ケイコ 目を澄ませて 75点
2022年12月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岸井ゆきの 三浦友和 松浦慎一郎
監督:三宅唱
日曜の夜の回とはいえ、MOVIXあまがさきの観客はJovianひとりだけ。この『 百円の恋 』に勝るとも劣らない作品がこれでは少々寂しい。
あらすじ
生まれつきの感音性難聴の小河ケイコ(岸井ゆきの)は、荒川区の古いボクシングジムに所属するプロボクサー。聴覚障がい者として様々な葛藤を抱え、しばらくボクシングを休みたいと感じ始めるが、その手紙をなかなか会長(三浦友和)には渡せずにいて・・・
ポジティブ・サイド
16mmカメラの粗い映像が良い意味で冴えている。解像度の低い画を見せることで、あなた方がケイコたちを見る時の目はこうなっているのですよ、と言われているように感じた。本作のもう一つの特徴はBGMを極限まで排除したこと。これによって知らず知らずケイコの世界を我々も体験していることになる。バスのシーンが印象的で、路上や車内の騒音がまったく聞こえず、バスの車体の駆動音が振動のような形で伝わってくるシーンが特に印象的だった。
冒頭でケイコがトレーナー相手にミット打ちする長回しのワンカットにはしびれた。このワンシーンだけで、ケイコという人物がどれほどボクシングに打ち込んできたのかが如実に示されていた。それはとりもなおさず、演じた岸井ゆきのの鍛錬の成果だ。ボクシング映画は、そういう意味で他のスポーツとはかなり毛色が異なる気がする。ボクシングのバックグラウンドがある役者など、そうそう多くないだろう。もちろんトレーナー役の俳優の力も大きいが、彼は経験者だろう。
たいていのボクシング映画の主人公はボクシングにしがみつく男だが、ケイコは違う。ボクシングからしばらく距離を取りたいと思っている。オフの日には仲間とおしゃれなカフェでろうあ者の仲間と女子談義に花を咲かせている。このシーンには唸った。それまでに出ていた手話の字幕が出てこないからだ。一見して楽しそうな話をしていることは分かるが、手話の心得のある人以外にはさっぱりだ。ただし、この後のシーンのケイコの顔や手先をよくよく見れば、そしてジムの会長のケイコへの言葉を聞けば、ケイコたちの交わした会話の内容が自然と理解できてくる。この演出は非常に巧みであると感じた。
障がい者と健常者の間にはどうしても壁が生まれやすい。ケイコも社会の中で疎外されてきた経験からそう感じてしまう。一方でボクシングを通じて、実は多くのものを受け取ってきたことにホテルの清掃業を通じて気付くシーンもある。このシーンはちょっと泣けたな。耳が聞こえない中でトレーナーや会長からワンツー・フック・ツー・ウィービングからの右アッパーというコンビネーションを教わる時、観客は当然、指示の声が聞こえる。だが実はケイコには聞こえていない。けれど教える側の動作でそれが伝わるのだ。仕事でも同じこと。ベッドメイキングのコツは言葉ではなくジェスチャーで伝えられる。ボクシングはケイコにコミュニケーション力を与えていたのだ。
ボクシングの果てにケイコが見つける、もう一つのもの。それは河川敷にひとり佇立するケイコに唐突に訪れる。ジムは閉鎖し、会長やトレーナーとの縁は切れるかもしれない。けれど、袖振り合うも多生の縁。知らず知らずのうちにボクシングから得ているものがあるのである。意を決して走りだすケイコの姿に、勇気を与えられない人がいるのだろうか。
ネガティブ・サイド
ボクシング映画全体に言えることだが、ミット打ちはかなり頑張って撮るが、ガチンコのスパーリングは本作でもお目にかかれなかった。ボクサーはミットを通してパンチのコンビネーションやボディワークを身に着けていくが、ミットの位置に相手のボディや顔面があるわけではない。なので、スパーリングで打点や距離、角度を微調整していく。本作ぐらいボクシングをしている作品なら、そこまで見せてほしかった。
もう一つはボクサーに欠かせない減量。女子の場合は特に生理不順を伴うことも多く、非常に神経を使う。そうした過程が一切移されなかったのは拍子抜け。原作である『 負けないで! 』は未読だが、その辺もかなり赤裸々に書かれていると推察する。本当に女優・岸井ゆきのを追い込むのであれば、減量も避けて通るべきでなかった。
総評
岸井ゆきのは年間最優秀俳優にノミネートされるべき好演を見せた。Aランクには5点たりないが、それはJovianが過度なボクシングファンだから。これがボクシングではないスポーツあるいはヒューマンドラマなら文句なしにAランクである。『 母性 』で怪演を見せる女優が多数いたが、岸井ゆきのは全く負けていない。むしろ勝っている。このような映画こそ多くの人に見られるべきであると心底から思う。未鑑賞の方は年末年始休みに寒さと感染症に十分対策をして劇場へ。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
sign language
手話の意。ボディ・ランゲージは日本語にもなっているが、サイン・ランゲージ=手話ということも知っておこう。野球など、今でも情報伝達にサインを使うスポーツは多いが、あれは一種の手話である。
次に劇場鑑賞したい映画
『 ホワイト・ノイズ 』
『 夜、鳥たちが啼く 』
『 散歩時間〜その日を待ちながら〜 』