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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ティロタマ・ショーム

『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

Posted on 2019年9月13日2020年4月11日 by cool-jupiter

ヒンディー・ミディアム 70点
2019年9月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イルファン・カーン サバー・カマル ティロタマ・ショーム
監督:サケート・チョードリー

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日本でも一頃、お受験をテーマにしたテレビドラマが流行していた。日本でも受験の低年齢化が進んだが、結局は学力レベルの二極化を推し進めてしまっただけのように感じる。だが、インドという国に根強く残る格差は、日本のそれとの比ではない。だからこそ、インドは自国の問題点を映画にして世界に発信するのだろう。

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あらすじ

デリーで生地屋を営むラージ(イルファン・カーン)とその妻ミータ(サバー・カマル)は娘に最高の教育を与えたいと思い、進学先を選ぼうとする。しかし、学校によっては親の学歴や住所までが合否の判断材料になると分かり、家族は高級住宅地に引っ越すも、受験結果は全滅。しかし、貧困層救済のための受験枠があることが分かり、彼らは貧民街へと引っ越すが・・・

 

ポジティブ・サイド

よく言われることであるが、小さな子どもほど有望かつ確実な投資先は存在しない。そして、その投資とは教育に他ならない。それはスポーツかもしれないし、音楽や芸術かもしれないし、学業かもしれない。いずれの分野に投資するにしても、その投資効率を最大化する為には、できるだけ早い段階で教育を始めることである。この場合、子ども自身の嗜好や適性を考慮すべきかどうかは、タイガー・マザーという言葉がアメリカで聞かれるようになって以来、常に論争の的となっている。

 

インドでも事情は似たり寄ったりのようである。ただし、急激な発展を遂げている最中とはいえ、その発展の波に乗れない、あるいは乗せてもらえない地域や集団も存在する。そうした特定の弱者やマイノリティーへの配慮が存在するところ、そして、裕福な家庭の子女がそうした制度を悪用としようとするところ、さらに、そうして入学した学校の校長がとんでもない人物であるところに、本作の見どころがある。コメディでありながら、刺すべきところが鋭く刺し、抉るべきところは深く抉る。

 

イルファン・カーンは『 ジュラシック・ワールド 』では真面目そうなビジネスマンだったが、元々はコメディ畑の人なのかな。嫁さんの尻に敷かれっぱなしの姿に、自分を見出す男性観客は多いだろう。そして、最後に見せる雄姿にエンパワーされる男性諸賢もきっと数多くいることだろう。

 

ラージの妻を演じたミータ役のサバー・カマルは初めて見たが、笑ってしまうほどにchew up the sceneryな役者さんである。パキスタン人とのことだが、『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれていたように、インドとパキスタンは政治的緊張をはらみながらも、文化交流は絶やしていないようである。どこかの島国と半島は両国の関係を見習うべきであろう。

 

『 あなたの名前を呼べたなら 』のティロタマ・ショームも教育コンサル役で良い味を出している。鼻持ちならない感じをギリギリで抑えつけているようで、主演を張った前作とはまるで別人。役者というのはこうでなければ。

 

貧民窟での迫害と交流、日雇い労働現場の劣悪な就業環境と冷徹なビジネスの論理、教育の崇高さと学歴社会の邪悪さ、そうした社会問題を全て包括した笑えないようで笑えてしまうコメディである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のラージとミータの馴れ初めのシーンは必要だっただろうか。美しい歌の調べに乗って、二人の距離が縮まっていくのは良いが、それらのシーンが主題=お受験とのつながりを欠いているように感じた。このシークエンスはバッサリとカットしてしまうか、そうでなければ10分ほどを費やして、二人の学校生活やインド社会全般における受験戦争の模様などを映像で語るべきだった。二人の若い頃の関係がもう少し丹念に描かれていれば、つまり、ラージがどれくらいミータに惚れこんでいるのかを観る側にもっと共感させることができていれば、ラストのラージの告白(二重の意味で!)がもっとドラマチックに、そしてロマンチックになっただろうと思えてならない。

 

グラマー校の校長を演じたアムリター・シンの迫力と圧力が、何故かもう一つ伝わってこなかった。うちの卒業生は云々の脅し文句が、『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長と丸かぶりしているからだろうか。

 

