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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 北川景子

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

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ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

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原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

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ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

Posted on 2020年12月21日 by cool-jupiter
『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

約束のネバーランド 20点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 浜辺美波 板垣李光人
監督:平川雄一朗

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私的年間ワースト候補の『 記憶屋 あなたを忘れない 』の平川雄一朗がまたしてもやらかした。原作漫画は未読(Jovian嫁は序盤だけ読んだ)だが、それでも色々とストーリーが破綻しているのは明白である。

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あらすじ

グレイス=フィールドハウス孤児院ではママ・イザベラ(北川景子)によりたくさんの子ども達が養われ、里親に引き取られる日を待っていた。ある日、里親に引き取られたコニーが忘れたぬいぐるみを届けようとエマ(浜辺美波)とノーマン(板垣李光人)は孤児院の門へと向かった。そこで彼女たちが目にしたのは、コニーの死体、人を食らう巨大な鬼、そしてママ・イザベラだった・・・

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ポジティブ・サイド

孤児院の建物および周囲の自然環境が素晴らしい。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した西洋建築だと言われても全く驚かない。また草原および森林も風光明媚の一語に尽きる。陽光とそよかぜ、そして鬱蒼とした森はまさに別天地で、現実離れした孤児院の設定に大きなリアリティを与えている。

 

浜辺美波の顔と声の演技は素晴らしい。嫁さん曰はく、「漫画と一緒」ということらしい。嫁さんの評価は措くとしても、イザベラとの探り合いで披露する「演技をしているという演技」は圧巻。20歳前後の日本の役者の中では間違いなくフロントランナーだろう。ノーマン役の板垣李光人も良かった。オリジナルの漫画を知らなくとも、原作キャラを体現していることがひしひしと伝わってきた。

 

北川景子と渡辺直美の大人キャラも怪演を披露。特に渡辺の演技は一歩間違えれば映画そのもののジャンルをホラー/ミステリ/サスペンスからコメディ方向に持って行ってしまう可能性を秘めていたが、出演する場面すべてに緊張の糸を張り巡らせていた。北川景子も慈母と鬼子母神の二面性を見事に表現していた。彼女のフィルモグラフィーに今後くわえるとすれば『 スマホを落としただけなのに  』の被害者のような役ではなく、逆にサイコなストーカー役というものを見てみたい。

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ネガティブ・サイド

 

以下、マイナーなネタバレに類する記述あり

 

演技者の中で断トツに印象に残ったのは城桧吏。好印象ではない。悪印象である。『 万引き家族 』では元々無口な役柄だったせいか悪印象は何も抱かなかったが、今作の演技はあらゆる面で稚拙の一言。はっきり言って普通の中学生が暗記した台詞を学芸会でしゃべっているのと同レベル。これが未成年でなければ、返金を要求するレベルである。普段から発声練習をしていないのだろう。表情筋の動かし方も話にならない。能面演技とはこのことである。身のこなしも鈍重で、数少ないアクションシーン(殴られるシーンや回し蹴り)でもアクションが嘘くさい。本人の意識の低さにも起因するのだろうが、それ以上に周囲のハンドラーの責任の方が大きい。本作に限って言えば、これでOKを出した平川監督に全責任がある。クソ演技・オブ・ザ・イヤーを選定するなら、城桧吏で決定である。

 

頭脳明晰な年長の子ども達とママ・イザベラとの頭脳戦・神経戦が見どころとなるはずであるが、そこにサスペンスが全く生まれない。3人で密談するにしても、ハウス内の扉も閉まっていない部屋で、秘密にしておくべき事項をあんなに大きな声で堂々と話すのは何故なのか。「壁に耳あり障子に目あり」という諺を教えてやりたい。だったら屋外で、というのもおかしい。ママ・イザベラは発信機を探知する装置を常に携帯しているわけで、誰がどこにどれくらいの時間集まっているのかは、探ろうと思えば簡単に探れるわけで、密談をするにしても、その時間や場所や方法をもっと吟味しなければならないはずだ。例えば3人の間でしか通用しないジャーゴンや暗号を交えて話す、手紙や交換日記のような形式でコミュニケーションするなど、ママの目をかいくぐろうとする努力をすべきではなかったか。ミエルヴァなる人物が送ってきてくれた本から、いったい何を読み取ったというのか。もちろん、この部分をある程度は納得させてくれる展開にはなるのだが、そこまでが遅すぎるし、途中の展開にはイライラさせられる。

