近畿地方のある場所について 20点
2025年8月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:赤楚衛二 菅野美穂
監督:白石晃士
小説『 近畿地方のある場所について 』の映画化ということでチケット購入・・・ではなく、ポイントで無料鑑賞。この判断は結果的に正解だった。
あらすじ
オカルト雑誌の編集長が特集記事の校了を前に失踪した。編集者の小沢(赤楚衛二)は旧知のライターの千紘(菅野美穂)と共に編集長の行方と彼の追っていた対象の謎を探ろうとするが・・・
以下、マイナーなネタバレあり
ポジティブ・サイド
首吊り屋敷の和室や子ども部屋は、活字だけでは出せないおどろおどろしさがあった。
団地の子供たちの遊びのシーンからは原作同様の不穏さが感じられたし、自分で想起していた真っ白様(小説では真っ白様なのである)のイメージにもマッチしていた。
ネガティブ・サイド
小説と異なる構成になるのは仕方がないが、再構成の仕方を派手に間違えている。
第一に、原作の有していた断片的なエピソードの数々が少しずつ重なり合っていく過程がすっとばされてしまったこと。第二に、雑誌の読者が編集部に送ってくる多数の気味の悪いエピソードが全カットされてしまったこと。第三に、原作が何度も繰り返す「近畿地方のとある場所についてはこれで終わりです」という不穏なフレーズに代わるシーンあるいはセリフが用意できなかったこと。
原作では行方不明なのは小沢だが、まあ、それはいいだろう。問題は編集長。私用PCに仕事の情報を全部詰め込んでいるなどというのは、普通なら懲戒ものだ。というか私用でも会社用でもいいからクラウド使わんかい。脚本家は二重の意味でアホなのだろうか。また編集長の残した膨大なデータのごく一部だけしかないと言いながら、そのどれもが核心に迫るものばかりだというのはご都合主義すぎないか。
原作ではじいさんが語るまさるのエピソードをばあさんが語る昔話にしてしまったが、それはもう昔話ではなく怪談。しかも別に怖くない。原作のエピソードを再現しようとすると『 犬鳴村 』の亜種になるので変更したのだろうが、そこは『 福田村事件 』を参考にすればいいだろう。
その後、どこかで見たようなシーンや演出のオンパレード。編集長の死に方に脚本家も監督も分かっていないと慨嘆させられた。そこは頭ではなく目を貫くところ。その描写から逃げている時点でホラーとして失格。ほかにも中途半端なシーンのオンパレード。最後も『 NOPE / ノープ 』と『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』のパクリかな。
漫画家の芦原妃名子氏が亡くなる前の日テレかどこかのドラマ脚本家たちの座談会で、ひとりが「私は原作者ではなく原作さえあればいい」というような発言をしたとされている。今回の監督および脚本家も似たような意識を持っていたのでは?ヒットした小説がある。それを映画にできる。割のいいビジネスだ。ぐらいにしか感じていなかったのかな。原作者は本作を観て何を思うのだろうか。
最後の最後も脱力させられた。エンディング曲がなぜか東京を事細かく描写。近畿地方がテーマちゃうんかい・・・
総評
映画化ではなくドラマ化した方がよかったのでは?一話30~45分の全6~8話程度の深夜ドラマにすればよかったのでは?その方が原作の持つ、断片的な情報が徐々に輪郭を成していく過程をもっと上手く描き出せただろう。まあ、夏恒例の糞ホラーのひとつとして割り切ろうではないか。原作を読んだのなら本作の鑑賞は必要なし。本作を観て納得がいかなければ、竜頭蛇尾ではあるが原作を読んでみよう。途中のサスペンスは間違いなく小説の方が上である。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
sacrifice
犠牲、身代わりの意味。旧約聖書の昔からあった概念で、最も古く、かつ有名なのはアブラム(後のアブラハム)のイサク献供だろう。本作の陳腐さの大部分はオリジナリティの無さに起因することを記録する意味で、この語を紹介しておきたい。
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