎを回ったあたりから薄暗くなり始めるということだった。しかし、本作は夏のフィンランドと冬のフィンランド、両方をしっかりと収めてくれる。ただ収録は夏と冬に分けて行ったわけではないと思われる。フィンランドの工芸品、街並み、ホテル、景観そして旅情ある景色を味わわせてくれる、非常に貴重な映画である。そして本作の価値およびオリジナリティはそこまでであった。

 

ネガティブ・サイド

主役二人の芝居のクオリティが低い。もちろん、素人っぽさというか普通の人がちょっとした偶然から付き合うようになり、ドラマチックな関係を育んでいく過程を映し出したいというのは理解できる。しかし中条あやみの演技が端的に言ってキモイ。恋に恋する乙女を演じているのは理解できるが、ラノベのキャラクターではあるまいし、初心でありながらも百戦錬磨的な雰囲気を出しているのは何故なのだ。たとえば幼少の頃から病弱で、小説や文学の世界に没頭していたり、または映画や少女漫画の世界に憧れていたり、という描写があれば、まだ理解できる。しかし、そうしたキャラクターのバックグラウンドを特に描くことなく、「お兄ちゃんを私に取られたと思って、嫉妬してる?」などと言うのは、唐突過ぎる。その一方で、フィンランドのホテルで部屋が一室しかないというところで慌てふためいたり、そうかと思えば部屋に一人籠りながら、期するところありげにドアの方に振り返るなど、キャラクター属性に一貫性を欠いている。

 

ここからは少しネタばれ気味であるが、ネタばれではあっても、大したものではないと判断できるのであえて書く。Jovianは冬のフィンランドに行ったことはまだないが、それでも終盤の展開が荒唐無稽であることは分かる。地元の人が「そんな服装じゃ無理だ」というのに、雪降りしきる森林そして雪原を日本のちょっと寒い日ぐらいの服装で駆け抜けていく悠輔の姿は決して感動的なものではない。滑稽を通り越してお粗末でさえある。日本映画に特有の「主役級のキャラクターが駆けていくのを横から追いかけていくショット」にはうんざりである。これまでに唯一、こうしたショットで意味を見出せたのは『ちはやふる -下の句- 』で千早が学校のグラウンドを遠景に走り出すシーンぐらい。競技かるたを個人競技と見誤ってしまった千早が、サッカーや野球の練習をする生徒達を背景に走るシーンは、仲間の元へと帰ろうとする千早の内面の心象風景と合致していた。このように意味のあるショットは認める。しかし、ただ単にそれがよく使われている手法だからといって採用するのならば、単なるクリシェの拡大再生産をしているに過ぎない。橋本監督には期待するところ大なのである。次作での奮起を期待したい。

 

総評

中条あやみファンなら観よう。しかし、彼女の今後の成長の伸び代に関しては、あまり良い感触は得られないだろう。なにか一つ、殻を破る役をオーディションに出まくってでも掴みとって欲しい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 中条あやみ, 日本, 登坂広臣, 監督:橋本光二郎, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 雪の華 』 -映像美だけは及第点-

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