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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 葵わかな

『 劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 』 -動物の向こうに人間が見えてくる-

Posted on 2019年1月24日2019年12月21日 by cool-jupiter

劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 70点
2019年1月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:葵わかな

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Jovianは民放は基本的に観ない。NHKを時々観るぐらいだ。しかし、その中でも欠かさず録画する番組が3つある。『 将棋フォーカス 』、『 コズミックフロント NEXT 』、そして『 ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜 』である。そのうちの一つが映画化されるとあっては、劇場に足を運ばねばなるまい。

 

あらすじ

アフリカ大陸。様々な動植物が生きる大地。そこにはプライドの王を目指す若獅子ウィリアム、一匹で子育てに奮闘する雌ライオンのナイラ、右腕を無くしたゴリラのドドとそのドドを見守る群れの長のパパ・ジャンティの物語が展開されていた・・・

 

ポジティブ・サイド

1時間30分程度の作品だが、おそらくこれだけの映像を作るには、軽く1万時間超の撮影が必要ではないだろうか。もしかすると10万時間超かもしれない。

 

本作でフィーチャーされるライオン達およびゴリラ達を動物と思うなかれ。これは動物賛歌の形を借りた人間社会へのメッセージなのである。そのメッセージを痛烈な批判と受け取るか、それとも厳しくも暖かい信頼のメッセージと取るかは受け手の生きる社会や家族に依るのだろう。ただし、NHKがこの映画を届けたいのは日本社会に生きる我々であることは意識せねばなるまい。好むと好まざるとに依らず、社会は多様化していく。多様化していくということは、盛者必衰、優勝劣敗、弱肉強食がはっきりしていくということでもある。それは昭和後期が成長と安定に結実した一方で、平成は激動の時代になっていたことからも明らかである。潰れるはずがないと思われた企業が倒産し、サザエさん的な家族の風景はもはやフィクションとなった。一方で、都市部の駅や公共施設、大型ショッピングモールやデパートメントストアではバリアフリー化、ノーマリゼーションが進み、街中や駅、電車内でも車イス使用者を見かけることは珍しくなくなった。白杖を持った弱視者やダウン症を持った人なども家や施設ではなく、外に行き場と生き場を求められるようになってきた。

 

本作がメインに取り上げる若獅子ウィリアム、孤軍奮闘する雌ライオンのナイラ、そして右腕の肘から先を無くしたゴリラのドドには共通点がある。それは集団から疎外されてしまった個が、それでも仲間と共に生き抜く姿である。ライオンのオスはしばしば兄弟で放浪するし、最近ではこのような動画も世界中でバズった。ライオンのオスは高等遊民であるかの如く暮らす。千尋の谷に突き落とされることはないが、それでもプライドを追い出され、過酷な環境で自らの生存を確保しなくてはならない。国営放送がニートに向けたメッセージであるというのは深読みが過ぎるだろうか。

 

女手一つで6頭もの子どもを育てるナイラを指して「母は強し」というのはいとも容易い。しかし、それこそ昭和の価値観だろう。今、国が実施している求職者支援訓練の受講者には、かなりの割合のシングルマザーが含まれている。平成とは、離婚率と未婚率の増加の時代、少子化の時代とも総括できよう。もちろん、それも多様化の一側面である。だからシングルマザーを良しとしたいわけではない。逆だ。ライオンの雌がこれほどの苦境に陥るのは、仲間がいないからだ。サポート役がいないからだ。幼い子どもと一緒に狩りをするナイラの姿に、高校生の子どものバイト代までも家計に回さなければならない世帯が存在することに、我々はもっと意識しなくてはならないだろう。

 

