東京喰種 トーキョーグール【S】 65点
2019年8月14日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:窪田正孝 山本舞香 松田翔太
監督:川崎拓也 平牧和彦
前作『 東京喰種 トーキョーグール 』は非常に示唆的なメッセージに富む作品であった。何故、単に喰種ではなく東京喰種なのか。それを背景に考えれば、グールという存在が何を象徴しているのかが見えてきた。それでは、本作はどうか。エンターテインメント性はアップしたものの、そうしたメッセージ性は薄れてしまった。
あらすじ
半人間・半喰種になってしまったカネキ(窪田正孝)は、自分の居場所を模索しながら「あんていく」で働いていた。そこに美食家=グルメの異名を持つ月山習(松田翔太)という喰種が現れる。彼は半分人間であるカネキの匂いに異常な執着を示して・・・
ポジティブ・サイド
CCG捜査官とのバトルよりも、喰種同士のバトルの方が盛り上がる。それは間違いない。月山とカネキ&トーカの激闘は赫子をあまり使わない、まさに肉弾戦。車がひっくり返って終わり、コンクリの橋に穴をあけて終わりだった前作のバトルシークエンスを、今回はさらに過激にレベルアップさせてきた。とにかく月山邸のチャペル内の椅子やら壁が壊れまくる。CGではなくワイヤーアクションでも、迫力ある絵は撮れるのである。かつての東宝怪獣のピアノ線での操演はもはやロストテクノロジーになってしまった。ワイヤーアクションもいつかそうなるかもしれない陳腐で旧態依然とした技術かもしれないが、CGは『 ライオンキング 』並みのレベルに達しないと、どうしても偽物感がつきまとう。それをぎりぎりまでそぎ落としてやろうと言う川崎・平牧両監督の意気は買いたい。
本作は、脚本段階からそうだったのか、それとも撮影中に軌道修正が施されたのか、主人公たるカネキではなく、松田翔太演じる月山習がsteal the showだった。近年では『 ボーダーライン 』がそうだった。エミリー・ブラントが主役だったはずが、ある時点からベニシオ・デル・トロがsteal the showをしてしまった。漫画版の貴族的な月山を表現する演技もそれなりに良かった。特に、フィクションの世界に惑溺することがいかに救いたりえるのかを語る場面や、サヴァランの書籍を恭しく差し出してくれるシーンが印象に残った。本のネタをエサにリゼに引っかかってしまったカネキが、同じ手口にまたもや引っかかってしまうのは、それだけ月山の演技が真に迫っていたからだと勝手に受け取らせてもらう。
だが、松田の真骨頂は月山の変態性を表す場面だ。手洗いでカネキの血液を含んだハンカチの匂いに恍惚の境地に至るのはハイライトのひとつである。普通、人はトイレで深呼吸はしない。しかし、それをやってしまうところが月山の普通ではないところで、それをしながらエクスタシーを感じているかのごとく、上半身をエビ反りさせてしまうのは、さすがに18禁・・・ではなくR-15指定である。冒頭の登場シーンでも、自己紹介からダンス、目玉をくりぬいて食べるところまで、松田の変態演技はとどまるところを知らない。本作の主役はカネキではなく月山である。異論は認めない。
前作は人間社会の中で喰種に居場所があるかどうかを問うていたが、本作では人間と喰種の個と個の関係が描かれる。これは漫画および映画の『 寄生獣 』が描けなかったテーマである。ただ、このあたりのメッセージ性が貧弱だった。これに近いテーマは小野不由美が『 屍鬼 』で既に描いているからだ。それでも、異人との共生は現代日本の主要な課題である。映画人は、エンタメ要素以外にも社会的なメッセージを発さなければならない。時代と切り結ぶような作品を生み出す気概を持たねばならないのである。
ネガティブ・サイド
カ ネ キ の マ ス ク は ど こ に い っ た ?カネキ自身も、ウタと再会して「あ、時々使ってます」みたいなことを言っていたではないか。ここぞという場面であれを装着しないことには、優男のカネキが野獣になれないではないか。格闘訓練を積んで、ただの人間をぶちのめすだけで満足してはならない。マスクを装用して、グールに内在する凶暴さを引き出さなくてはならない。トーカも同様で、グールの象徴たるマスクをまともにかぶっているのが月山だけでは、月山が主役扱いされてもおかしくはない。
トーカも、清水富美加から山本舞香にチェンジしたことそれ自体は受け入れよう。だが、似せる努力をしてほしい。キャラが変わり過ぎだ。たとえば前作で「人しか喰えねえんだ!!!」と憤怒と悲嘆の両方を目に宿しながら叫んだトーカはもういなかった。
本作はせっかくのR-15指定なのだから、エロ描写・・・じゃなかったグロ描写にもっと果敢に挑戦して欲しかった。両目を抉り出すシーンは肝心なところを映さなかったし、グールレストランでの人間解体ショーの描写も生ぬるかった。いや、血がピューピュー流れ出るような描写はなくてもいい。だが、せっかく美食家の月山の優雅な食事シーンを丹念に描写するなら、それら肉料理の調理シーンも映し出そうとは思わないのか。月山という一癖も二癖もあるグールを描くには、細部や周辺のリアリティまで追求しなくてならないとは思わなかったのだろうか。
リアリティについて付言するなら、いい加減に眼球の解剖を学んだ方が良い。人間のみならず生物の眼球には、様々に異なる筋肉がついている。そうでなければ、我々はこれほど自由に眼球を動かせない。また、冒頭のマギーの死亡シーンで、墜落音が小さすぎる。あれではせいぜい二階から落ちた音だ。それにそこらじゅうに飛び散っていて然るべき窓ガラスの破片が見当たらなかったのは何故だ。絵コンテ段階でも撮影中でも編集中でも、誰一人として気付かなかったのか。そんな馬鹿な・・・
総評
これも続編ありきの作り方をしている。三作目も監督が変わるのだろうか。もちろん、シリーズを追うごとに監督が代わっていく映画作品などごまんとある。しかし、前作をしっかりとリスペクトし、踏襲するところが踏襲する。大胆に変えてしまうべきは変えてしまう。そうしたメリハリをしっかりとつけてほしい。また、次作では窪田正孝には『 きっと、うまくいく 』の撮影に臨む前に徹底的に節制したというアーミル・カーン並みに若さを保ってほしい。前作を楽しめたという人なら、まずは鑑賞すべし。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
カネキくんが食べながらカネキくんを食べたい!
I want to eat you, Kaneki-kun, while you, Kaneki-kun, are eating!
カネキくん!君はもっと自分が美味しそうなことに気づいたほうがいい!
Kaneki-kun! You should at least know by now how delicious you smell!
日本語を英語に置き換えるのはなかなか骨が折れる作業である。しかし、英語力を高めたいと思うなら、どこかの時点で日英翻訳のトレーニングが必要である。逐語訳は、してはならない。これまでに自分が接してきた英語のフレーズやセンテンスを総動員して、最も原文に近い意味を自分なりにクリエイトしてみよう。