 

シスター・クローネの扱いにも不満である。渡辺直美演じるこのキャラおよび他キャラとの絡みはもっと深掘りができたはず。途中で退場してしまうのが原作通りのプロットであるならば仕方がない。だが、彼女がエマやノーマンやレイに見せつけた心理戦の駆け引き、その手練手管がエマにもノーマンにも伝わっていない。その後に見事にママを出し抜くのはストーリー上の当然の帰結として、そこに至るまでの過程には必然性も妥当性もなかった。本当にこいつらは頭脳明晰なのか。仮に鬼のテリトリーを脱出して人間の世界に入れたとしても、これでは人間に騙されて別のプラントにさっさと収容されて終わりだろう。

 

最後の脱出劇も無茶苦茶もいいところだ。あるアイテムを使うこともそうだが、それ以上に、カメラアングルが変わった次の瞬間にロープの片側がありえない地点に固定されていることには失笑を禁じ得なかった。そんな技術と身体能力があるのなら、それこそ回りくどく迂回などせず、正攻法で谷を降りて崖を昇れば済むではないか。

 

建築や自然が素晴らしかった反面、小道具のしょぼさや不自然さにはがっかりである。特にこれ見よがしに出てくる大部の書籍は、どれもただの箱にしか見えなかったし、実際にただの箱だろう。開けられるページは常に最初のページのみ。手に持った時の重みの感じやページ部分がたわむ感じが一切なかった。外界とほぼ完全に隔絶されたハウスに、ボールペンや便せんといった消耗品がたくさん存在するところも不自然だし、食料も誰がどこでどのように調達しているのだ?原作には説明描写があるのだろうが、映画版でそれを省く理由はどこにもない。世界の在り方をエマたちと共に観客も知っていく過程にこそ面白さが生まれるのだから、この世界観を成立させるためのあれやこれやの小道具大道具はないがしろにしてはならないのである(大道具は頑張っていたと評価できる)。

 

劇中ではずっと“脱獄”と言われているが、別に監禁や留置をされているわけではないだろう。正しくは脱走または脱出と言うべきだが、これについても何も説明がなかった。全編を通じて、正しい日本語が使われておらず違和感を覚えまくった。

 

アメリカのヤングアダルトノベルの映画化『 メイズ・ランナー 』の劣化品で、実写化失敗の『 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 』と並ぶ邦画の珍品の誕生である。

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総評

予備知識がほぼゼロの状態で観に行ったが、映画を通して原作の良いところと悪いところが結構見えたような気がする。おそらく原作漫画ファンでこの映画化を喜ぶのは10代の低年齢層だろう。そうした層をエンターテインしようとしたのなら、平川監督の意図は理解できるし、実写化成功と評しても良い。だが、上で指摘したような欠点の多くを改善することで、10代の若い層が本作を楽しめなくなるか?ならないと勝手に断言する。そうした意味では、平川監督は流れ作業的に映画を作った、原作ファン以外のファン層を開拓する努力を怠ったことになる。2021年も邦画の世界は小説や漫画の映画化に血道を上げ続けるのだろうが、それをするなら一定以上の気概と技術を持って欲しいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

edible

食用の、食べられる、の意。一応辞書には載っているが、eatableとはまず言わない。同じようにdrinkableもほとんど使われない。飲用可能はpotableと言う。portableとしっかり判別すること。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アドベンチャー, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 板垣李光人, 浜辺美波, 監督:平川雄一朗, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

Posted on 2020年11月14日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 5点
2020年11月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 綾野剛
監督:深川栄洋

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なんとなく『 マスカレードホテル 』との共通点を思わせる。豪華キャストがバディになって、犯行予告をしてくる犯人を追うというところが特にそう思わせる。タイトルも意味深だ。普通なら『 ドクター・デスのBLACK FILE 』とか『 ドクター・デスの殺人カルテ 』で良さそうなところを何故“遺産”とするのか。『 ソウ 』のジグソウみたいな奴なのかという懸念もあったが、ミステリかつサスペンスは好物ジャンルということもあり、近所の劇場へと出向いた。

 