これは日本の広報担当を責めるべきかもしれないが、「英語が話せないなんて!」というキャッチフレーズをあまりにも大きく目立たせ過ぎだ。愛娘を私立にやるか公立にやるかというテーマの裏には、英語の運用能力ではなく愛情があるのである。教育とは科目や学歴ではなく、親や保護者の愛情が形を変えたものなのだ。教育が目指すべきは能力の獲得以上に、人間性の向上なのだ。英語云々を大々的に押し出すのは皮相的である。

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総評

本作もインド社会の発展と矛盾を間近に見ることができて、非常に興味深い。また、そこに自国の事情や自分自身の家族を重ね合わせてみることで、様々な反省作用も生まれてくるだろう。減点材料にしたが、英語は確かに重要な技能だ。入試改革で、英語の民間試験の導入については大揉めに揉めているが、日本も遅かれ早かれ、英語の運用能力は自動車の運転免許のように、必須ではないが持っていないことで「え?持ってないの?」と言われるような一種のコモディティになるだろう。ピアぐらいの年齢の子を持つ親世代の日本人こそ観るべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The customer is a god, but a wife is a goddess.

 

ラージの台詞である。「お客様は神様だが、妻は女神様なんだ」のような字幕だった気がする。イスラム以外のインドの宗教は基本的に多神教なので、冠詞のaを上ではつけている。英語の正式な慣用表現では、“The customer is always right.”と言う。機会があれば、これも使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イルファン・カーン, インド, カバー・サマル, コメディ, ティロタマ・ショーム, 監督:サケート・チョードリー, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランドLeave a Comment on 『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

『 あなたの名前を呼べたなら 』 -ほろ苦さ強めのインディアン・ロマンス-

Posted on 2019年8月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

あなたの名前を呼べたなら 70点
2019年8月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ティロタマ・ショーム ビベーク・ゴーンバル
監督: ロヘナ・ゲラ

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原題は Sir である。インドは国策として映画作りを推進しているが、だんだんとインド特有の歌や踊りを減らしていくという。個人的にそれはつまらないと感じるが、グローバルなマーケットで売ろうとするためには、柔軟さも必要か。本作はそうした、ある意味ではデタラメなパワーを持つインド映画らしさではなく、普通に近い技法で作られたインド映画なのである。

 

あらすじ

建設会社の御曹司アシュヴィン(ビベーク・ゴーンバル)は挙式目前。しかし、婚約者の浮気が発覚し、結婚は破談した。通いのメイドのラトナ(ティロタマ・ショーム)は、そんなアシュヴィンに甲斐甲斐しく尽くす。彼女には夢があった。いつかファッションデザイナーになり、自立した女性となる夢が。だが、彼女は19歳で結婚した身。今は未亡人でも、新たな恋愛や結婚は因習的に許されない。いつしか惹かれ合い始める二人だが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもとても静かな立ち上がりである。アシュヴィンとラトナの間に恋愛感情が芽生えることは誰もが分かっている。そのbuild-upをどうするのかが観る側の関心なのであるが、ロヘナ・ゲラ監督は淡々と二人の日常生活を描いていくことで、二人の間の距離感を丁寧に描写していく。食事のシーンが好例である。ラトナがアシュヴィンに供する食事は、どれも一皿に一品で、ナイフとフォークで食するようなものばかりである。一方で、自分がとる食事は大皿にナンや野菜や鶏肉などを全て乗せた、いわゆるインド的なカレーであったりする。この対照性が二人の距離である。

 

だが、二人には共通点もある。ラトナはファッションデザイナーになるという夢があり、将来は妹とともに独立して自分たちの力でビジネスを営みたい。そのために妹の学費を自らの稼ぎから工面している。一方でアシュヴィンはアメリカに留学し、ライター稼業をしていたが、兄の死によって自らが事業継承になるためにインドに帰国してきた。つまり、ラトナもアシュヴィンも、本当の意味での自己実現を果たしているわけではないのである。全くとなる背景を持つ二人であるが、自分にはどうしようもない事情で現在の自分があることを受け入れている。だからこそアシュヴィンはラトナが仕立て屋に通うことや裁縫学校に行くことを快く承諾してくれるし、ラトナはアシュヴィンに執筆業への回帰を促す。それが互いへの思いやりであり配慮である。そのことが、しっかりと伝わってくる。安易にさびしさに負けて、なし崩し的にキスからベッドインなどという展開にはならない。しかし、二人が互いに秘めていた想いを一瞬だけ露わにするシーンは、見ているこちらが緊張するほどぎこちなく、それでいて甘く、激しい。近年のラブロマンスにおいては、白眉とも言えるシークエンスである。

