見えない目撃者 75点
2019年9月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二
監督:森淳一
吉岡里帆主演の『 パラレルワールド・ラブストーリー 』は文句なしに駄作だった。なので『 音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!! 』はスルーさせてもらった。今回もスルー予定だったが、結果的にチケットを買ってよかった。
あらすじ
浜中なつめ(吉岡里帆)は配属直前の警察官。しかし弟を補導した帰りに、事故を起こして、弟は死亡、自身も視力を失ってしまう。それから3年。とある車の接触事故の場に居合わせたなつめは、車内から助けを求める少女の声を聞く。だが警察は視覚障害者のなつめの言うことをまともに取り合わない。なつめは独自に接触被害にあったスケボー少年の春馬(高杉真宙)に会うが・・・
ポジティブ・サイド
これは近年の邦画(韓国映画のリメイクだが)サスペンスの中では出色の出来映えである。現代日本社会の闇を浮かび上がらせつつも、単なる社会派としてだけではなくミステリ要素あり、スリラー要素ありと、非常に野心的な作品に仕上がっている。
個人的には事件を追う刑事たちと夏目と春馬の民間人ペアのチームワークが見どころだった。暇があれば靴磨きに余念がない定年間近でやる気のないベテランと、メンドクセーという空気を醸し出す中年刑事が、徐々に吉岡演じる盲目女性とスケボー少年ペアと chemistry を起こしていく展開の見せ方が上手い。特に非行少年の春馬が成り行きから捜査に加わり、犯人に狙われ、これ以上は深入りするなと言われながらも警察となつめに協力していく様は、物語のサブプロットでありながらも、最終的には春馬自身のビルドゥングスロマンにつながっていく。この脚本は見事である。
このリメイクはオリジナルよりもミステリ要素が強めである。というよりも、オリジナルは完全なるサイコ・サスペンスだが、森淳一監督は松本清張的な社会派ミステリ要素を加えてきた。そして、それが奏功している。例えば『 チワワちゃん 』は本作のようなストーリーをたどって、本作のような犯人に殺されたとしても不思議はなかったのである。そして、そのことが単なるニュースとして消費されるような社会に我々は現に生きている。日本という国の近現代の歴史の大きな一面は都市化だった。綾辻行人がしばしば指摘することであるが、都市という空間では人間は基本的に他者に無関心である。より正確に言えば、社会の規範から外れた者に無関心である。それは時に家出少女であり、非行少年であり、障がい者であり、特殊な嗜好の持ち主である。本作が社会派たり得ている理由はこれだけでもお分かり頂けよう。
だがエンターテインメント性も忘れてはならない。本作はサスペンス要素がてんこ盛りである。過剰とも思えるほどに主人公およびそのパーティーメンバーに危機が訪れる。そして物語の中で、上手く小道具を使い、危機をくぐりぬけていく。特にクライマックスのシークエンスは見事の一語に尽きる。このアイテムを使って何かをするだろうな、ということは観ている時からすぐに分かるが、その使い方が素晴らしい。
本作で主演を張った吉岡里帆はJovianの中では redeem された。Shawshank Redemption and Rita HayworthならぬShawshank Redemption and Riho Yoshiokaである。光を失いながらも、その他の感覚研ぎ澄ませ、警察官ではなくともその身は軽く、頭脳も明晰。そして、一度は失ってしまった弟を再び失うことはすまいと、自らの信じる正義に愚直なまでにその身を投じていく様に、女優としての階段を着実に一歩上ったという印象を受けた。満腔の敬意を表したいと思う。
ネガティブ・サイド
盲導犬パムとなつめの触れあいの描写が不足している。原作と違い、失明後も母親と暮らしているにもかかわらず、犯人に襲われ、病院で目覚めた後に真っ先にパムを気遣うのがやや腑に落ちなかった。もちろん、失明している人間には盲導犬が最高のパートナーであることは分かるが、その間に培われてきた絆の描写がもう少し欲しかった。
そして、上の流れにつながる流れ、トレイラーにもあった電車のシークエンスはサスペンスフルではあるが、論理的に考えればご都合主義以外の何物でもない。なつめがどこの駅で降りるかなど、分かりようがないのだから。サスペンスが途切れないのが本作の最大の長所であるが、この点だけは劇場鑑賞中に???となってしまった。
クライマックスのとある豪邸でのシークエンスでも、オリジナルではライターが小道具として有効に機能していたが、今作ではスマホのライト機能を使っていた。これも時代に合わせた変更であろうが、それにしても本来光で照らされているべき箇所が、とてもそのようには見えなかった。また、実際に強烈な光を対象に浴びせてしまうと、ある小道具の存在がばれてしまうということもあったのだろう。だが、このような盲目のキャラクターが登場する作品こそ、光の扱いに注意してもらいたい。文字通りの意味での光と闇のコントラストが本作最大のクライマックスで、そこに至る過程は座頭市の決闘さながらのサスペンスを生み出したが、実際とは異なる演出のせいで、またもご都合主義を感じさせてしまった。
ポスターについても一言。『 マスカレードホテル 』でも指摘したが、ハードコアな映画ファンやミステリファンの中には、あらゆる角度から情報を収集・分析して、鑑賞に臨む者もいるのである。販促物で犯人を暗示することはご法度である。劇中でも不自然なさりげなさを醸し出すシーンがあるが、一部の販促物と合わせて考えれば、物語の中盤前に犯人にピンと来てしまう。実際にJovianはピンと来た。うーむ・・・
総評
弱点・欠陥を抱えた作品であることは間違いないが、劇場の大画面、大音響で鑑賞すれば、そんなものは一瞬で吹っ飛ぶほどの緊迫感溢れるシーンの連続である。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』が原作韓国映画の換骨奪胎に失敗した轍を、本作は踏まなかった。『 クリーピー 偽りの隣人 』や『 ミュージアム 』よりも面白いと勝手に断言させてもらう。ただ、グロいシーンもいくつかあるので、それに耐性のない人だけは注意を。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
Whatever you do, don’t cause me trouble.
「何をしようと勝手だが、俺に迷惑だけはかけるな」とは、スケボー少年の春馬の教師の面談の場での発言である。異物排除の論理が日本社会、特に大人の価値観を支配していることを端的に表す言葉である。「何をしてもかまわんが、~~~だけはするな」と言う場合には “Whatever you do, don’t V.”というのが公式のようなものである。
Whatever you do, don’t borrow money from him.
Whatever you do, don’t touch my computer.