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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 篠原ゆき子

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 ミセス・ノイズィ 』 -事実、必ずしも真実ならず-

Posted on 2020年12月13日 by cool-jupiter

ミセス・ノイズィ 75点
2020年12月12日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:篠原ゆき子 大高洋子 新津ちせ
監督:天野千尋

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2020年現在、30歳以上なら奈良の「騒音おばさん」を覚えていることだろう。本作は、あの事件にインスピレーションを得つつも、現代的に翻案し、見事なドラマに仕立て上げられている。Jovianはしかし、どちらかと言うと、別の事件のことも思い出した。

 

あらすじ

小説家の吉岡真紀(篠原ゆき子)は、引っ越し先の隣人・若田美和子(大高洋子)が毎朝早くから布団を叩く音のせいで、スランプから脱却できず、お互いの小競り合いに発展していった。しかし、このことをネタに『 ミセス・ノイズィ 』という小説を執筆したところ、騒動の動画のヒットもあって好評を博すのだが・・・

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ポジティブ・サイド

90年代からゼロ年代まで、数多くの宗教団体による信者の拉致監禁事件があった。そしておそらく現代にもある。そのことは『 星の子 』でも示唆されていた通りである。一方で、カルト宗教に洗脳された信者を脱会させ、家族の元に奪還してくる団体が、また別の洗脳手法を使っていることが物議をかもしたこともあった。けれども90年代末だったか、ワイドショーを騒がせた「女性ばかりを拉致監禁して地方を転々とするカルト」が、実はDV被害者や無理やり苦界(もはや死後だろうか?)に落とされた者たちを救出していた団体だった判明したことがあった。当時、高校生だったJovianはこのニュースに驚かされた。そして、マスコミが誤報を詫びず、しれっと新しい情報を流して終わりにしてしまうことに強烈な違和感も覚えた。物事を一面から見る。そこには確かに事実がある。しかし、真実は事象を多角的に捉えないと見えてこないのだ。

 

本作も同じである。物語の前半は真紀視点から語られ、そこでは真紀は騒音の被害者で、若田さんは異常な隣人である。特に大高洋子は圧巻の存在感で、風貌や声の出し方までが「騒音おばさん」を彷彿させる鬼気迫る演技である。若田さんが嫌がらせをしてくるのは、彼女が異常な人物だからであると思いたくなる。典型的な“行為者-観察者バイアス”(Actor-Observer Bias)の陥穽に真紀はハマってしまう。それを補強するような衝撃的なエピソードが真紀の愛娘から語られることで、我々はますます怖気を震ってしまう。どうすればこの「騒音おばさん」を撃退できるのか、懲らしめられるのかを考えてしまう。

 

しかし、後半に差し掛かるところで、物語は若田さんの視点から描かれる。そこで我々は若田さんの抱える様々な事情を知ることになる。彼女の背景が明確にセリフで語られるわけではないが、一目見ればすべてが理解できる。このシーンでは強烈な左フックをチンに一発もらったかのような衝撃を覚えた。我々はしばしば知覚は十全に世界を捉えていると思い込んでいるが、実際には知ることのできない「超越」的な領域があるというのが、現代哲学である。我々が見聞きするものは事実であるが、すべてではない。他方から見た事実も存在する。真実とは、事実の側面ではなく総体なのだ。若田さんが路上でとるちょっとした行動が、少し角度を変えれば全く違うものに見える場面が存在する。世の中のたいていの事象はこうなっているのではないか。

 

世間をも巻き込む大騒動に発展する隣家同士の小競り合いは、とんでもない展開を見せる。そして日本人が大好きな“謝罪”の意味を問う展開につながっていくが、ここで差し伸べられる救いの手が意外なもの、いや、予想通りのものと言うべきか。『 響 -HIBIKI-  』でも主人公の響が「自分は当事者に謝った。世間に何を謝れと言うのか」とマスコミに問うシーンがあったが、メディアは時に真実を捉え損なう。それどころか一方(メディア側)から見た事実だけを拡大再生産していく。そして、その波に普通の一般人たちもどんどんと乗っていく。単なるメディア批判ではなく、世間一般の危険な風潮に対して警鐘を鳴らしている点を大いに評価したい。

 

ネガティブ・サイド

真紀を金儲けの種にしか思っていないアホな甥っ子(従弟?)に天誅が下るシーンがないのはいかがなものか。天誅と言っても、大袈裟なものである必要はない、キャバクラで嬢に相手にされず、バーでも仲間から軽く無視される。そんな程度の描写で十分だったのだが。もしくは、エンドロールの最後で良いので、「盗撮はプライバシーの侵害です。盗撮した映像をネットで公開するのはやめましょう」みたいなdisclaimerが必要だったと思われる。

 

真紀の夫が役立たずもいいところである。『 滑走路 』の水川あさみの夫と同じく、妻に向き合わず、子どものことに関しても主体的に関与しようとしない。まるで自分を見るようだと自己嫌悪に陥る男性が、全国で200万人はいるのではないだろうか。最後の最期で歩み寄りを見せるのが真紀なのだが、なぜ夫の方ではないのか。この夫が最後の最後まで傍観者的な立ち位置から離れないのは納得しがたい。

 

総評

『 白ゆき姫殺人事件 』に並ぶ面白さである。ネットの誹謗中傷に耐えられず自死を選んだリアリティ・ショー出演者が残念ながら出て、大きな話題となった2020年の締めに本作が公開されたことの意義は大きい。我々は傍観者(observer)としても当事者(actor)としても、真実を追求することが求められるのではないか。向き合おうとする、知ろうとする、語ろうとする、そんな姿勢こそが必要なのではないか。エンタメとしても社会批判としても、今年の邦画としてはトップレベルの良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

superficial

「薄っぺらい」の意味。物理的に厚みがないという意味ではなく、物語やキャラクター造形に深みを欠く、の意。現代日本の政治や芸能の世界には、superficialなコメントやsuperficialな謝罪が溢れている。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 大高洋子, 新津ちせ, 日本, 監督:天野千尋, 篠原ゆき子, 配給会社:ヒコーキ・フィルムズインターナショナルLeave a Comment on 『 ミセス・ノイズィ 』 -事実、必ずしも真実ならず-

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