あらすじ

連続不審死を捜査していた警視庁最強コンビの犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、「ドクター・デス」と呼ばれる安楽死を請け負う医師の存在にたどり着く。しかし必死の捜査の最中、犬養の娘がドクター・デスに安楽死を依頼してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

北川景子と綾野剛がそれなりに熱演している。またドクター・デス役の俳優も頑張っている。

 

偶然だろうが、1~2週間ほど前にニュージーランドで“安楽死”を合法とする法案が可決されたというニュースがあった。医療が発達した現代、本作は死の意義をあらためて問い直す契機にだけはなったと言える。

 

そうそう、販促物で『 マスカレードホテル 』と同じ愚を犯さなかった点は評価せねばなるまい。

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ネガティブ・サイド

長文注意。以下、ビミョーにネタバレに触れるので未見の方はスルーを推奨する。

 

警視庁最強コンビって、アホかいな。警視庁の刑事連中というのは韓国映画の警察よりも遥かに無能な人間の集まりなのか。とにかく捜査の段取りが悪すぎるし、リアリティも何もない。ちなみにすれっからしのJovianは開始5分でドクター・デスの正体が分かってしまった。

 

オープニングのEstablishing Shotから何かを間違えている。あれ、俺は『 犬鳴村 』を観に来たわけではないのだが・・・と思われた。この時点で嫌な予感が漂った。

 

不審死した人間の家族(小学生だが)から警察に通報があったとして、いきなり刑事が出向くか?しかも捜査一課の“最強コンビ”が?だいたい、死亡時刻が昼の11:30、通報がその日の夜だとすれば、当日は仮通夜、翌日に通夜、その翌日に葬式だとして警察登場に2日半のタイムラグがある。遅すぎるやろ・・・。それに普通は所轄の警察官が出向くべき、なぜに一課の刑事が動員されるのか。さらにいきなり司法解剖するためか、棺桶を火葬場から持っていくのだが、令状ぐらい見せんかいな・・・。公権力を振り回せる人間が横柄に振る舞うこと、さらに後述するが綾野剛演じる犬養の人間性が最悪なところが、本作が本来なら投げかけることができていたはずの社会的なメッセージを非常に底浅いものにしてしまっている。

 

捜査の突っ込みどころはまだまだ続く。周辺の聞き込みもいいが、せっかくの防犯カメラ映像なんやから、それをとことん追いなさいよ。周辺の防犯カメラの映像を総ざらいしなさいよ。その上で聞き込みの範囲を指定しなさいよ。石黒賢演じる班長的存在の指示が昭和の刑事長レベルで止まっている。また防犯カメラの映像と家族の証言から、家に来た人間は医師と看護師の二人だと分かった。よし、似顔絵は医師の方だけ作ろう、って、アホかーーーーーーーー!!!典型的な認知バイアスで、それこそ警察官、特に捜査一課の刑事ともなれば絶対に陥ってはならない思考の陥穽にものの見事にハマっている。その看護師もこのご時世にご丁寧にナースキャップをかぶって敢えて目立とうとしている。『 ココア 』でも突っ込んだところだが、ナースキャップは日本でも世界でもほぼ廃止されている。嘘だと思われるなら「看護師」でグーグル画像検索をすべし。ほとんどのナースは最早キャップをつけていないし、つけているとすればめちゃくちゃ古い画像か、就職・転職系のサイトか、またはアダルトサイトであろう。

 

閑話休題。本編の刑事たちの無能っぷりは留まるところを知らない。序盤で小学生に追いつけない綾野剛にも失笑したが、60歳以上の河川敷ぐらしのホームレスと駆けっこをして追いつけない20代の若い刑事には文字通り頭を抱えた。火葬場の時と同じく、横柄に「任意同行」させればよいだけだ。ここらでいっちょ北川景子の見せ場でも作っとくか、ぐらいにしか監督は思っていなかったのだろうが間違っている。犬養刑事も無能の極み。ドクター・デスからのせっかくの着信をなぜ逆探知しない?しかもチャンスは2回あったではないか。それに闇サイト云々もサイバー部隊を動員して追いかけなさいよ。警察にも『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の刑事みたいなのがいるはずだ。バックドアを使えとまでは言わないが、ITを駆使した捜査も同時並行で行わないのはリアリティがない。リアリティがないのは意味なく挿入される居酒屋のシーンも同じ。人があれだけたくさんいる場所で刑事が事件の話をするか?警察の食事会または飲み会は個室が原則ではないのか?個室でないにしても、テレビドラマ『 相棒 』の飲み屋のような客が自分たちしかいないとすぐにわかるこじんまりとした店を選ぶべきではないのか?原作の小説もこうなのか?それとも映画化に際して改悪されているのか?