ゴリラのパパ・ジャンティについても同様の考察が可能である。通常、動物の群れは奇形や障碍を有する個体には厳しい。少数を救おうとすることが全体を危機に晒すことになりかねないからだ。オオカミの群れなどは老齢の個体にも厳しい。しかし、パパ・ジャンティはその名の通りにgentlemanである。劇中でも描かれるが、当初は群れの他個体はドドにサポートを与えなかった。リーダーたるパパ・ジャンティの行動が集団全体に波及したのだ。障がいを能動的に負おうとする者などいない。しかし、障がいを負うことそのものは誰にでも起きうることだ。そうした時に、疎外をされないこと。誰かが手を差し伸べてくれるということ。そうした仕組みや意識が社会の成員に共有されているということ。それこそが生きやすい社会の一つの形だと思う。そうした気付きをもたらしてくれるゴリラのパパに、我々は敬意を表すのである。

 

ネガティブ・サイド

せっかく1時間半もの時間を費やすのなら、1種類の動物だけにフォーカスしても良かったのではないだろうか。ライオンならライオンに絞ってしまうという選択肢もあったはずだし、その方がよりドラマチックに編集できたろうにと思う。全体的なペースとトーンが。ライオン物語とゴリラ物語の間で一定していなかったように感じられた。監督は誰なのだろうか?

 

総評

いつもはテレビで観ているものを劇場で観ることの意味は何か。映像や音響が優れていることは当然として、暗転した環境なのでスクリーンに没頭できることが大きい。アフリカの豊かな自然と様々な動植物の世界にスッと入っていくことができた。第二、第三の劇場版が観たいし、『 コズミックフロント NEXT 』の劇場版も作ってくれないだろうか。映像美という点では、動物よりも天体の方に分があるだろう。特に暗い劇場では。子どもを連れて観に行くも良し。大人だけで鑑賞しても良し。ライトにもディープにも楽しめる作品である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ドキュメンタリー, 葵わかな, 配給会社:ユナイテッド・シネマLeave a Comment on 『 劇場版 ダーウィンが来た!アフリカ新伝説 』 -動物の向こうに人間が見えてくる-

『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

Posted on 2018年8月16日2019年4月30日 by cool-jupiter

青夏 きみに恋した30日 35点

2018年8月12日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:葵わかな 佐野勇斗 古畑星夏 久間田琳加 水石亜飛夢 岐洲匠 橋本じゅん 佐藤寛太
監督:古澤健

東京の女子高生が上湖村という田舎で一夏を過ごす。そして運命の恋に落ちる。少女漫画のプロットとしても平凡すぎるが、物語に必要なのは往々にして陳腐さである。あまりにも奇を衒った演出を施してしまうと、物語世界に没入できなくなってしまう。かといって、平々凡々すぎてもいけない。このあたりのさじ加減は本当に難しい。普通に詩作が好きな男が普通に暮らす『パターソン』が絶妙なさじ加減と言える。では本作はどうか。残念ながら、少女漫画としては成立しても、銀幕に映える物語ではなかった。このあたりはJovianの主観なので、女子が見れば評価も大いに異なる可能性は高い。

厳しい目で見れば、本作にはあまりにも不自然な点が多すぎる。それらは登場人物の言動や心情であったり、映画的演出そのものであったりだ。例えば理緒(葵わかな)が序盤早々に山道を自転車で走っているところを転倒して山に入って(落ちて)しまうシーンがあるのだが、そこで理緒の携帯に表示される時刻が19:09、しかし空はすでに真っ暗闇。劇中でこの時は2018年7月21日(前後)であると明らかにされているので、いくら山中といえども空が暗すぎる。せいぜい逢魔時、黄昏時だろう。その一方で8月下旬の夕焼けの映えるシーンでは時計が17:40を指しており、こちらは我々の体感にも実際の日の入り時刻から逆算した夕焼けにも合う。細かいところだが、重要なところでもある。他にも吟蔵(佐野勇斗)が足裏を少し怪我するシーンがあるのだが、あの傷の長さと出血から予測される深さからして、その後の歩行に少し支障が出て然るべきだが、そんな描写も無かった。吟蔵は、大谷翔平も受けたPRP注射でも受けたとでもいうのか。