 

ラストシーンが残す余韻も素晴らしい。終わってみれば「なるほどね」なのだが、この一瞬のために、ここまでドラマを積み上げてきたのかと得心した。そのドラマとは、ラトナの精神的、そして経済的な自立への旅路であり、アシュヴィンにとっては家族、そして友人関係のしがらみからの解放への旅路でもある。そして、二人はインドの因習からの独立を目指す同志でもあるのだ。使用人とその主人という縦の関係を、水平的な関係に転化させる一言を絞り出すラトナの表情に、我々は心の底から祝福のエールを送りたくなるのだ。

 

アシュヴィンを演じたビベーク・ゴーンバルはアメリカ帰りという設定ゆえか、非常に流暢な英語を操る。彼の台詞のかなりの割合が、非常にスタンダードな英語なので、英語悪習者の方は、ぜひ彼の台詞に耳を傾けて欲しい。本作の感想ではないが、インド人はそこそこの割合で英語を話せる。また、人口の結構な割合の人々が英語を聞いて理解できると言われている。確かに『 きっと、うまくいく 』の講義は英語だったし、『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』でも、ラクシュミは英語を話すのは苦手だったが、リスニングはできていた。英語の運用能力を持つことがそれなりのステータスであるという点で、日本はインドとよく似ている。しかし、インドにおいて英語力というものは、おそらく運転免許証のようなものなのだと推測する。なくてもそこまでは困らないが、だいたい皆が持っている。そういうことである。

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ネガティブ・サイド

アシュヴィンのone night standは必要だったのだろうか。別にこのシーンがなくとも、ストーリーはつなげられるように感じた。もちろん、結婚が破談になったアシュヴィンが人肌恋しく思うのは理解できるが、その相手をバーで調達してしまうというのは、あまりにも安易ではないか。また、ラトナに「彼女はもう帰ったのか」と尋ねるのもいかがなものか。自分が求めているのは刹那的な関係ではなく、長期にわたって真剣に互いを高め合える、あるいは補い合えるような関係であると気付くのであれば、破談になった相手との関係を振り返る、あるいはアシュヴィンの姉や友人に劇中以上にそのことを喋らせれば良かった。このあたりはゲラ監督とJovianの波長は合わなかった。

 

もう一つ。アシュヴィンが最初からあまりにも物分かりの良いご主人様で、少々ご都合主義のようにも感じられた。召使いとして甲斐甲斐しく恭しく使えるラトナは、メイド仲間の愚痴を聞くシーンが何度か挿入されるが、その仲間の愚痴がことごとくアシュヴィンに当てはまらないのだ。そうではなく、仲間が愚痴ってしまうようなシチュエーションが自分にも訪れた時に、主人であるアシュヴィンがどのように反応するのか、そうした展開があってこそ、ハラハラドキドキ要素がより一層盛り上がるというものだ。それが無かったのは惜しいと言わざるを得ない。

 

総評

静かな、大人のラブストーリーである。韓国ドラマのように、互いが互いを想いながらも絶妙にすれ違う展開にイライラさせられることはなく、むしろ近くて、けれどなかなか縮まらない距離感をじっくりと鑑賞できる構成である。そこにインド独特の因習や女性蔑視への眼差しもあるのだが、決してそれらに対して批判的にならず、そうした障害を乗り越えていく予感を与えてくれる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

アシュヴィンが友人からの誘いに対して“Rain check?”と返す場面がある。これは野球の試合が雨天順延になった時に、rain check=再試合のチケットを受け取ることから、「別の機会にまた誘ってくれ」という意味で使われる表現である。主に北米=野球が行われる地域でしか通用しない。なので、オーストラリアやニュージーランドの人間に使うと「???」と返されることがある。アシュヴィンのアメリカ帰りという設定、そして野球にちょっと似ているクリケットが盛んなインドのお国柄を考えてみると面白い。ちょっとした慣用表現の向こうに、様々な世界が見えてくる。同表現は『 パルプ・フィクション 』でJ・トラボルタも使っている。

 

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