よだかの片想い 75点
2022年9月23日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:松井玲奈 中島歩
監督:安川有果
テアトル梅田に別れを告げるべく、チケットを購入。かなり多くの来場者があり、多くの人が名残惜しんでいる感じがした。
あらすじ
左ほほに大きなあざを持つアイコ(松井玲奈)は大学院で研究ひと筋の毎日を送っていた。ある日、彼女への取材に基づいた『 顔が私に教えてくれたこと 』という書籍に映画化の話が持ち上がる。監督予定の飛坂(中島歩)と触れ合ううちに、アイコは次第に飛坂に惹かれていくが・・・
ポジティブ・サイド
『 花束みたいな恋をした 』は若者の情熱に身を任せるような恋とその終わりの物語だったが、本作はそれの大人版である。島本理生の小説が原作ということだが、『 RED 』や『 ナラタージュ 』のような官能的な面が強いストーリーではない。しかし、主人公が何かから解放されるストーリーであるという点では共通していると感じた。
映画で顔にコンプレックスを抱く女性というと『 累 かさね 』が思い出される。顔の美醜で人間の価値が決まるとは思いたくないが、ルッキズムが存在すること自体は事実。自分の顔面に悩んだり、あるいはすれ違うだけの他人の顔を採点したことのない人などいないだろう。
本作は、しかし、アイコという主人公に単純なコンプレックスを付与しなかった。アイコは小学校の授業中に顔のあざを「琵琶湖そっくり」とクラスメイト達に揶揄されるが、そこで自分が注目を集めたことを密かに喜んでいた。アイコが傷ついたのは「お前たち、なんて酷いこを言うんだ!」と怒った教師が原因だった。これはかなり意表を突く設定だ。顔にあざがあって可哀そう、という話ではないのだ。だからといって、アイコがまったくあざに囚われることなく生きているわけでもない。そのあたりの塩梅が素晴らしく、松井玲奈がアイコというキャラクターを正に血肉化していた。
アイコの love interest である飛坂を演じた中島歩は『 愛なのに 』の浮気男役が印象的だったが、今作でもその真逆の真摯な男。しかし、彼の本命は実は・・・という複雑な役を好演していた。初対面のアイコに対して、映画監督の透徹した眼力でアイコの生き様を見通すシーンには震えた。飛坂の不器用に見える生き方がアイコのそれと通底するものがあり、互いに惹かれ合っていく過程にも説得力があった。
この二人の間に割って入る存在が早い段階で示唆されていて、しかも実はその存在も・・・という展開には意表を突かれた。なるほどねえ。確かに飛坂はそういうキャラだよなあ、と納得した。アイコのかなり遅めの初恋とそれに浮かれる気持ち、そして不安になる気持ち、飛坂の恋愛に関する優先順位のつけ方というか、価値観・哲学といったものが徐々にすれ違う展開も生々しい。
本作は映画というよりも芝居のようで、映像や音楽、音響の面で見せ場を作ることがほとんどない。カメラワークと役者同士の演技合戦で場面が進んでいく。それが非常に心地よい。ドラマチックな要素は削ぎ落すことで、逆に人間ドラマを際立たせている。安川監督とJovianは波長が合っていると感じた。
いつかアイコにとってこの恋は『 ちょっと思い出しただけ 』になるのだろう。そう予感させるような、ある意味で非常に清々しい幕切れだった。
ネガティブ・サイド
序盤にこれ見よがしに、大人と子どもでアイコに対する見方が違うというシーンを挿入するが、これは必要だっただろうか?
大学院の後輩が良い奴すぎ。上映時間を2分増やして、ここでサブプロットを一つ追求しても良かったのにと感じる。
終盤の展開が唐突すぎる。大学院の先輩に3分、飛坂に5分を費やして、上記の後輩との描写2分を加えて、上映時間を10分プラスできたはず。それで110分、ちょうどよい長さになる。
総評
大学院の教授の「人間は変わることはできるけれど、違う人間にはなれない」という言葉が刺さる。あざがあっても、あざがなくても、自分は自分。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』は自分から逃避する物語だったが、今作は自分に回帰していく物語。ラストシーンの美しさという点では今年の邦画ではピカイチ。ミニシアターでしか上映されていないが、だからこそ多くの人に観てほしい作品に仕上がっている。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
bruise
「あざ」の意。I got a big bruise on my forearm. = 前腕のところに大きなあざができちゃった、のように使う。bruise like a peach = 桃のようにあざができる = ひどく傷つきやすい、というイディオムもある。これは身体的にも精神的にも使える表現。