マリの話 75点
2024年3月9日 シネ・ヌーヴォにて鑑賞
出演:成田結美 ピエール瀧 松田弘子
監督:高野徹
アソシエイト・プロデューサーの一人が大学の卒論ゼミの仲間という本作。その同級生は『 Bird Woman 』にもエキストラで出演していたりする。彼女から鑑賞を依頼されチケット購入。
あらすじ
映画監督の杉田(ピエール瀧)は夢の中で理想の女性に出会う。ある夜、自分の夢の中の女性が目の前に現れた。意を決した杉田はその女性マリ(成田結美)に自身の映画への出演を依頼するが・・・
以下、マイナーなネタバレあり
ポジティブ・サイド
本作は上映時間60分という異色のオムニバス構成。そのエピソードの一つ一つが絶妙なバランスで結びついている。上映後の監督あいさつで最初に第4章を独立した一つの作品として仕上げたものの、それだけでは背景が不足するということから、残りの1~3章を作り上げたとのこと。
第1章「夢の中の人」ではスランプの映画監督が、夢に見た理想の女優が目の前に現れたところから始まる。監督と女優という距離感が徐々に男と女のそれへと縮まっていくペースが絶妙。高野監督自身「ホン・サンスはかなり意識した」と言っていた通りに、インテリ男が酒の席で美女を口説くシーンはまさにホン・サンス調。ピエール瀧が仕事に行き詰った中年男性のパトスを見事に表現していた。
第2章「女優を辞める日」では、女優として活動し始めたマリが監督と本格的な男女の仲になっていく過程が描かれる。といっても生々しいシーンなどはなく、ロマンチックなシーンは海辺のキスぐらい。この章で上手いなと感じたのは、夢か現か幻かを判然とさせない描き方。冴えない中年オヤジが妙齢の美女とベッドインできるか?これもまた夢なのでは?と観る側に思わせるところ。
第3章「猫のダンス」はかなり異色。フミコという老女がいなくなった猫を探しているところに、通りかかったマリが手助けをするというもの。そこからいつしか二人は互いの心情を赤裸々に語り始める。この章のラストで描かれるマリとフミコの触れ合いは、まさに二匹の猫のじゃれあい。言葉よりも雄弁に心情を物語る名シーンだった。
第4章「マリの映画」は、マリ自身が作成した短編映画。これがマリから杉田への一種のビデオレターになっている。フランスの森で詩を交えて語り合う恋人たち。即物的あるいは身体的にしか女性とつながれない男に比べて、想像力の翼をはためかせる女性という構図のコントラストが映える。
上映終了後に監督に「映画監督は、キャラクターを先に考えるのか、それともストーリーを先に考えるのか」と質問させてもらったところ、『今作は第4章から先に作って、そこから残りの章を作った。キャラクターから先に作るかどうかは作家による』という趣旨の答えだった。その後、高野監督のインタビュー記事を見つけたので読んでみると、しっかり「夢の中の人」から構想してるやんけ(笑)と思ってしまった。
ロングのワンカットが非常に多く、役者だけではなく録音や撮影のスタッフも相当に監督のわがままに振り回されただろうが、それでもこれだけのクオリティのものが出来上がったのなら納得するだろう。ヨーロッパ風のテイストを前面に出しながら、韓国風でもありつつ。しっかりと日本映画にもなっている。
ネガティブ・サイド
ぶっちゃけキスシーンがイマイチだった。Jovianは『 ロッキー 』で、ロッキーがエイドリアンを自宅に招き入れた時に玄関でするキスのシーンと、『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』で、ミレニアムファルコン修理時のハン・ソロとレイアのキスシーンが all time best だと思っている。そこまでのインパクトは求めないが、杉田とマリのキスも、もう少しロマンチックにできなかっただろうか。
総評
本作を鑑賞してつくづく感じたのは「映画とは自分の美意識」という『 カランコエの花 』の中川駿監督の言葉は本当なのだなということ。高野監督のロマンス観が見事に開陳されている。コンテンツとフォームの両面で非常に上質なので、関西周辺の方は是非シネ・ヌーヴォまでご足労を。TOHOシネマズのような大手はこういう映画こそ一日一回で良いので上映してほしい。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
imagination
英語とつづりは同じだが、フランス語の発音はイマジナスィオンに近い。想像力は創造の基本。映画を観て、脚本家や監督がどこからどのように inspiration = アンスピラスィオンを得たのか考察するのも面白いはず。
次に劇場鑑賞したい映画
『 ソウルメイト 』
『 デューン 砂の惑星 PART2 』
『 梟ーフクロウー 』