一本も映画を観られなかった。本業がなかなかハードになっていること、自宅のテレビが先月にひっそりと息を引き取ったことなども要因。10月14日はクライアント大学主催のシンポジウムに参加。10月15日は小旅行だったため、週末も映画未鑑賞。まあ、たまにはそういう週があってもいい。
シンポジウムはのお題は「 デジタルトランスフォーメーション(DX)と言語教育の行方 」だった。最後にスピーカーの一人であった宮川創先生に個人的に2つ質問もさせてもらえた。
1つは現代のデジタル技術によってマイナー言語の保全、あるいは滅んでしまった言語の復活は可能かどうかということ。かの地で血の雨が降りそうな状況だが、現代ヘブライ語は人工的に復活した言語である。ただ、それは数十万数百万という人間が意識的に、能動的に2世の教育に取り組んだから可能だった。たとえば『 天空のサマン 』でも取り上げられた満州語の保全及び復活は可能なのだろうかという問いは、同作鑑賞時から持っていた。先生の答えは「可能である。というか、ヨーロッパの機関や研究者はもうすでにいくつもの言語に対してアプローチしている」とのことだった。これは朗報だ。
もう1つの質問は、現代の映像編集技術(特にリップシンク)と翻訳技術を映画に適用することは可能かということ。Jovianは大学でラテン語を学んだが、古代ローマを舞台にしつつ、しかしキャラクターがすべてラテン語で話す映画というのは見たことがない。近いところではメル・ギブソン監督の『 パッション 』ぐらいだろうか。これも宮川先生によると「可能」とのこと。というか、ごく最近、日本国内でBlu-rayが発売された作品では、言語を変えると音声が切り替わるだけではなく、キャラの口元の動きも変わるものがあるとのこと。これは凄い。昨今のハリウッドの役者たちがAI技術が役者の仕事を奪う云々でストをしているように、色々とクリアしなければならない問題はあるのだろうが、古代ギリシャや古代ローマ、古代中国を舞台にした映画を、まさにその言語(あるいは極めて原語に近い状態)で鑑賞できるようになる時代は近い。覚えなければならない台詞が減るというのは、役者にとっても負担減となり、悪い話ではないように思う。
その他、リップシンクだけではなく、言語表現から感情を読み取り、それによって自動音声の抑揚や強弱のパラメータが自動で変わる(もちろん人間が調節することも可能)という技術や、スピーチに応じて表情や手の動きを自動で作ってくれる技術もある。大学の映画同好会が、思わぬクオリティの作品を数台のパソコンで作るような時代も近いかもしれない。
劇場に行くことはなかったが、そんなことを感じた週末だった。ちなみにシンポジウムの詳しい感想はこちらの note に少しずつアップしてく予定。