 

『 ビバリーヒルズ・コップ2 』の時代から、靴に付着していたであろう土の成分を調べるのは捜査の常道だが、逆にそうした然るべき捜査をした時に矛盾が大きくなるのが本作の弱点だ。ドクター・デスに安楽死を依頼した5つの家族の玄関から共通の土の成分が検出されたと言うが、そんな馬鹿な話があるものか。関係者の証言によるとドクター・デスは月に1~2回の犯行に及び、警察が把握しているのは5件、全体ではおそらく35件とされている。警察が把握している5件が連続して行われた犯行だとしても、最初の家族から5番目の家族までは最短でおそらく2か月半、長ければ5か月の間が空くことになる。1件目と35件目の間隔ならば、最短でも1年半。その間にどの家庭も玄関先を一切掃除することがなかったのか。にわかには信じがたい。

 

さらに終盤、携帯の通話音声を詳細に解析、小さな救急車のサイレンの音が入っていたのをキャッチ。これは事態が動くか?と期待させて、「特定できるか?」「それはちょっと・・・」って、アホかーーーーーーーー!!!そら日本中の救急車の出動を全部把握するとなると人手も時間もかかる大仕事だろうが、まずは東京都だけでも調べろよ。〇月〇日何時何分という非常に確度の高い情報があるのだから、消防および救急患者を受け入れている病院に片っ端から当たれよ。アホなのか手抜きなのか無能なのか。おそらく全部だろう。

 

本作は安楽死に関する問題提起をした点だけは認められる。しかし、安楽死を望む人間およびその周辺の描写がクソ薄っぺらいため、議論の深めようがないのだ。綾野剛演じる犬養刑事の人間性が腐っているところがまずダメだ。負けそうになったオセロの盤をひっくり返したのは、「アクシデントか?」と思ったが、複数回それをやっているという確信犯。それだけならまだ許せたかもしれないが、愛娘に「お父さん、サボり?」と言われて「仕事の方がサボってるんだ」と返事する無神経さ。そこは「お父さんが暇だということは世の中は平和なんだ」と返すところだろう。仕事の方がサボっているという言い方は、事件が起こってほしいと願っているように聞こえる。また、警察という国家権力を振り回せる人間が私人性を突かれると弱いというのは事実であり、だからこそ時に一個人が警察をほんろう出来たりもするわけである。だが、本作ではその私人性の描写も弱い上に、その描写が家庭人としてダメダメであるところを強調するだけという始末。では公権力をフルに活用しているかというと、上述のようにアホな捜査を繰り返すだけ。そんな奴らに「安楽死は殺人だ」と言われても問題提起にならない。国家がこれは罪であると決めたことだからダメだと言われても、その国家権力がここまで無能だと「安楽死もありではないのか?」という意見に傾いてしまう人間が絶対に一定数出てくるはずだ。もう一つ、Jovianが犬養刑事を私人性について白々しいと感じたのは、娘に対して作ったお弁当。レシピ通りに作って美味しいわけはないだろう。原作者も監督も『 聖の青春 』を100回読めよ。腎臓病食が美味しいわけはないだろう。Jovianもその昔、ボランティアの付き添いでレトルト腎臓病食を食べたことがあるが、何の味もなかった。これを1日3回、10年も20年も続けるのかと思うとしみじみと寂しくなってくる。それが病人の食事だ。そうした愛娘やその他のドクター・デスに依頼した患者たちが絶対に感じていたであろう葛藤や懊悩を一切映すことなく「安楽死はただの殺人」と無能な国家権力の持ち主に言われても、受け取り手としてはシラケるばかりで問題提起とは受け取れない。決して。

 

他にも、窓やドアから入る自然光とは全然別の角度からの光があまりにも多く使われていて、不自然極まりないシーンも多数ある。スクリーンの外側に映画の世界ではなく撮影スタッフの存在を感じさせれば、それは興行映画として失敗作である。本作は話のも酷いものだが、映画製作の技法もお粗末の一言である。

 

