バッド・ジーニアス 危険な天才たち 65点
2018年10月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン チャーノン・サンティナトーンクン
監督:ナタウット・プーンピリヤ
教育が過熱している。ある国や地域が富を一定以上に蓄積させると、その富は衣食住以外のものに費やされる。最も安全にして確実な投資先は、子への教育であると言う人もいるのだ。こうした事情はタイにおいても当てはまりつつあるらしく、本作のような面白一辺倒ではない作品を世に問うてきた。これは、タイという国家が教育の面でも、また娯楽の面でも、成熟しつつあることの証左と受け取るべきなのかもしれない。
あらすじ
リン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は頭脳明晰な女子高生。特待生として、授業料も免除されている。そんな彼女がひょんなことから親友のグレースに試験中に助け舟を出したことで、裕福な家庭の子女らがリンにカンニングへの協力を持ち掛ける。無論、有料で。受諾したリンは大金を稼ぎ始める。それは、さらに大きなカンニングの舞台へとやがて繋がり・・・
ポジティブ・サイド
カンニングを描くテレビドラマや映画というのは時々あったように思うが、全編これカンニングを主題に描く作品というのは前代未聞ではなかろうか。観る者がどのような学生時代を過ごしてきたかにもよるのだろうが、Jovianは大いにサスペンスを感じた。カンニングは言うまでもなく重罪で、その罪の重さは、例えば日本とアメリカを比較すれば、話にならないほどの差が存在する。もちろん、アメリカの方がその罪は遥かに重いと見なされる。日本ではaicezukiなるハンドルネームの予備校生が京都大学の入試の最中にYahoo知恵袋に問題の解答を求める投稿をしたことが社会問題になったことをご記憶の方も多かろう。これは2011年のことであったが、翌2012年、栄えあるハーバード大学の学部生125人が一斉にカンニングを行ったことで100名超が退学処分になったことも日本で報じられ、話題になった。
ことほど左様にカンニングの罪は重く、それゆえにカンニングに成功して得られる物も大きいというわけだ。実際にリンはクラスメイト複数名にテスト問題の正解を伝達することで、日本円にして数十万円もの金額を手にする。高校生には分不相応だろう。またカンニングをさせてもらった生徒らも親の覚えが目出度くなり、アメリカはボストンの大学に進むことを勧められる始末。ここから物語は一気にギアを上げる。カンニングに用いる小道具やテクニックが、実際に実行可能なレベルのもので構成されており、それがリアリティとなり、サスペンスを生むという好循環を生んでいる。
キャラクターにも深みがある。リンとバンクの二人の秀才が正解を導き出す役割を担うのだが、前者は父子家庭の一人娘、後者は母子家庭の一人息子というコントラストが鮮やかだ。リンはある意味で非常に功利的な思考をする一方で、バンクは母親の苦労に純粋に感謝し、学校の推薦を得てシンガポールに留学し、立派に学問を修め、職を得て金を稼ぎ、そして母親の恩に報いたいと願っている。得られるものと得られないものを冷静に計算するリンは、ある意味でカンニングのリスクとその罪の重さを実感出来れば、そこから足抜けできる。だが、母親に経済的に楽をさせてやりたいと強く願うバンクは、一歩間違えれば倫理的判断を誤ってしまう恐れなしとしない。彼の実家がクリーニング屋を営んでいるというのも、非常に象徴的である。本作はそうした二人の天才の頭脳だけではなく、心理学的な変化を丹念に描くことで観る者に問いかけてくる。「頭脳を売り物にすることは果たして悪いことなのか?」と。この問いに答えるのは大問題である。良いと答えても、悪いと答えても、倫理的な問題を孕むからだ。リンが最終的に導き出す答えは如何に。
ネガティブ・サイド
本作は実際に韓国で起きたカンニング事件にインスピレーションを得たとのことだが、本作のメイントリックとも言うべきアイデアは少し弱い。厳密にはカンニングではないが、日本でもこれと同じようなことをしている学生や社会人は少なからず実は存在する。昨今、国内の大学編入や院への進学においてもTOEFL iBTで一定以上のスコアを求める大学や大学院が増えている。しかし、実はここに抜け穴がある。結構な数の大学や大学院が、実はTOEFL ITPのスコアも受け付けているのだ。そしてTOEFL ITPはTOEFL iBTよりも難易度が低く、なおかつ日本人が大いに苦手とするSpeaking Sectionが存在しないという利点もある(ITPはListening, Grammar, Reading iBTはReading, Listening, Speaking, Writing)。海外旅行に行ったついでに、というよりもTOEFL ITPを受験する為に海外に行く人というのは僅かではあるが、確かに存在する。そういう意味ではアイデアとして、本作が採用するカンニング方法は少々陳腐である。というか、同じようなカンニング方法が既に日本で二十数年前に実行されていたことが、明らかにされている。興味のある向きは「豊田真由子」で検索して、色々と当たってみるべし。
本作のような環境でカンニングを実行するに当たっては、それこそオーシャンズの如き綿密なプランニングと、一般人の思考の盲点を突くことが鍵となる。本作でそれを実現するとすれば、第三のピースがあれば計画はより万全に近くなったであろう。つまり、故意に捕まる役を仕込むのだ。問題の解答と、解答の伝達を同じ人間が担当するから失敗のリスクが高まるのだ。ただし、計画について知る人間が増えれば増えるほど、情報漏洩のリスクも高くなる。本能寺の変の前の明智秀満の言である。そうしたことを考えると、本作のクライマックスはいささかリアリティに欠ける展開であったと評価せざるを得ない。
総評
タイの映画にはこれまでほとんど触れてこなかった。タイ(シャム)を舞台にした映画には『 王様と私 』(ユル・ブリンナーverの一択である)があるが、タイ映画を映画館で観たのは、これが初めてだったかもしれない。製作される映画のレベルとその国の文化や芸術や娯楽の成熟度はおそらく相関関係にある。そうした経験則に基づくならば、タイも成熟しつつあると見て間違いない。それにしてもリン役とバンク役のそれぞれの俳優の演技力の高さよ。日本の同世代は、役者といよりもアイドルという感じだが、タイではジャ○ーズのような事務所は存在せず、それゆえに役者個々の実力が評価されているのだろうか。いくつか釈然としない点はあるものの、サスペンスとしてもクライム・ドラマとしても、それなりの完成度を誇る作品に仕上がっている。観て損をすることはないだろう。