演出とストーリーの関連で言えば、ちぐはぐさが残る場面が多かった。登場人物的には関係ないのかもしれないが、いきなりアブラゼミを素手でパッと捕まえてしまう理緒に「東京の人の意見も聞いてみたい」という上湖村の高校生連中や、「東京もんに川に飛び込む勇気があるとは思わなかった」と言われても、うーむ・・・という感想しか抱けない。そもそも理緒は冒頭の東京での合コンカラオケシーンから浮きまくっていたではないか。

また本作の主題は、高校生男子の一夏の恋ではあるが、その恋模様が炙り出すテーマはなかなかにシリアスだ。過疎にあえぐ村を盛り立てるために若者は村に残るのか、それとも自分の才能を伸ばしたい、試してみたいという願望を成就させるために都会を目指すのか。しかし、現実的に考えるならば吟蔵とその許嫁とされる万理香(古畑星夏)がめでたく結婚し、子どもを5人ぐらいもうけたところで、上湖村の過疎は止まらないし、移住者や観光客が増えるわけでもない。にも関わらず周りの大人や同世代たちは無責任に吟蔵に期待をかける。いったい何なのだ、この村は。また村恒例の夏祭りのイベント販促(若い客を増やしたい!)を高校生に丸投げしていたり、さらにそこでアイデアを出すのが理緒で、なおかつそれがフライヤー作りだというのだから笑っていいのやら、呆れるべきなのやら。理緒と吟蔵の二人で隣町(村?)の花火大会(光と音が同時に届くというCG丸出し花火!)を見に行くのだが、フライヤーで呼び込める客の範囲もせいぜい隣町までだろう。しかし、これは見方によれば、そんな狭い範囲でしか吟蔵のデザインの才能を活かせないのは宝の持ち腐れであるということを強調しているのかもしれない。というか吟蔵の友人にはプロの高校生漫画家がいるのだから、そいつとのコラボというのは誰も考え付かないのか。何から何まで吟蔵に寄りかかるこの村および理緒の思考はどうなっているのか。そんな悩める吟蔵の夢を父(橋本じゅん)がアシストしようとするシーンがある。夏祭りでのライブでTHE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』を熱唱する(実際は吹き替え)シーンである。この部分と、もう一つ別の酒を酌み交わすシーンだけは、大人の大人らしさを感じさせてくれたが、全体的に見れば映画そのものが映し出す光景の美しさと、村の奥底にあるどうしようもない地方特有の駄目さ(と敢えて言う)が、何とも言えないギャップを生みだしている。劇中で山の頂上から海と村を一望するシーンがあるが、その時点で「三重かな?」と直感して正解。確かに自然は美しい。そして理緒自身も上湖村の長所として、空気の美味しさや水の美しさを挙げるが、それらは実は日本中の津々浦々で手に入るものだったりする。それを売り物にしようとするのは、観ているこちら側としては歯痒いばかりだった。マイクロファンディングが根付きつつある日本だが、一番早く目標金額に達するのはやはり地酒らしい。伏見や灘、西条に並ぶような酒どころを目指す、ような話にしてしまっては一夏の恋ではなく、夏休みの自由研究になってしまうか。

劇場の客の入りはまあまあだったが、半分以上は女子中高生だった。目線をそのあたりに持っていけば、案外楽しめる作品なのかもしれないが、大学生以上あたりになってくると、色々と粗というか突っ込みどころが自然と目に入ってきてしまうだろう。主演の二人を初め、俳優陣はいずれも健闘していたが、重要キャラクターである岐洲匠は別。監督の指示なのか、単に未熟なだけか、『BLEACH』のMIYAVIに並ぶ大根役者だった。決して映画ファンを唸らせるような一本ではない。そもそもタイトルからして妙だ。『青夏 きみに恋した40日』ではないのか。内実よりも語呂を優先したのか。時間とチケット代に余裕があるという方のみ、試してみてはどうだろうか。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 佐野勇斗, 日本, 監督:古澤寛太, 葵わかな, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

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