総評

観てはならない、チケットを買ってはならない。『 事故物件 怖い間取り 』と肩を並べる世紀の駄作で、年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出た。Jovianは嫁さんと共に出向き、嫁の耳元で犯人を呟いて不興を買ったが、鑑賞後、嫁は不承不承にJovianの意見に同意した。つまり、本作は2020年屈指の駄作である、と。もう一度言う。観てはならない、チケットを買ってはならない。Don’t say you’ve never been warned. 警告は発した。後は諸賢の自己責任である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to cleanse my palate and forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 監督:深川栄洋, 綾野剛, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

Posted on 2018年11月5日2019年11月21日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 田中圭
監督:中田秀夫

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原作とほんの少しだけ異なるところもあれば、大胆な改変を加えたところもある。それらの変化を好意的に受け止めるか、それとも否定的に評価するかは、意見が分かれるところだろう。しかし、一つはっきりと言えることがあるとすれば、今作のトレーラーを作った人間は万死に値する・・・とまでは言わないが、はっきり言って猛省をしなければならない。これから本作を観ようと思っている人は、できるだけ予告編やトレーラーの類からは距離を取られたし。

 

あらすじ

富田誠(田中圭)は営業先に向かうタクシーにスマホを置き忘れてしまう。恋人の稲葉麻美(北川景子)が電話したところ、たまたまそのスマホを拾ったという男に通じ、横浜の喫茶店に預けるというので、ピックアップすることになった。しかし、その時から富田のクレジットカードの不正利用やSNSのアカウント乗っ取りなど、誠と麻美の周辺に不穏な動きが見られるようになる。時を同じくして、山中から黒髪の一部を切り取られた女性の遺体が次々と見つかり・・・

 

ポジティブ・サイド

犯人の怪演。まずはこれを挙げねば始まらない。少年漫画と少女漫画を原作に持つ映画が溢れ、役者というよりもアイドルの学芸会という趣すら漂う邦画の世界で、それでもこのような役者が出て来てくれることは喜ばしい。頑張れば香川照之の後継者になれるだろう。

 

童顔と年齢のギャップでかわいいと評判の千葉雄大もやっと少し殻を破ってくれたか。刑事として奮闘するだけではなく、序盤に見せた容疑者を鼻で笑う表情に、何かが仕込まれた、もしくは何かを背負ったキャラなのかと思わされたが、その予感は正しかった。役者などというものはギャップを追求してナンボの商売なのだから、もっともっとこのような演出やキャスティングを見てみたいものだ。

 

本作は観る者に、現代の人間関係がいかに濃密で、それでいていかに空虚で希薄なのかを思い知らせてくれる。ちょっとした録音メッセージ、メール、テキスト、スタンプなど、生身の触れあいなどなくとも、スマホを介在して何らかのコンタクトをするだけで、人は人を生きているものと考えてしまうことに警鐘を鳴らしている。この点について実にコンパクトにまとめているのが、THIS IS EXACTLY WHAT’S WRONG WITH THIS GENERATIONというYouTube動画である。英語のリスニングに自信がある、または自動生成の英語字幕があれば意味は理解できるという方はぜひ一度ご視聴いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

原作小説と映画版では色々と違いが見られるが、その最大のものは麻美の設定であろう。はっきり言ってネタばれに類する情報なのだが、なぜかトレーラーで思いっきり触れられている。なぜこのようなアホなトレーラーを作ってしまうのか。そのトレーラーの北川景子も髪の長さが全く違って、なおかつ踏切の中に佇立するという、いかにもこれから死にますよ的な雰囲気を漂わせている。もうこれだけで、原作を既読であろうと未読であろうと、仕込まれた設定がほぼ読めてしまう。実際にJovianは観る前からこの展開の予想はできていたし、そのような人は日本中に1,000人以上はいたのではなかろうか。原作のその設定が映画的に活かしきれない、難しい、微妙だ、というのなら、その痕跡自体も消し去ってほしかった。なぜ冒頭のシーンで北川景子のキャット・ウォークをヒップを強調するカメラアングルで捉える必要があったのか。それは麻美がアダルトビデオに出演していた過去を持っていたからに他ならない。このあたりは中高生も注意喚起の意味で見るべき作品としての性格からか、全く別の設定に変えられているが、それなら痕跡すら残さず一切合財を変えてしまうべきだった。この辺りはエンディングのシークエンスでも強調されていることなので、なおのことそう思ってしまった。

 

また犯人像があまりにも分かりやす過ぎる。これも原作の既読未読にかかわらず、分かる人にはすぐ分かってしまう。もちろん、トリックらしいトリックを使う、いわゆるミステリとは異なるジャンルの作品なのだから、そこは物語の主眼ではない。しかし、驚きは最も強烈なエンターテインメントの構成要素なのだ。だからこそ我々は「ドンデン返し」というものに魅せられるのである。本作はこの部分が圧倒的に弱い。これはしかし、同日に『 search サーチ 』という近いジャンルに属する圧倒的に優れた作品を鑑賞したせいであるかもしれない。いや、それでも映画化もされた小説『 アヒルと鴨のコインロッカー 』というお手本であり、乗り越えるべき先行作品もあるのだから、そのハードルは超えて欲しかったが、本作はそのレベルにも残念ながら達していない。

 

総評

もっともっと面白い作品に仕上げられたはずだが、残念ながら原作小説以上の出来にはならなかった。時間とお金に余裕があるという人は、是非『 search サーチ 』と本作の両方を観て、比較をしてみよう。前者の持つ突き抜けた面白さが本作にはなく、極めて無難な映画になっていることに否応なく気付かされてしまうだろう。北川景子ファンならば観ておいても損は無い。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 田中圭, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

『 響 -HIBIKI- 』 -天才=社会性の欠落という等式の否定-

Posted on 2018年9月18日2020年2月14日 by cool-jupiter

響 -HIBIKI-  50点
2018年9月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:平手友梨奈 北川景子 小栗旬 アヤカ・ウィルソン 高嶋政伸 柳楽優弥 野間口徹 吉田栄作
監督:月川翔

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180918020051j:plain

編集者の花井ふみ(北川景子)は、新人賞への応募作品に衝撃を受ける。著者は鮎喰響(平手友梨奈)、15歳の女子高生。その文才は、天才という言葉以外では名状しがたいものだった。しかし、響を響きたらしめるのは、その文才よりもむしろ、あまりにも直截すぎる対人関係スキルであった。すなわち、社会性の欠如である。響にとっての人間関係とは、常に個と個のつながり、もしくはせめぎ合いであるようだ。我々はついつい響のエキセントリックな行動の数々、なかんずくその暴力性に目を奪われてしまう。それは時に親友の凛夏(アヤカ・ウィルソン)や編集者のふみにも及び、女と女の仁義なき戦い、平手打ち合戦からピローファイトにまで発展する。その一方で、響は面白い作品を世に送り出す作家には、呼び捨てをしてしまうという社会性の欠如は見られるものの、自ら駆け寄り、無邪気な笑顔で握手を求めるという、年齢相応の行動を見せたりもする。それとは逆に、大御所であっても、名作を生み出す力を無くして久しい作家には敬意を表することはない。むしろ、ハイキックをお見舞いする始末である。

我々は彼女の行動に社会性の欠如をこれでもかと見出すが、その一方で社会性という言葉の持つ空虚さを響に見せつけられもする。その最たるものが、記者会見での謝罪要求を突っぱねるところだろう。暴行を加えた相手に個人的に謝り、相手もその謝罪を容れたのだから、これ以上誰に謝る必要があるのか?という理屈だ。蓋し正論であろう。現実の世界でも、芸能人や著名人、社会的に一定以上の地位にある人間が不祥事を起こした時には、謝罪のための記者会見がセッティングされる。日本人は根本的に謝罪が好きなのだ。そうした謝罪をフルに楽しむための映画には阿部サダヲ主演の『謝罪の王様』が挙げられる。もしくは謝罪会見のお手本中のお手本としては某大学のアメリカンフットボール部部員の例が挙げられよう。

Back to the topic. 社会性と我々が言う時、我々は結局、自分自身の意見を大多数の顔も名前も知らない他者たちに仮託しているに過ぎないことを、響は明らかにしてしまう。「○○○と感じる人もいると思いますが」、「中には□□□という意見もあるようですが」。これらは記者会見だけではなく、ネットの論説記事などでよく見られるセンテンスの類型である。≪editorial we≫と呼ばれる手法である。野間口徹演じる週刊誌記者に対して、響は相手の息子をある意味で人質に取るかのような発言をし、相手から譲歩を引き出す。人間は、社会的な肩書をひっぺがして、徹底的に個の部分を突いてしまえば、実は非常に弱く脆い生き物である。このことは小林よしのりがその著『ゴーマニズム宣言』において、川田龍平氏と厚労省の官僚の面談の場で、あまりにも非人間的な対応に業を煮やした小林は「あなたの子どもに、『お父さんは人殺しなんだよ』と伝えようか」と迫る。その時に初めて、官僚が人間の顔を見せたという一幕が描かれていた。響も記者から記者の皮を剥ぎ取り、人の親たる個の姿を引きずりだした。そうすることで初めて、自分も誰かの子であると相手に思い起こさせたわけだ。我々は人間関係において、相手という人間部分を見ず、相手の社会的な地位や属性にばかり目を向けたがる。大御所作家の祖父江秋人(吉田栄作)の娘の凛夏をデビューさせるところなど、まさにそうだ。大作家の娘にして現役女子高生という属性が話題を呼びやすいだろうという打算がそこにまず働いている。

異形、異能、異端。我々は天才あるいは社会の規範に収まりきらない才能をしばしば異類もしくは異種として扱う。天才だから突き抜けた存在になれるわけではない。逆で、我々は突き抜けた存在にしか天才性を見出せない。なぜなら、我々が金科玉条のごとく敬い奉る社会的属性を、天才はそもそも纏わないから。将棋の世界は天才だらけだが、名棋士列伝というのは、そのまま変人・変態列伝であったりもする。そのことは加藤一二三先生を見ればお分かり頂けよう。これは日本だけに当てはまる話ではなく、チェスのグランドマスターを列伝体で語るならば、それもそのまま西洋文明世界の奇人変人列伝となる。特に、ボビー・フィッシャーは『完全なるチェックメイト』で映画化されたが、彼の奇人変人狂人っぷりは伝記『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』に詳しい。

Back on track. 本作では本棚が重要なモチーフになっている。あるキャラクターが本棚の本を、ある法則でもって分類整理しているのだ。そのことを貴方はどう見るだろうか。本の面白さとその著者の人格は統合して考えるべきだろうか。それとも分けて考えるべきだろうか。気に入らないことがあればすぐに暴力に訴える女子高生の部屋に、年齢・性別相応のかわいいぬいぐるみがあることを、貴方はどう受け止めるべきなのだろうか。我々の思考は危険な二分法の陥穽にはまりがちだ。AはAであって、非Aではない。そう感じる我々に絶妙のタイミングで「動物園でキリンをバックに写真撮影するシーン」が訪れる。ここで我々は響は、その異能性にも関わらず、普通の女の子と何ら変わることのない属性を有していることを知り、愕然とする。天才とは突き抜けた存在ではなく、我々が勝手に敬して遠ざける対象であることを知るからである。思い出してほしい。響は、たとえそれがキックであれ握手であれ、舌鋒鋭い批評であれ友情の言葉であれ、常に自分から他者との関係の構築もしくは調節に動き出していた。社会性の欠如は、天才の側ではなく、天才に接してしまった凡人の中に生じるのだ。非常に回りくどいやり方ではあるものの、確かに我々は現実世界でもそのように振る舞っている。

本作の欠点をいくつか挙げさせてもらえれば、まず第一にキャラクターの弱さである。特に幼馴染っぽい男と文芸部に再入部してくれる不良は、マネキンのごとく、ただ突っ立っているだけのことが多かった。また、小栗旬のキャラクターが初めて登場するシーンで、PCで小説を執筆するシーンだが、あれは本当に文字を打っていたのか?それとも適当にキーボードをがちゃがちゃやっていただけなのだろうか?というのも、右手の小指がEnterや句点、読点の位置に全く来なかったように見えたからだ。もちろん、そういう可能性もある。小説家の奥泉光は、小説修業時代に、始めから終わりまでただの一文で書き切る小説や、地の分だけ、逆に会話文だけで完結する小説など、種々の制約を自らに課して物書きに励んだと言う。小栗も、そうした手法を用いていたのかもしれないが・・・ 最後に、直木賞や芥川賞に、現代それほどの価値が認められているだろうか?という疑問がある。又吉直樹の『火花』はそれなりに面白い小説および映画であったが、どう見ても私小説の域を超えていない。いや、ジャンル分けはどうでもよい。現代という、食べログや映画.comといった既存の権威(一部の評論家など)を破壊して、一般大衆の個々の意見を丁寧に拾い上げるシステムが構築され、一定の力を得ているようになった時代に、賞でもって作品の格付けをしようとすることそのものが天才と凡人を分ける思考そのものではないのだろうか。そして、今やネット上の民主的なシステムですら脱構築されようとしているのではないだろうか。そうした時代にあって、天才と向き合うことをテーマにした本作が発するメッセージは決して強いとは言えないだろう。本作を観ようかどうか迷っている向きは、こんなブログ記事の言うことなどあてにせず、「文句を言うなら観てからに」するように(台詞うろ覚え)。

 

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『パンク侍、斬られて候』 ―実験的な意欲作と見るか、製作者の自慰行為と見るか―

Posted on 2018年7月1日2020年2月13日 by cool-jupiter

パンク侍、斬られて候 30点

2018年7月1日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:綾野剛 北川景子 東出昌大 染谷将太 浅野忠信 國村隼 豊川悦司
監督:石井岳龍
脚本:宮藤官九郎

まず30点というのは、Jovianの個人的感覚であって、この点数が他のサイトやレビュワーさんの点数よりも正確であるとは思わない。また観る者全員が傑作もしくは駄作であると一致した意見を見る作品は比較的少ないはずだ。Roger Ebertのようなプロの映画評論家の意見であっても、必ずしも賛成する必要は無い。自分の感性を信じるとともに、他者の感性も尊重すべきだ。現に映画館では、Jovianの嫁とその右隣のお客さん、さらには右側少し下のお客さんは映画のかなりの部分を熟睡していた。一方で、映画のちょっとしたギャグシーンで「クスッ」「ハハハ」「ワハハハ」というような声も聞こえてきた。彼ら彼女らはこの映画を楽しんだことだろう。重畳である。問題は、何故自分が楽しめなかったのか、というよりも、この映画のどのあたりが自分と波長が合わなかったのかを考えた方が建設的かもしれない。

まず、人によっては開始1分でずっこけるだろう。どうみても江戸時代で日本人にしか見えない綾野剛がルー大柴のようなカタカナ交じりの日本語を話す。それ自体は見る人によっては面白いのかもしれないが、リアリティを重視する自分としては全く面白くなかった。むしろ興醒めだった。また主要キャストに女性は北川景子しかいないのだが、そのせいでその登場シーンの印象が薄れるというか、「いや、このタイミングでこの登場の仕方をするってことは、冒頭のあのキャラが北川景子で決定やないか」と、キャスティングそのものがプロットをばらしてしまっているも同然なのだ。脚本のクドカンは何をやっているのか。

もちろん評価すべき点もある。家老として対立関係にある國村隼と豊川悦司は邪悪な笑みでその演技力の高さを見せつけるし、北川景子も無表情に清楚に踊る。反対にクスリでもやっているんじゃないのかというトリッピーな目で踊る染谷将太は、エキセントリックな役を演じさせれば同世代のトップランナーの一人であることをあらためて証明した。『新宿スワンⅡ』で綾野剛と共演した浅野忠信は今回は肉体派の演技に加えて、イカれたメンタルの持ち主を違和感なく演じることができることを教えてくれた。役者の面々には褒めるところが非常に多いのだが、これが映画全体を通して見ると、エンターテインメント性を思ったよりも持っていないのだ。

それは細部への過剰なこだわりによるものであろう。観賞中にやたらと気に障ったのは、アクションに対して効果音を多用しすぎであるということ、その効果音もやたらと大きく、音そのものが前面に出しゃばっていることだ。またCGの多用も文字通り目についた。『不能犯』の松坂李桃の目を覗き込んだ時の視覚効果もそうだったが、あまりにカクカクした、あるいはきれいすぎる曲線や、人工的にしか見えないクリアに色分けされた領域など、製作者側が限られた予算でこんなビジュアル、あんなビジュアルを使いたいと張り切った結果が、面白さに反映されないのだ。

本当に、これは観る側と作る側の波長の問題で、あらゆる作品について認識の乖離は起こりうる。シネマティックな作品は必ずしもドラマティックではないのだ。それだけはどうしようもない。ただし、これだけは言わねばなるまい。

パンク侍、斬られずに候!

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